hiroshi hara: saxophoniste

日々の思考の断片

今年の満足

2006-12-31 23:31:29 | 日常
今年最後の日。
夜23時頃、家の電話が鳴り、誰かと思えばピアノの伊藤富美恵さんだった。
わざわざパリから年の瀬のご挨拶にお電話をいただいたのだ。うれしかった。
久しぶりにハイテンションなトークですっかり頭が覚醒した。

富美恵さんは2002年ベルギー、ディナンのコンクールで伴奏してくださり、そのおかげで第一位をいただくことができたという、私の女神的ピアニストなのだ。
その後、CD「PCF」でも伴奏していただいた。

富美恵さんはただピアノが上手というだけでなく、曲や共演者、またご自身の気分で(良い意味で)常に演奏が変わりつづけ、その表現の多様さにいつも驚いてしまう。
「PCF」におさめられているデクリュックのソナタ嬰ハ調など、私よりもむしろ富美恵さんのピアノに聴き入ってしまう。
また会話の中でも、どんなにバカ話をしてたとしても、いつもそこに知性を感じるのだ。
富美恵さんとCD録音以来、今年は二年ぶりに再び共演できたことはとても嬉しかったし刺激になった。


その他今年を振り返ってみると、七月にスロベニアのコングレス、八月にフランスのキャプヴェルンの音楽祭に出演し、二度のヨーロッパの旅で、私自身の不甲斐無さを痛感したり、これからすべきことが明確になったりした。

コングレスでは同年代のヴァンサン・ダヴィッド、ジュリアン・プティ、ケネス・チェのあまりに素晴らしい演奏に度肝を抜かれ、期間中にやる気を無くしてしまった一幕もあったが、しかし最終日の演奏会に出演した際、共演したスロベニア警察音楽隊のメンバーに支えられながら、その中から私らしい演奏というものを見出すことができた。

キャプヴェルンでは様々な楽器とアンサンブルを行い、外国人だから感じるのか、思いもつかぬ思考や演奏が飛び出し、とても楽しかった。

もう一つはジェローム・ラランの紹介で知り合った作曲家、鈴木純明氏との出会いもあげられる。
今年二月に催されたアンサンブル・ヴィーヴォの演奏会では、チューバ、オンドマルトノとの共演をはじめ、スペクトル楽派の音楽、特にジェラール・グリゼイの作品に触れたことは大きな収穫で、その演奏会以後、私の演奏や音楽の概念が大きく覆った。
何がどのように覆ったのかは、また後日書きたいと思うが、今年は思考の変化とでも言うべき、人生の上でも大きな動きがあった。

十一月のディナンのコンクールでは外側から、私としては新しい視点で享受したこと。
純明さんほか、新しい出会いから刺激をもらったり、新しい動機付け(モチベーション)を得たりもした。

下世話な話だが、昨年と比べ今年は演奏の仕事が少なく、また二度も海外旅行したということもあり、実は生活が苦しかった時期もあった。
しかしながら、今年は人に媚びることなく、自分のスタイルを作り出し、またそれを貫くことができたし、儲けることやお金のことは考えず音楽に集中し、何よりも演奏することが本当に楽しく感じることができた。

来年はもっとこの楽器に近づけるように努力したい。
童心に返って、サックスを純粋にうまくなりたいと感じた充実した一年だった。

仏サックス協会会報4(最終回)

2006-12-30 23:31:16 | sax_仏サクソフォン協会会報

詳細については「sax_仏サックス協会会報」カテゴリーをご覧ください。


7)フランスのサクソフォーンについてどう思われますか?

様式感(スタイル)については個人差があるので一概には言えません。
ただフランスを中心としたヨーロッパ人は、
サクソフォンを身体の一部のように操っているイメージを抱きます。
そのイメージは日本人が笙などの和楽器を演奏することと同じものです。

私が考えるサクソフォンとは、音域によって抵抗や音色が変わり、
したがって楽器そのものに不具合があるため、
奏者は音楽性や技術の向上とはまた別の次元で、その不具合を緩和させる努力をしなければなりません。
このサクソフォンの不具合は誰もが感じるものだと思いますが、
しかしフランスで聴かれるサクソフォンの音色は、音域に関係なく均一です。

