明日はシンフォニックウインズ東京の演奏会で、今日は本番会場での練習、午後から分奏、夕方から全体にて、演目が大曲なだけにとても疲れた。
弦楽器セクションを担う人たちの分奏
我々演奏者は、実際に音を出すため、自身の演奏に責任を持って演奏すること、そして関係するセクションとのアンサンブルを考える。
それはもちろん、「聴く」ことがとても重要で、それは自分自身や他者の「発せられている」音をリアルタイムに聴いているわけだが、それに対して指揮者は、おそらく我々とは聴き方が少々、いや大分違うのではと思う。
特にリハーサルの際にはその違いが顕著に感じられ、指揮者は、まず音を出す前に速度や質感のイメージを演奏者よりも明確に持ち、それを何かしらのアクションで演奏者に伝え、そして実際の音を聴き、さらに、すでに過ぎた箇所を記憶して、中断した際に修正を加えたり、方向性を明確に定めたりする。
未来から過去への流れを捉えて、「伝えて」、「聴いて」、「修正する」という作業だ。
私も年に1〜2回、指揮者の真似事のようなことをするが、実はこの作業をしようと思うと混乱することがあり、小さい頃から抱いていた本職の指揮者への夢は、歳を重ねて知れば知る程に、どんどん遠のいていくような気がする。
指揮者と演奏者、両者の意見がいつも同じとは限らず、また、いつも同じものが「見えている」、「聴こえている」わけではなく、その際の両者の橋渡しをコンサートマスターが担い、この団体では私がその役を仰せつかっている。
その役割は、両者の意見をすり合わせたり、何かしらの提案をしたりと、指揮者と演奏者、両者のために何ができるのかを考えながら演奏したり、聴いたりするが、それも知る程に大変な作業だと感じるところだ。