今年最後の日。
夜23時頃、家の電話が鳴り、誰かと思えばピアノの伊藤富美恵さんだった。
わざわざパリから年の瀬のご挨拶にお電話をいただいたのだ。うれしかった。
久しぶりにハイテンションなトークですっかり頭が覚醒した。
富美恵さんは2002年ベルギー、ディナンのコンクールで伴奏してくださり、そのおかげで第一位をいただくことができたという、私の女神的ピアニストなのだ。
その後、CD「PCF」でも伴奏していただいた。
富美恵さんはただピアノが上手というだけでなく、曲や共演者、またご自身の気分で(良い意味で)常に演奏が変わりつづけ、その表現の多様さにいつも驚いてしまう。
「PCF」におさめられているデクリュックのソナタ嬰ハ調など、私よりもむしろ富美恵さんのピアノに聴き入ってしまう。
また会話の中でも、どんなにバカ話をしてたとしても、いつもそこに知性を感じるのだ。
富美恵さんとCD録音以来、今年は二年ぶりに再び共演できたことはとても嬉しかったし刺激になった。
その他今年を振り返ってみると、七月にスロベニアのコングレス、八月にフランスのキャプヴェルンの音楽祭に出演し、二度のヨーロッパの旅で、私自身の不甲斐無さを痛感したり、これからすべきことが明確になったりした。
コングレスでは同年代のヴァンサン・ダヴィッド、ジュリアン・プティ、ケネス・チェのあまりに素晴らしい演奏に度肝を抜かれ、期間中にやる気を無くしてしまった一幕もあったが、しかし最終日の演奏会に出演した際、共演したスロベニア警察音楽隊のメンバーに支えられながら、その中から私らしい演奏というものを見出すことができた。
キャプヴェルンでは様々な楽器とアンサンブルを行い、外国人だから感じるのか、思いもつかぬ思考や演奏が飛び出し、とても楽しかった。
もう一つはジェローム・ラランの紹介で知り合った作曲家、鈴木純明氏との出会いもあげられる。
今年二月に催されたアンサンブル・ヴィーヴォの演奏会では、チューバ、オンドマルトノとの共演をはじめ、スペクトル楽派の音楽、特にジェラール・グリゼイの作品に触れたことは大きな収穫で、その演奏会以後、私の演奏や音楽の概念が大きく覆った。
何がどのように覆ったのかは、また後日書きたいと思うが、今年は思考の変化とでも言うべき、人生の上でも大きな動きがあった。
十一月のディナンのコンクールでは外側から、私としては新しい視点で享受したこと。
純明さんほか、新しい出会いから刺激をもらったり、新しい動機付け(モチベーション)を得たりもした。
下世話な話だが、昨年と比べ今年は演奏の仕事が少なく、また二度も海外旅行したということもあり、実は生活が苦しかった時期もあった。
しかしながら、今年は人に媚びることなく、自分のスタイルを作り出し、またそれを貫くことができたし、儲けることやお金のことは考えず音楽に集中し、何よりも演奏することが本当に楽しく感じることができた。
来年はもっとこの楽器に近づけるように努力したい。
童心に返って、サックスを純粋にうまくなりたいと感じた充実した一年だった。
夜23時頃、家の電話が鳴り、誰かと思えばピアノの伊藤富美恵さんだった。
わざわざパリから年の瀬のご挨拶にお電話をいただいたのだ。うれしかった。
久しぶりにハイテンションなトークですっかり頭が覚醒した。
富美恵さんは2002年ベルギー、ディナンのコンクールで伴奏してくださり、そのおかげで第一位をいただくことができたという、私の女神的ピアニストなのだ。
その後、CD「PCF」でも伴奏していただいた。
富美恵さんはただピアノが上手というだけでなく、曲や共演者、またご自身の気分で(良い意味で)常に演奏が変わりつづけ、その表現の多様さにいつも驚いてしまう。
「PCF」におさめられているデクリュックのソナタ嬰ハ調など、私よりもむしろ富美恵さんのピアノに聴き入ってしまう。
また会話の中でも、どんなにバカ話をしてたとしても、いつもそこに知性を感じるのだ。
富美恵さんとCD録音以来、今年は二年ぶりに再び共演できたことはとても嬉しかったし刺激になった。
その他今年を振り返ってみると、七月にスロベニアのコングレス、八月にフランスのキャプヴェルンの音楽祭に出演し、二度のヨーロッパの旅で、私自身の不甲斐無さを痛感したり、これからすべきことが明確になったりした。
コングレスでは同年代のヴァンサン・ダヴィッド、ジュリアン・プティ、ケネス・チェのあまりに素晴らしい演奏に度肝を抜かれ、期間中にやる気を無くしてしまった一幕もあったが、しかし最終日の演奏会に出演した際、共演したスロベニア警察音楽隊のメンバーに支えられながら、その中から私らしい演奏というものを見出すことができた。
キャプヴェルンでは様々な楽器とアンサンブルを行い、外国人だから感じるのか、思いもつかぬ思考や演奏が飛び出し、とても楽しかった。
もう一つはジェローム・ラランの紹介で知り合った作曲家、鈴木純明氏との出会いもあげられる。
今年二月に催されたアンサンブル・ヴィーヴォの演奏会では、チューバ、オンドマルトノとの共演をはじめ、スペクトル楽派の音楽、特にジェラール・グリゼイの作品に触れたことは大きな収穫で、その演奏会以後、私の演奏や音楽の概念が大きく覆った。
何がどのように覆ったのかは、また後日書きたいと思うが、今年は思考の変化とでも言うべき、人生の上でも大きな動きがあった。
十一月のディナンのコンクールでは外側から、私としては新しい視点で享受したこと。
純明さんほか、新しい出会いから刺激をもらったり、新しい動機付け(モチベーション)を得たりもした。
下世話な話だが、昨年と比べ今年は演奏の仕事が少なく、また二度も海外旅行したということもあり、実は生活が苦しかった時期もあった。
しかしながら、今年は人に媚びることなく、自分のスタイルを作り出し、またそれを貫くことができたし、儲けることやお金のことは考えず音楽に集中し、何よりも演奏することが本当に楽しく感じることができた。
来年はもっとこの楽器に近づけるように努力したい。
童心に返って、サックスを純粋にうまくなりたいと感じた充実した一年だった。