私はフランスのあまり上手ではない学生の演奏を観察したことがあります。
素晴らしい演奏とはいえませんでしたが、
しかしその不具合を感じない均一な音色に驚いたことがあります。




8)今後のコンサート等の企画、展望について教えてください。

サクソフォンの特徴の一つとして「持ち替えの妙」があげられます。
私はいくつかの企画案を持っていますが、その持ち替えを最大限に利用し、
聴衆を飽きさせない曲目の組み立てをしたいと思っています。
・一人の作曲家(もしくは複数の関わりの深い作曲家)に焦点を当てた演奏会。
・トランスクリプションや若手作曲家への委嘱。
・クラシックの名曲などを若手作曲家によって再作曲してもらうようなコラボレーション。


以上。

ジェローム帰国

2006-12-29 21:30:53 | 日常
結局ジェロームが1週間うちに滞在していたが、その間にあったサクソフォーン・フェスティバルなど、もう随分前のように感じる。

今朝、ジェロームを横浜駅まで送って、彼は無事に帰っていった。
来年5月、今度は私がジェロームの世話になる。
少しずつ準備を進めていこうと思う。

今日はその後、午後に自宅レッスンを行い年内の仕事は全て終了した。

はと気づけばもう年の瀬。
年賀状の用意などまだ何もしていない。
今年は今までになく忙しかったし、考えさせられることが多かった。

なにはともあれ、今日のような冬の晴間の澄んだ空気はさわやかな気分になる。

夕方から部屋を片付けたり練習したり。
今日は久しぶりに早く就寝したいと思う。

飲み会

2006-12-28 23:46:11 | 日常
午前中はジェローム、私共に自主練習。
午後は自宅レッスンを行なったり、休憩したり。

ジェロームが滞在して一週間、私もフランスという国が少し近く感じるようになったような気がする。
今後、楽器と言葉、お国柄との関連を考察した文章でも書こうかと思う。

夜は渋谷に繰り出し、大栗さん、ジェローム、私の三人で飲み会を行なった。

今日は運転しなくていいので、私も久しぶりにお酒を飲んだ。
ロンデックスのこと、これから作るCDのこと、それぞれの来年の計画など、同業の話題に花を咲かせて楽しかった。

アコースティック

2006-12-27 22:47:31 | sax関係
ジェロームがお土産としてフランスで手に入るCDをいくつかくれた。
その中にジャン=ピエール・バラグリオリのデクリュック作品集があり、今日聴いてみた。

有名なソナタ嬰ハ調は入っておらず、その他のサックスの為の佳作をたくさん聴くことができる。
確かにソナタは夫モーリス・デクリュックとの共作であり、純粋なデクリュック作品ではないのかもしれない。
「8つのフランスの小品」などとても繊細、且つ軽快でソナタの片鱗をうかがい知ることができる。

それはともかく、海外の器楽のCDはとてもデッドだ。
素材の音を良いところも悪いところもそのままおさめようという考えなのだろうか。
しかし慣れてしまうと、聴いていてとても自然で、逆に残響の多いCDは聴いていてだんだん疲れてくる。

アコースティック楽器は、どんなにきれいな音だとしても必ずノイズがある。
奏者はそのノイズとうまく付き合っていかなくてはならならない。
聴衆に聴こえないように排除してしまうことばかり考えてしまいがちだが、しかしこれは機械の連結部分にゆとりを持たせる「あそび」のようなもので、ノイズのない音は現実味のない音になってしまう。
かといってあからさまにノイズが入るのも問題で、どう活かすかが重要であり、おもしろいところなのかもしれない。

冬季講習会2

2006-12-26 23:50:32 | 日常
今日も洗足の冬季講習会。
受講者は期間中に二度のレッスンを受けることができる。
二日間で結果を出すことは難しいが、レッスンの中で気づき、これからの課題を明確にして、今後の練習に役立ててくれたらと思う。

帰ってきた後、ジェロームと来年の企画について話し合った。
来年5月にフランスで彼が演奏会やマスタークラスをオーガナイズしてくれることになり、内容や曲目を決めた。
ありがたいことだ。
内容はクラシカルなものが中心だが、まだ時間があるので、もう少し考えを煮詰めたいと思う。

