hiroshi hara: saxophoniste

日々の思考の断片

基礎練習

2007-01-30 21:36:47 | sax関係
今日は自宅で久しぶりに音階練習をした。

個人差があるとは思うが、私は音階練習を大事にしている。
それはなるべく部屋に誰もいない独りきりの状態で行いたい。

部屋に誰かがいたとしても練習内容は変わらないが、意識するものが変わってしまう。
人がいると、否応なく出てくる音に対して意識してしまい、すなわち楽器の外側に対して意識してしまう。
それに対し、独りで練習しているときには、そのような意識はもちろん、音が出てくるために身体がどのような状態になっているのか、またどのような状態になるべきかという、楽器の内側に対して意識することができるのだ。

音階練習をしながら、身体の変化や動きを楽器に結び付けて楽器を身体に取り込む作業を行う。
それは時として音楽的でないこともある。
しかし音や演奏のイメージだけが先行してしまうと、身体の使い方を度外視してしまい、結局大きな負担がかかることになってしまう。

学生の頃は、そのような負担を体力でカバーするものだと思っていたが、あるところで限界を感じ、考え方を変えて現在に至る。

体力だけではどうしようもない部分がある。
むしろ余りある体力は、楽器への繊細な操作を妨げる可能性さえあると思う。

そういえばラリー・ティール著(大室勇一訳)サクソフォーン演奏技法の呼吸法の項でこのような文章がある。
「神様が人間という複雑な機械を発明されたときに、その機械がサクソフォーンを吹くということまで考えられたかどうかは疑わしいことです。しかし幸いにも、それにふさわしく改良する可能性の余地は残しておいてくださったので、我々は身体の種々の部分を極めて多くの方法で操作することを訓練できます。」

楽器に適応するための身体をつくらなければならないが、それは必ずしも体力や肺活量だけの問題ではなく、多岐にわたる奏法に幅を持たせることが大事だと思う。

結局はバランスが大事ということなのだろうか。

最新の画像もっと見る