らんかみち

童話から老話まで

小泉東京都知事は無いのか

2013年12月19日 | 暮らしの落とし穴
 総理大臣まで務めた人が東京都知事選に出馬するなんてあり得ない話なんだろうけど、小泉さんが立候補でもしようものなら日本中がひっくり返るだろうね。執念の人、もとい信念の人だから、蓋然性はなくても可能性は否定できん。

 まかり間違って小泉都知事が誕生したら日本中がひっくり返るだろう。「日本はまだまだ捨てたもんじゃないぞ」という雰囲気に市場は活況を呈し、根拠の定かでない楽観が景気を下支えする。まるでバブルじゃないか!

 あり得ないことが起きたとき、人はそれを奇跡と呼ぶ。小泉首相は毀誉褒貶あったけど、小泉東京都知事は奇跡だ。サンタさんを信じていた童心に戻れるような気がする。菅元首相? ん、それも別の意味で奇跡のような気はするけど……。

今年はネズミが家に入ってこないが、なぜだ?

2013年12月18日 | 暮らしの落とし穴
 なんでだろ、今年はまだネズミが家に入ってこない。ネズミといっても昔のようにでっかいやつが天井裏を走り回ったりはしない。ハツカネズミというのか、大きいゴキブリを一回り太らせた程度のやつで色は、やっぱりネズミ色している。
 連中、ひどい悪さはしないけど、食品の入っているいろんな袋をかみ破るし、どこかにウンコやオシッコもしている。退治しないわけにはいかない。

 ネズミ退治には二つほどの選択肢があると思う。ワーファリンとかクマリンと呼ばれる血液をサラサラにする薬。それから罠だけど、ねずみ取り器とゴキブリ取りの罠。いずれも用意しているが、どっち系を行使しても、最後は自分の手でどうにかせにゃならん。死んで発見されるならいいが、たいていはそうじゃないからね。

 猫を飼っている家がある。「猫に餌をやるな」というお達しがあるので、みなさんひっそりと飼っている。もちろん野良猫もいて、年寄りの家へ夜中に盗人に入る。戸を開けたら閉めろ、バカ者!
 でも最近は野良猫もパワーがない。ゴミ出しは徹底しているし、家のセキュリティーもしっかりしたからね。でもそのせいで……と思うが、ハツカネズミが爆発的に増えた。でもなぜか今年はハツカネズミがいない。

 ぼくも猫は好きなんだけど、母が嫌いなので飼うことはできない。猫がいたらムカデが出ても教えてくれるし、ネズミも捕まえてくれる。でもペットに死なれると辛いからね。というか、猫との付き合い方が分からなくなってしまった。それは、ぼくだけじゃなく村の人も同じなんだろう。昔のように、野良猫が家々を回って餌をもらうシーンは見ることができない。

 快適な暮らしのために失ったものがあり、自分たちを縛っている何かがある。野良猫も野犬もいなくなったら快適な暮らしが保証されたかといえば、ノーだ。ネズミ、カラス、タヌキ、イノシシが増えただけだった。人間の知恵なんて、自然の摂理の中では浅薄なもんだ。

童話の花束が届いて・・・

2013年12月17日 | 暮らしの落とし穴


「童話の花束」が届いたよ。でもこの冊子って、公募に作品を出した人にしか送られてこないはず。ということは……出してたんだぁ。まず入選することのない、この公募が嫌うような作品で応募していたので、出したことすら忘れていた。

 この公募は、子どもを子ども扱いした優しげな作品が入選することが多い。よほど優れた作品であるならその限りではないけど、主人公を実年齢より2歳ほど幼く見積もって書かないといけない。
 そんなんで子どもが読んでくれるんかなぁと懸念しても始まらない。なにはともあれ審査員向けに書くべきなのだが、あえて怠ってしまった。

 落選した作品を書いていたころは叔母がまだ元気で、あっちの病院こっちの病院と、ぼくは介護タクシー代わりに使われていた。めんどくさいなぁと敬遠気味だったけど、数ヶ月後に死なれてみると、もっと大事にしてあげりゃ良かった、アホやったなぁ。

