hiroshi hara: saxophoniste

日々の思考の断片

ブログ雑感

2007-09-29 22:04:33 | 日常
たくさんの方々から毎日更新される私のブログを楽しみにしていると励ましのお言葉をいただく。
また、「毎日よく書くことがありますね」と感心されることもある。

ブログを始める以前は、htmlで日記を作成していたのだが、書くことよりもページの作成が面倒で、更新がかなり滞ってしまっていた。
そこで、ページ作成が不要なブログに乗り換えたからには、これまでの怠惰な更新状況をいましめて、毎日何かしらの文章を書こうという思いから端を発したのだ。

今となっては、ブログを書くことは日常の一つになっているので、書くこと自体には苦労を感じないし、内容に困ることもない。
ただ疲れている時などは、文章がまとまらず苦労することはある。
そして結局まとまらないまま掲載してしまうこともある。(実は今日もそうなのだが。)

どんな人でも一日中何も考えていないということは無いと思う。
その考えを表に出すか出さないかというだけのことだ。

第24回(2007)日本管打楽器コンクール

2007-09-28 22:06:53 | 日常
今日はいつもの洗足の日。
高校の音研(音楽研究室)の前に日本管打楽器コンクールの参加要項が置いてあったので、つい見てしまった。

今年の管打コンはクラリネット、ファゴット、ユーフォニアム、テューバの4部門開催。
審査員や課題曲を見てみると、まず審査員はどの部門も世代交代しており、若手演奏家の名も所々見受けられた。

ちなみに私の管打コンの賞状には、当時運営委員長だった吉田雅夫氏の署名が入っている。
審査委員長は石渡先生。
きっと大城さんの賞状には阪口新先生のサインが、もっと言うと須川さんの賞状にはマルセル・ミュールのサインが入っているのか思うと、等とついつい思考がトリップしてしまう。

課題曲はどの楽器も趣向を凝らしたもので、特にクラリネットは私も勉強しているブラームスが二次の課題曲になっていた。
それだけに留まらず、邦人作品、近現代作品も勉強しなくてはならないようだ。

来年はサックス部門が回ってくる。
どんな課題曲になるのか、楽しみでもある。

ラジオ フランス語講座

2007-09-27 23:38:26 | 日常
月曜日~土曜日の朝にラジオで語学番組放送が流れている。
月~木が入門編、金~土が応用編。

半年でひと段落し、今日は入門編の最終回だった。
実はフランス語講座のテキストを年間購読しており、録音しながら少しずつ勉強している。

私はまだ6月あたりまでしか進んでいないので、今日はテキストなしではついていけなかったが、モン=サン=ミッシェルへ向かう車中で、風景に感動した場面で、江ノ島、鎌倉の話題が出てきたので聴き入ってしまった。
時間のあるときにモチベーションを維持しながら少しずつ勉強してフランス語を身につけたい。

ちなみに来週からは昨年4~9月の再放送になる。

趣味の世界

2007-09-26 22:10:38 | 日常
趣味を持つというのはとても大事なことだ。

我々のような、音楽という娯楽の世界を職業にしている者にとっては贅沢な気がしてしまうが、そういった考え方とは次元が違い、禁欲的に職業のみに没頭し過ぎれば、人としての社会性や品性が乏しいものになってしまう。
特に私は、会社員とは比較にならない程ストレスの少ない仕事をしているが、それでも趣味を持ち、ある種の「逃げ道」を作ることにより、それが実は健全な精神を維持する為には非常に大事なことであるように思うのだ。

私の周りには多趣味な人が多い。
その人たちは、必ずと言っていいほど社交性に富んでいて、交友関係が非常に豊かで、また会話していてとても楽しい。
そして、仕事が出来るかどうかといった部分とは別に、人として大変魅力的でもある。