冬季講習会

2006-12-25 23:44:54 | 日常
昨日のフェスティバルでは、わざわざ遠いところから尚美時代の旧友やレッスン生が聴きに来て下さり、とてもうれしく、また、たくさんの同業者の演奏を聴けて、元気を確かめ合って大変有意義だった。

そんなフェスティバルの余韻と疲労を引きずりながら、今日は洗足の冬季講習会へ。
中学生一人、高校生二人をレッスンした。
今日はレッスンを始める前からクタクタだったのだが、中高生の演奏を聴いて和んで元気になった。

そんなわけで、サックス吹きは毎年クリスマスなどないのだが、帰りがけにスーパーに立ち寄った際、惣菜コーナーで七面鳥の照り焼きが半額になっていたので購入。
本当に微々たるクリスマス気分を味わった。

うちに来ているジェロームはもう少し日本にとどまっているのだが、街のいたるところで見かけるサンタの出で立ちが滑稽に見えるようだ。
私はフランスのクリスマスを見たことがないのだが、ヨーロッパはやはり粛々と教会でミサをしているイメージがあるので、そう考えると確かに滑稽だ。
ピザの宅配のお兄さんなどいたたまれなくなる。
スクーターに乗っているサンタさんを見てジェロームが、"... trop Noël (クリスマスすぎる...)"という秀逸なコメントを言い放ち、笑ってしまった。

サクソフォーン・フェスティバル終了

2006-12-24 23:26:24 | sax関係
今年初の試みだった2日間開催が無事終了した。

午前中はジュニア・サクソフォーンコンクール本選の審査。
午後はジェロームとのデュオのリハと本番、夜は大合奏と続いた。

今の高校生は本当によく吹き、甲乙つけがたいコンクールだった。

ジェロームとのデュオはいささか準備不足の感はあったが、鈴木純明さんのアンチエンヌは大分慣れてきた。
アンチエンヌは機会があればぜひ楽譜を出版し、CD録音などしたいものだ。

今回演奏したアルスとアンチエンヌは、偶然どちらもグレゴリオ聖歌を題材にしており、宗教色の強いものだった。
一聴した限りでは、対照的な音楽に聴こえるかも知れないが、実は使われている素材はとてもよく似ている。

おそらくロバも純明さんも、同じようなメロディーを聴いてインスピレーションを得ているのだと思われ、我々も一つの素材を二人の作曲家の視点からとらえることができたように思う。

ロバのアルスは完全4度、完全5度、変拍子のための練習曲で、純明さんのアンチエンヌはスペクトラル(倍音を構造解析したもの)なスタイルで書かれている。
今回、特にアルスの完全5度のハモりが難しかった。
とはいえ、それがアンサンブルの難しさであり、醍醐味でもあるのだと思う。

大合奏は会を重ねるごとに規模が大きくなり、音が渦巻いて感動的だった。


フェスティバルは例年関係者は忙しく、息つく間もないほどだったのだと思う。
今日の打ち上げの宴たけなわの頃、池上先生が話した言葉がある。

「この楽器に少しでもお世話になっていると思っていたら、この楽器への恩返しのつもりで、このフェスティバルをこれからもぜひ盛り上げて欲しい。」

池上先生の言葉はいつも人を奮い立たせる。

今回のフェスティバルでは、普段あまり接することのない先生や学生たちと交流を持ててとても楽しかった。

サクソフォーン・フェスティバル1日目

2006-12-23 23:30:22 | sax関係
朝7時、車にソプラノ、バリトン、楽譜類、ジェロームの楽器を積み込み、ジェロームも乗せてパルテノン多摩へ向かう。
どこで渋滞するかわからないので、ゲネプロの10時までに3時間見て出発したが、思いのほか交通状況が良く、8時過ぎに到着してしまった。

スターバックスで時間を潰していたら、サックスを持った人がチラホラ見受けられた。
今日のフェスティバルでスタッフとして早めにきていた人たちだったのだ。

今日の私の出番はフェスティバル・オーケストラとサクスケルツェット(洗足教員アンサンブル)。

サクスケルツェット「ボレロ」のリハにて、ラテンパーカッション横山さんがスネアドラムをたたきリハを行なったのだが、基本的に素手でボンゴを叩くラテンパーカッション奏者が打楽器のバチなど持ったことも無いわけで、畑違いの横山さんはいろいろ戸惑ってしまい、何度かリハが中断してしまった。
横山さんは明らかに申し訳なさそうにしていたが、これは例えば私がジャズを吹くようなものであり、うまくいかないのも当然のことで、逆にお招きしたこちら側が申し訳ない気持ちになってしまった。