 今年もあと少し。鎖骨を折ったのも、傷口が塞がらなかったのも叔母の祟り、とは思っていない。迷信みたいなものを信じるタチじゃないけど、回りはどんな噂してるんだか。

 忘れてしまいたいことばかりで忘年会がいくつあっても足りない今年だけど、出られるようなコンディションじゃないしね。あ、そうそう、防災士の試験は合格だった。どうってことない試験だったけど、鎖骨が折れた状態で心臓マッサージとか、忘れられない年だった。ま、今年も命まではとられなかったんで、とりあえず叔母に感謝しておこう。

中田聖子チェンバロ・コンサート

2013年12月16日 | クラシック音楽


 恒例となった中田聖子女史による年末チェンバロ・コンサート。今回はバッハのフランス組曲全曲らしい。フランス組曲は全部良い曲、というかバッハの曲で駄作と評されているのを知らない。なので是非とも聴きに行きたいけど、今の体調では荷物は持てないし、満員電車にも乗れないだろうね。車っていう選択肢、それはもっと怖いぞ!

 今年最後の診察だったけど、薬はまだしばらく飲んでくれとおっしゃる。傷口が化膿しているわけじゃないし、レントゲンや血液検査でも感染の兆候はない。抗生剤の点滴で功を奏して治癒したというエビデンスを認めないというんじゃないけど、傷口を洗浄してマキロンで消毒したあげく、リンデロンVG軟膏を塗って治ったと自分では思っている。しかも使用期限切れ!

 ドクターとしては、埋め込んだプレートの直ぐ上の皮膚がトラブったということで、チタンから感染した可能性を疑ったんだろう。ぼくとしては、傷口を保護するテープにかぶれた皮膚疾患だと考えている。もし皮膚科に行ったら患部を清拭して軟膏を塗られていたと思う。田舎の整形医でもそうするんじゃないかな。昔のやり方といえばそうかも知れないけど、臨機応変に傷と向き合ってほしいね。


バッハ/フランス組曲第1番 Bach/Französische Suiten Nr.1 BWV 812 武久源造


 曲は盲目のチェンバリスト、武久源造さんによるフランス組曲第1番BWV812のクラビコード演奏。ややエキセントリックな感じを受けるんだけど、こういうのもありなんだろう。中田聖子先生だったら多分やらない、いや絶対にやらないんだろうね、鎖骨を折るとか、よっぽどの体験をしない限り……。

卵の値上がりも秘密保護

2013年12月15日 | 暮らしの落とし穴
 物価、上がったよねぇ。8月頃から、卵ワンパック98円の特売が消えてしまった。大好きだった薄揚げ、パッケージも値段も同じだけど、一回り小さくなってしまって買う気が失せた。ウィスキーもひと頃値上がりしてたけど、それって円安になる前に仕入れたんだよね、なんで消費税が上がる噂に便乗して値上げするの?

 ボージョレー・ヌーボーは味がどうこう言う前に、去年より値が高かった。個人情報保護法が成立したとき、ただちにどうのこうのって影響は感じなかったけど、今はあの法律が高い壁となって生活を脅かしている。
 隣近所、村の年寄りたちの現況を知りたくても、行政は情報を提供してくれないので自治会長が一戸一戸たずね歩いて要支援者マップみたいなものを作らなくてはいけない。あの法律に反対する声はあったのに、何もしなかった自分を今は悔いている。

 秘密保護法についても懸念を持ちながら、ぼくは何もしなかった。嫁も子どももいないから、日本の未来がどうなろうか知ったこっちゃない、という気持ちが無かったかといえば嘘になる。
 でも、あの法律は何が何でも成立させるべきではなかったのではないかと、今はくよくよしている。

 日本の頭脳が海外に流出し始めているらしい。実感はできないけど、芸術はもちろん産業も空洞化が加速しているという、なぜだ! 

隣人を愛することができるなら

2013年12月14日 | 暮らしの落とし穴
「1日1分半の英語ジョーク」から。

“It is easier to love humanity as a whole than to love one's neighbor.”

