昨日、尚美のレッスンを終えて帰る前に教員控室に立ち寄ると、偶然波多江さんにお会いし、色々話しているうちに、せっかくの機会なので飲みに行こうということになり、その後すぐ近くの飲み屋に行った。
波多江さんと初めて出会ったのは1994年の第一回のディナンで、当時の私は尚美2年生、波多江さんはセルジーの学生さんだった。
そこでは日本人参加者で集まって美味しい地ビールをたくさん飲み、あっという間に打ち解けて仲良しになった。
実は私はその昔、パリ音楽院受験を考えたことがあり、その時にも相談に乗っていただいたり、書類を揃えてくださったりと大変お世話になり、その逆に波多江さんがオケの仕事の際、燕尾服とタキシードを間違えて持ってきてしまい、偶然会場の近くだった私の自宅に燕尾服を借りに来たこともあるという、持ちつ持たれつの関係となっている。
しかしながら波多江さんと飲むのはそのディナン以来で、そもそも喋り下手な私が差しで飲むというのは本当に珍しい。
私は今年で洗足を7年、尚美を5年務めているが、学生からではなく先生から飲みに誘われたのは実は初めてだったので、とても嬉しかった。
波多江さんは4月からはこの尚美、また7月からは母校の東京音大でご指導することになったそうで、突然教員生活に切り替わってしまったと話していたが、それぞれの学校に対する思いや展望などを熱く語っていて、とても魅力的な人で楽しい飲み会だった。
波多江さんと初めて出会ったのは1994年の第一回のディナンで、当時の私は尚美2年生、波多江さんはセルジーの学生さんだった。
そこでは日本人参加者で集まって美味しい地ビールをたくさん飲み、あっという間に打ち解けて仲良しになった。
実は私はその昔、パリ音楽院受験を考えたことがあり、その時にも相談に乗っていただいたり、書類を揃えてくださったりと大変お世話になり、その逆に波多江さんがオケの仕事の際、燕尾服とタキシードを間違えて持ってきてしまい、偶然会場の近くだった私の自宅に燕尾服を借りに来たこともあるという、持ちつ持たれつの関係となっている。
しかしながら波多江さんと飲むのはそのディナン以来で、そもそも喋り下手な私が差しで飲むというのは本当に珍しい。
私は今年で洗足を7年、尚美を5年務めているが、学生からではなく先生から飲みに誘われたのは実は初めてだったので、とても嬉しかった。
波多江さんは4月からはこの尚美、また7月からは母校の東京音大でご指導することになったそうで、突然教員生活に切り替わってしまったと話していたが、それぞれの学校に対する思いや展望などを熱く語っていて、とても魅力的な人で楽しい飲み会だった。