私にはこの特筆すべき趣味や余技が無く、それに対して少し引け目を感じてしまうことがある。
とは言え、有り余るほど趣味に入れ込む時間が取れるという訳でもないのだが。


ヴィブラート奏法

2007-09-25 21:51:02 | 日常
ここ数日はブラームスのクラリネットソナタ第一番の練習に余念が無い。

この曲の前奏は「辞世の句」、「クララへのメッセージ」と言われているが、それだけではなく、この曲全体が下降音型に支配されていて、長調の甘味な楽章や華やかな楽章であっても、どことなく陰のある雰囲気になっている。

先日から幾度となく壁にあたっては考え込んでいたが、少しずつ自分なりの表現ができそうな兆しが見えてきた。
というのは、今のところ実演奏が伴っているわけではないが、サックスで演奏するブラームスというものが、どのようなものであるかといった位置付けを考えるようになってきたのだ。

その一つにはヴィブラート奏法が挙げられる。
サックスの「音程」によるヴィブラートは、他の管楽器の「強弱」によるヴィブラートとは一線を画したものだ。

そこで、その管楽器らしからぬヴィブラートを逆手にとって、クラリネットの基本であるノンヴィブラート奏法とサックスの弦楽器的なヴィブラート奏法を行き来しようと考えた。

例えば、第一楽章では二つの主題をノンヴィブラートで演奏し、展開部ではヴィブラートを伴い、また第二楽章では最後の数小節以外をヴィブラート奏法で演奏するなど、音色の変化や動機の展開とは違った、ヴィブラートの有無という別次元でのアプローチを試みようと考えている。

電子情報

2007-09-24 21:56:11 | 日常
昨晩、就寝前に携帯電話を見てみたら電源が落ちていた。
その日に充電したばかりだったから、当然電池切れという訳ではない。

どう操作しても電源が入らなくなっていた。
昨年11月に機種変更して、特に酷使していたわけではないが、予告もなしに突然の最期を迎えた。

今朝、お店に持ち込んだが、何をどうやっても電源が入らなければ話にならないので、お店の人もお手上げ。
結局同機種現物交換。
保証期間内だったので無料だった。
もちろんデータは戻らず。

昨年11月以前のデータはPCに入っているのだが、それ以後の増えたアドレスや変更ある方の情報は消えてしまった。
また、今の携帯電話はPCにつなぐことができないため、手打ちでデータをうつすことになる。

電子情報は便利な反面、やはりリスクも大きいものだと改めて実感した一日だった。

おそらくデータ移行には数日ないし数ヶ月かかると思われるので、私の携帯電話にお電話していただく際には、しっかりお名前を名乗っていただきたいことと、特に重要なのは、メールをいただく際には必ず署名していただきたい。(意外に携帯メールでは名を名乗らない方が多いので。)

ブログのすすめ

2007-09-23 22:39:39 | 日常
ブログを書き始めて一年経った。
当初は、日々文章を書くことによって、思考の整理、会話やレッスン等、あらゆる場面において適切な言葉が口を突いて出るようにと願っていたが、それらのことがこの一年で劇的に変わったと言うことはない。

ただ一つ気付いたことがある。
「日記」において、良いこと悪いことを文章にすることにより、それらを客観的にとらえることができるようになった。
悪いことばかりが続いても、それらを前向きに考えることができるようになったし、逆に良いことが続いてもそれを冷静に考えられるようになった。

音楽面での基本姿勢は変わってはいないが、今は「テクニック」について、より一層深く考えているところだ。

実はブログを書く以前は、「軽薄な文章や写真を連ねたもの」といったイメージがあり軽蔑していたのだが、それはブログ自体が問題ではなく、書く人の品性の問題ということもわかってきた。
自分自身のブログはどうなのかはわからないが、ブログとは文章や写真の書き込みや貼り付けが容易にできる反面、自身の思考が容易に伝わりすぎてしまう諸刃の刃であると思う。

ただ饒舌且つ完璧に自身を表現できても、万人の心を捉えられるかはわからないし、しどろもどろでも思いが伝わり共感を呼ぶこともある。
多くの方々にブログを書くことをお薦めしたいものだ。

遅刻

2007-09-22 22:57:03 | 日常
今日は夜に佐藤渉君のリサイタルへ伺った。
迂闊にも開演時間を一時間間違えていたことに、自宅を出たときに気がついた。
もはや遅刻は免れないが、少しでも早く到着するべく、携帯電話で乗り継ぎを調べる。