「隣人を愛するより、人類を愛する方が簡単だ」

 うぅ、これってジョークというより、普遍的な真理じゃないかい? どこの誰とも分からないおじさんと援助交際しても、隣のおじさんとはできんのと同じ……ちょっと違うかも知れないけど。

 もっと切実で悲しいのは、隣人は愛せても親類を愛せないという場合。まだ死んでもいない親族の遺産相続を巡って喧嘩しているってのは良く聞く話だ。
 宝くじを買ってもいないのに、当たったときの金の使い道を巡って夫婦げんかし、挙げ句の果てに別れ話に発展した、なんてアホらしい話も。一般人ならジョークで済ませるけど、王様ともなると。

「粛清」という字面は悪くないと思うけど、耳で聞く印象は残虐で血も涙もない行為そのままじゃないか。叔父さんが信用ならないからって粛清される、いわんや人民をやだから、人権とかっていうレベルじゃない。
 あの国の王様が愛しているのは何なんだろう。まかり間違っても国民じゃないだろう。まして嫁なんか信用してないだろうし、子どももいないのなら、権力そのものを愛しているとしか考えられない。結局あの国は、日本の戦国時代以前なんだろうね。

陶芸指導のサクリファイス

2013年12月13日 | 陶芸
        
              

 陶芸指導は毎年のことながら、今年痛切に感じたのは、子どもの数が少ない! 2年生の全員で16名なんだと。子どもたちの作品は手直ししないといけないので、数が少ないと我々が楽ってことはある。でもそんなの喜ぶわけにはいかない。数年前に出生率0ってこともあったから、この先いったいどんなことになるんだろ?

 作陶指導は昨日だったけど、今日は彼らの作った湯飲みの手直しをした。これも毎年のことながら、陶芸クラブ仲間でもめるんだよね。その中心人物は、やっぱり要釉斎先生、齢およそ90。元教育者の先生としては、子どもたちに良い作品を残してやりたい、という一心でライフワークとして位置づけている。
 他のクラブ員たちは、ボランティアでしんどいことやってられるか、とモチベーションが上がらない。それに要釉斎先生ほどの技術もないから、万が一壊してしまったら、と腰が引けてしまっている。

 結局、最後まで残って要釉斎と共に手直ししたのは、ぼく一人だった。それもクラブ員の手直しの手直し。ま。ぼくだって最初の頃は要釉斎先生に手直ししてもらったんだから、だまってやらせてもらいますけどね。
 ただ、要釉斎先生の審美眼で手直しされて良い品になったとして、はたして子どもたちは自分の作品という愛着が湧くだろうか。

 ぼくが初めて陶芸作品を作ったのは、たぶん6年生のときだったと思う。班分けされた中に好きな女の子がいて、ずいぶん緊張しながら粘土をいじっていたせいか、どうにもこうにもならない。見かねた先生が手を貸してくれたんだけど、先生は自分の世界に没入してしまい、自分の作りたいものを作り上げてしまった。

 好きだった女の子は、後に美術の教師になったくらいなので、陶芸作品も上手に作っていた。焼き上がっても彼女の作品はとても良かったけど、ダントツでぼくの作品が……いや先生の作品が素晴らしかった。
 その作品はいま見ても優れていると思うけど、愛着は感じない。自分で作れなかったことも悔しいが、彼女の前で先生に手助けされた惨めで切ない思い出がよみがえってきて、見る気がしない。
 要釉斎先生をはじめとする我々が中学生たちの作品を手直しすることによって、ぼくのような犠牲者を生み出しているんじゃないかって、それだけが気がかりだ。

今年の漢字に物申したい

2013年12月12日 | 暮らしの落とし穴
 イタリアの気候と日本のそれは似ているといわれる。この表現は、A.ヴィヴァルディのバイオリンコンチェルト「四季」を解説するときに引き合いに出される。ここ瀬戸内海も「地中海的気候」や「東洋のエーゲ海」などと例えられることが多い。けど、地中海に住んだことはもちろん行ったこともないから、知らんがな。

 ぼくの好きなアーティチョークという食材は、この地中海辺りで良く栽培され、消費も多いのだとか。アーティチョークのオイル漬けを作りたくてネットを検索すると、イタリア人と結婚した日本人女性がレシピを紹介してくれていたりして、とてもありがたい。
「イタリアでは夏にアーティチョークを漬け込み、冬になるとその瓶を開け、楽しかった夏を思い出しながらいただきます」というセリフは定番らしく、素直に信じてオイル漬けを作ったのが6月の始めだった。