冨岡先生が曲の出だしと終わりを指揮してくださるということでリハを終えたが、その後も決して誰も悪くはないのだが、釈然としない気持ちが残った。
そして本番前、急遽冨岡先生の提案で、横山さんにはスネアドラムではなく、やはりラテンパーカッションでリズムを刻んでいただこうということになり、ぶっつけ本番で挑んだ。
横山さんの位置も若干変更し、いざはじめてみると、ボレロのリズムがいきいきしていた。
たとえ畑が違ったとしても、それに対し干渉せず、お互いの畑から「ボレロ」をとらえた、奇跡のような演奏だったように思う。

冨岡先生の提案や意見はいつも的確でおもしろい。
それは先生の天賦の才なのだと思うが、その他数々の経験から培われたものなのだと思う。

このサクスケルツェットをきっかけに、ベテランの先生方と共演できる機会を持つことができたが、冨岡先生のような世代の違う演奏家と一緒に演奏すると、その世代の見えているものとは何なのかといつも考えるのだ。
技術なのか、音色なのか、形式感、様式感、時代感、嗜好など、どの方向にどんなものが見えているのかとても興味がある。

自分自身、10代の頃と、現在の30代では見えているものが明らかに違う。
これまで否定的に感じていたものが、肯定的に感じられるようになったり、その逆だったり。
10年後のこのフェスティバルでは、どんなことを考えながら演奏しているのだろうか。

明日に備えて

2006-12-22 23:51:25 | 日常
今朝、ジェロームとフェスティバルの演目を合わせた。
曲目はクリスチャン・ロバのアルス、鈴木純明のアンチエンヌ。
鈴木作品はジェロームが委嘱し、我々が今年初演した。

アルスは完全5度を合わせるのが難しい。
アンチエンヌは各々のテクニカルな問題が残った。
本番は明後日の24日16:07頃からパルテノン多摩大ホールで。

午後からジェロームは都内へ出かけ、私は洗足のレッスンへ。
レッスン後は学生から明日の為にバリトンサックスをお借りし、アクタスへ向かい、練習していたジェロームを拾って帰宅。

実は洗足へ向かう途中、自宅近所の山手学院に立ち寄り、ウインターコンサートを少しだけ聴かせてもらった。
今日は忙しいので、まさか伺えるとは思っていなかったのだが、偶然少しだけ時間が空いたのだ。
もちろん生徒たちには伝えていなかったのでとても驚かれてしまった。
内容はアンサンブル演奏会で、各パートがそれぞれに趣向をこらして発表していた。
生徒たちが主体的に企画し、学食での手作りな催しがとても和み、私も本番前にこのような演奏会を垣間見れてとても良かった。

本番前は慌しいものだが、精神はいつも穏やかでありたい。

ジェローム・ララン

2006-12-21 23:57:31 | 日常
今日は朝からいつもの洗足レッスン。
今年最後のレッスンだったためか、欠席者はいなくて気持ちよく今年のレッスンを終えた。(まだ明日残っているのだが。)

夕方からサクスケルツェットで、昨日できなかった分の合わせ。
今日はバリトンでガイーヌ抜粋を吹いた。
その後、フェスオケの練習に参加。
程なくして抜け出し、横浜駅へジェロームを迎えに行った。

今日からしばらくジェロームがうちにホームステイし、フェスティバル24日に共に出演する。

ソプラニーノ

2006-12-20 23:07:40 | sax関係
今日はサクスケルツェット(洗足の教員アンサンブル)の合わせを洗足で行なった。
もう3日後に迫ったサクソフォーンフェスティバルに出演するのだ。

曲目はスカラムーシュ、ガイーヌ抜粋、ブエノスアイレスの春、ボレロの4曲。
小編成の作品もあり、乗り番降り番があるのだが、私は全乗りで、しかもソプラニーノ、バリトン、ソプラノと持ち替えする。

よく「頻繁に持ち替えして大変ですね」と言われるが、私自身は楽しんでいる。
この大学に勤めてから、ソプラニーノは年2~3回、バスは年1回ほど吹いている。
このような音大ならではの楽器を色々吹けるのはそれだけで楽しいし、色々な声部を享受できて勉強にもなる。