乗換駅では人目はばからず走って少しでも早い電車に飛び乗る。
東京駅から大手町東西線乗り場まで、徒歩10分と表示されているところを3分で走破。
遅刻している時分、慎みに欠けた考えだが、先日書いたとおり身軽になったので本当に足がよく上がり、息が切れることも無く、足そのものがまるで乗り物になったような感覚さえあった。
結果、ナビタイムの指示よりも2本早い地下鉄に乗って到着した。

昨日の貝沼君といい、気付けば年下のサックス吹きが、実に頼もしく立派なホールでリサイタルを開催しており、また期待以上の素晴らしい演奏に感極まるものがある。
それと同時に、出演者を始めとして客席の友人との会話の中でも、学生時代からの時の流れを感じてしまい、色々な感情が込み上げてくる。

今日の演奏会では、個人的にケックランのエチュードに注目していた。
実は私も来年取り上げようと考えており、客観的に聴くことができた。
学生の頃には気付かなかったが、この作品は素晴らしい。

ラメントとロンド

2007-09-21 23:11:13 | 日常
今日は尚美3、4年生の実技試験。
学生の試験では、最近下火になっている(と思う)サンカンの「ラメントとロンド」を二人の学生が演奏していた。
とは言え、そのうち一人は私の生徒だった訳だが、この曲は音楽的にも技術的にもバランスの取れた難曲(変な言い方だが)だと思う。

この曲の作曲者ピエール・サンカンは1916年生まれ。
亡くなったという話も聞かないのでご存命だと思うが、ならば今年で91歳ということになる。

夜は貝沼君のリサイタルに伺い、本日三度目のラメントを聴いた。
リサイタルは、彼らしい意欲的で正統派且つ趣のあるプログラムで、特に棚田、野平、デニソフのような現代作品は圧巻。
どの曲もごまかし無く、ありのままを聴かせられる技術は素晴らしい。
客層を見ても、皆から愛され、期待されているプレイヤーだと思う。

話を戻し、この「ラメントとロンド」は私も尚美の2年生の頃に試験で演奏したことがある。
その時の試験は、本番中にリードが外れるハプニングがあったのだが、詳しいことはまた何かの折に。
その演奏の良し悪しはさておき、当時伴奏していただいたピアニストが昨年末に肺ガンで亡くなったということを人伝に聞いた。

最後にお会いしたのは一昨年の秋。
そのときは何も変わらずお元気にお仕事なさっていただけに、訃報を聞いたときには大変なショックだった。

そのときからこの曲を聴くと色々思い出してしまうのだ。

身軽

2007-09-20 21:38:25 | 日常
昨日は試験の審査だけだったので、久しぶりに楽器を持たずに学校へ行ったが、思いのほか身軽で驚いてしまった。
普段は楽器ケースに楽譜も入れて、鞄に小物も入れているので、もちろん重量があるが、それよりも「楽器」を持っているという気遣いが、疲労感を増している原因なのでは思う。
当然粗雑に扱うことができない。

もうひとつ、身軽に感じたのは自分自身の体重かもしれない。
実はこの半年で12キロ痩せたのだが、楽器を持たず階段を駆け上がったときに以前との違いを感じた。

痩せた原因は体調不良だったのだが、今は良好で、むしろ以前より調子が良い。

実技試験

2007-09-19 21:46:29 | 尚美
今日は尚美の一年生、二年生の実技試験だった。
以前の項で書いているが、暗譜が義務付けられている。

特に独奏曲を勉強したばかりの一年生が、暗譜することにだけとらわれてしまい、中身の薄い演奏になってしまっては本末転倒なのだが、これも試練だと思って今日の反省を次回に活かして欲しいと思った一日だった。