 アーティチョークが食べ頃を迎えたときって、日本だったらまだ梅雨前だよね。個人的な恨み言じゃなく、夏の楽しさなんてなかった。やっと夏を迎えたと思ったら叔母が突然亡くなり、そこから先はうんざりするようなことばかり。
 夏の楽しい思い出というより、パンドラの箱を開けるような気分で今宵アーティチョークのオイル漬けを開けてみる……やっぱ美味しくない! 初めての仕込みの時は良いレシピが見つからず、作り方もでたらめだったからな。

 うんざりの後は骨折して手術。尋常でない回数の通院という困難が続いたかと思ったら、怒り心頭に発する行為が露見した。相手が絶対的な権力で、住民の感情が蹂躙されたという図式をスルーできるわけない。
 腹立ち紛れにアーティチョークのオイル漬けを開け、今年の漢字は「怒」だなとテレビを観ていると「輪」だった。
 メニュー偽装の「偽」もあったかなと思うけど、「輪」のほうが良いに決まっている。来年まで「秘」とか「偽」なんて漢字は引きずりたくない。気持ちよく年を越したいよね。

姿勢矯正ブラを装着、するわけないだろ!

2013年12月11日 | 暮らしの落とし穴
 オードリー・ヘップバーンさんの映画を全部観たわけじゃないけど、あの女優さんを美しく見せている要素の一つに、背筋がピシッと伸びたところは否定できない。首も長いけど、痩せていて肉感的な美と一線を画しているのも清潔感を加速している。

 女優さんはおしなべて姿勢が良くて背筋も美しいわけだけど、オードリー・ヘップバーンさんの場合は特別に美しいと思う。映画「My Fair Lady」で、育ちの悪い粗野な女が貴族たちをだませるわけだ。これぞ説得力というやつだね。

 鎖骨を折って背筋伸ばしバンドを装着するようになってからというもの、どうやらぼくも背筋マニアになってしまったらしく、その手の商品に目がない。
 生協のカタログも目をこらしてその手の商品を探しているんだけど、なかなか見つからない。何週間かしてようやく見つけたのは「姿勢矯正ブラ」だった。危なく注文するとこだったよ。

タイ国にあこがれて

2013年12月10日 | 酒、食
 なぜか姉がタイ国の食品を送ってくれた。グリーン・カレーとかトムヤム・ラーメンなんかは食べたことあったけど、この缶詰はなに?



 検索してみると、ケムチャイという食品らしい。「鳩の缶詰じゃないよ」というリポートも読めるんだけど、味がどんなものか良く分からない。



 缶詰に印刷してあるように、白菜に似た外観の野菜らしいというのは分かるんだけど、缶詰を開けた瞬間に卒倒してしまうような超ウルトラ芳醇な香りがしても困る。ドリアンみたいにね。なのでタイ国に住んでいた人を訪ねて缶詰を見てもらった。
「どれどれ、塩に砂糖、それから味の素がふんだんに使われているね……食べない方がいいんじゃない」って、食べたいから聞きに来たんだよ!

 タイが好きでタイ語を習ってタイに住んで仕事していたんだろ。だったらタイの食材についても詳しくて好きなんじゃない?
「日本食が世界で一番だよ」
 ふ~ん、じゃあ女性は?
「遊ぶんだったらタイ女性が最高さ」



 タイの先生、これに関しては当てにできないってことで、とりあえず缶詰を開けてみた。香りは、何かの古漬けを思わせるが、食べてみると後を引くしつこさはない。驚いたのは食感で、パリパリでもなくプルプルでもなく、シャキシャキでもなく、パルパルとでもいうような歯ごたえというか崩壊感が素晴らしい。
 甘ったるい漬け物のような味ではあるけど、紹興酒を飲みながらつまむと、胸をわしづかみにされるようなフィット感がたまらない。

 もしかして、メコンウィスキーと呼ばれるタイの焼酎なんかだと、もっと合うのかも知れない。しかし残念ながらメコンウィスキーそのものが入手難になっている。大阪に住んでいたころは普通に買えたし、タイ料理店では当然の酒だったのにね。
 本物のウィスキーが安くなって、メコンウィスキーがその役割を終えてしまったってことだろうか。ぼくが飲みたいって憧れるのも、ノスタルジーを満足させたいだけかも知れない。