ソプラニーノ、バリトンは持っていないので借りるのだが、写真のソプラニーノは洗足から借りたもの。
この楽器は昨年秋に買ったばかりなのだそうだ。
ソプラニーノとしては吹きやすいが、ソプラニーノという楽器自体に慣れるまでにはもう少し時間がかかる。
とはいえ、本番までには間に合わせなければならない。

この楽器は音程感覚を試される楽器で、アンサンブルでは神経が磨り減り、ひどいときには人間不信にまで陥ることもある恐ろしい楽器だが、私はこの楽器を吹けなければプロ失格だと思っている。
ただ今日の練習では、他の先生方の音程が正確で、とても上手に吹いてくださるので、音のツボを定めやすく、吹きやすかった。

楽器掃除

2006-12-19 23:28:27 | sax関係
練習していると、特に高音域部分のタンポに水がついてくる。
この水分は放っておくとタンポが傷むので、拭取らなければならないが、私の場合、いつもタオルで拭取ってしまう。
本当は拭取る専用の布地や紙を使用するのが理想なのだが、私が楽器を始めた中学生の頃はそんな代物など無く、みんなタオルを使っていて、未だにその名残で使ってしまう。

タオルでタンポを拭取る際、いくつか守るべき事がある。
キーオイルなどの油がタンポにつかぬよう、タンポの水分を取る専用のタオルを作り、絶対にこすらず、こまめに拭取ること。

私はそもそも楽器に水が溜まるのが好きではない(好きな人はいないと思うが)ので、練習中でもスワブもよく通す。
独りで練習しているときなら10分~15分に一度くらい。
さすがに合わせなどでは遠慮するが、それでも休憩などあれば、楽器の掃除に余念がないのだ。

楽器の掃除に費やす時間を練習時間に充てれば、かなり練習できると思うのだが、それは無理な話なのだ。

昨日から今日へ

2006-12-18 23:30:38 | 日常
昨日はグールドとバッハに度肝を抜かれて何も書けなかったが、実は少し忙しくしていた。
昨日は午後から洗足のオープンキャンパスで二人レッスンした後、急ぎアクタスへ行き蓼沼くんのリサイタルを聴いた。
残念ながら前半は聴けず、後半から拝聴したのだが、彼の等身大の演奏を聴けてとてもうれしかった。
これらも彼らしく神経を研ぎ澄まし、繊細に且つ楽しく演奏会を展開してほしいと感じた。

また昨日は各所でアンサンブルコンテストが行なわれていたようで、うれしいお知らせや残念なお知らせが多々寄せられた。
コンテスト、コンクールとは、負けを学ぶものであり、なぜダメだったのかをよく考え、次回へ繋ぐことなのだと思う。
そんな中、次のステージに進むことができた人たちは、代表として凛々しく次のステージでも演奏して欲しいと思う。

今日はいつもの尚美レッスン。
レッスン終了後、楽譜を買いにアカデミアへ。
尚美からアカデミアへ向かう坂の途中、残り少ないイチョウの葉と青空がきれいだったので写真をとった。
特に春日の交差点は空気が悪くて有名なのだが、見上げてみれば、たとえ狭くてもちゃんと空があるのだ。

グレン・グールド

2006-12-17 23:27:21 | 日常
今日、以前から注文していた「ゴールドベルク変奏曲」のCDが届いた。
ネットを徘徊していたら、グールドの55年、81年のどちらの録音も収めたCDを見つけたので購入したのだ。
私の中でバッハとグールドは一対になっている。
グールドのCDはいくつか持っているのだが、この肝心なゴールドベルクだけは聴いたことがなかったのだ。

早速聴いてみて、年甲斐も無く子供のように感動してしまった。
私は自分と違う思考を持ち合わせた人や、違う奏法を持ち合わせた人にとても興味を抱くのだが、もはやそんなものを超えて、雲の上の演奏だった。
バッハに対し、内声部の隅々まで深く解釈している。

デビューアルバムと最後のアルバムに、この作品を選んだということも興味深い。
アリアに始まり、30にも及ぶ紆余曲折した変奏を経て、最後に再びアリアが戻ってくる。
この作品の構造とグールドの人生は重なっているのだ。