木の音色

2007-09-18 23:14:45 | 日常
今日はいつもお世話になっているピアニスト原田恭子さんの演奏会に出かけてきた。

坂口弦太郎(va) & 原田恭子(pf) デュオ・リサイタル
 ムジカーザ
 ・メンデルスゾーン:ヴィオラ・ソナタ ハ短調
 ・シューマン:「おとぎの絵本」Op.113
 ・ヴュータン:ヴィオラ・ソナタ 変ロ長調 Op.36
  (アンコール)シューマン:三つのロマンスよりⅡ、エルガー:夜の歌

ヴュータンなる作曲家は恥ずかしながら知らなかったので、先ほど調べた。
アンリ・ヴュータン (Henri Vieuxtemps, ベルギー、1820-1881)
フランスで活躍したベルギー人のヴァイオリニスト・作曲家。

同時代の作曲家を並べて、ロマン派一色の演目だった。
客層の何割かは楽器ケースを、しかもヴィオラやヴァイオリンだけでなく、私も含めサックスのケースを持った人が多かったのには驚いた。

おそらく藝大生を中心とした恭子さん関係者。
やはり恭子さんの恩恵に与っているサックス吹きは多いのだ。

私はこれまでヴィオラという楽器に対し、音程が定まり辛い不安定な楽器というイメージを抱いていたが、今日の演奏会はそんな悪しきイメージを払拭するものだった。
豊かな木の音色が、ピアノの響きを縁取るように演奏していた。

ちなみにヴィオラの最低音はヴァイオリンのそれの完全五度下、チェロの一オクターヴ上の「ド」。
もしくは、アルトサックスの半音下とも言える。
最近、ヒンデミットのヴィオラソナタをアルトサックスで演奏するのが流行だが、最初の小カデンツでは半音下の「ド」が出せないばかりに、カデンツ全部を一オクターヴ上げることとなる。

最高音はそれぞれの奏者の努力次第。
音域は優に3オクターヴ半はあると思う。

演奏を間近で拝見、拝聴した訳だが、弓はヴァイオリンより短く、また持ち方もやや短く持っているように見えた。
音色は、ときにはヴァイオリンのように、ときにはチェロのように、どちらも兼ね備えた響きというのが、すなわちヴィオラの魅力ということなのかもしれない。

私も来月にブラームスのクラリネットソナタ第一番を演奏するが、馴染み薄いロマン派作品ということに加え、この作品を表現する上で必要な木の音色、悲愴感というものが壁になっている。
何人かのクラリネット奏者にこの作品のことを訊ねてみたが「この作品は弦楽器的」、「第一番はクラリネット版よりヴィオラ版の方が作品の持ち味が出る」という風に、当の本人達がずいぶんと及び腰なのには驚いてしまう。
私はそうは思わないのだが。

とはいえ、クラリネットにしてみても、ベーム式とエーラー式の音色の違いがあるし、しかも被献呈者ミュールフェルトはヴィブラート奏法だったということもあり、物議を醸すものであると思う。

世代

2007-09-17 21:55:43 | 日常
先日、ピアノのふみえさんからメールをいただいた。

今年のGapの講習会では、昔教えていた生徒の、更にその弟子たちが進出してきて、時の経つのを実感したとのこと。
ここ数年、サックス界はすっかり世代交代したのではと実は私も感じていたところなのだ。

単に時が経ったということはもちろんなのだが、例えば10年前とのレパートリーの違いがある。
特に無伴奏レパートリーが増えて、当時はセンセーショナルだったシュトックハウゼンやロバが今ではすっかりサックスの作品として定着したものになったといのが大きいのかもしれない。
最近では、ライブエレクトロニクスも徐々に浸透し始めて、昔からは考えられない方向に進んでいるような気がする。
来日サックス奏者も、以前はフルモー氏、ドゥラングル氏、ルソー氏だったのが、最近では諸氏に加えジェローム・ララン、ハバネラQ、オーティス・マーフィー等、確実に若い世代が進出してきた。

時を同じくして、フランス留学を始めた洗足の卒業生からもメールをいただき、この秋に様々な音楽院の入試を受けるため準備をしているとのこと。

私自身も以前は学生気分を引きずって、仕事を探しブラブラしていたのに、気付けば音大生を教えて久しく、教え子が留学するまでになってしまった。