らんかみち

童話から老話まで

日本の食文化は、遺産じゃない

2011年07月06日 | 酒、食
 昨晩作った焼き餃子の残りをまた焼く気にはなれず、今夜は少し涼しいこともあり水餃子にしてみました。水餃子のスープというのも売られてはいるけど、フカヒレスープだろうがミネストローネだろうが、はたまたトムヤムスープだろうが、自分が合うと思えば何でも良いと思います。中国人が聞いたら怒りますか、いや、寿司が日本食ではなくなったように、もはや餃子もローカル食ではないのでしょう。

「日本食文化も世界遺産に」と、農林水産省がユネスコの世界無形遺産への申請に向けて動き出したとか。すでに地中海料理などが登録されているなら日本料理も登録されて何の不思議がありましょう。
 だけど、いったいどの時代の日本料理を申請するのでしょう。例えば江戸時代の伝統をそのまま継承している蕎麦切りでしょうか、それともフランス料理などの盛りつけを参考にしながらも、和の食材を使って若者受けする最先端の料理でしょうか。

 よく「創業300年の伝統を今に伝え、昔ながらの製法にこだわった……」みたいなキャッチフレーズがあるけど、醤油一つを取ってみても、その大豆や小麦は当時のままかい、塩はどうなの? などと小姑みたいに突っ込みたくなってしまいます。
 食文化全体を申請するとしても、戦後「小麦を食え」と、田んぼをつぶしてパンを食うように仕向けられたわけだし、喜んでハンバーガーとコーラの文化に突入しましたよね。ここのところが既に登録済みの「フランスの美食術」などとか決定的に違う部分ではないでしょうか。

 もっとさかのぼれば、キリスト教が「人間は万物の霊長である」という思想を持ち込む前の日本人は、狐も狸も、あらゆる動物を分け隔てなく畏れ敬っていたはず。それが証拠に、お稲荷さんとか動物の神さまが、そこかしこに祀られているではありませんか。
 牛は人間より劣るから食って当然だ、みたいな思い上がりは当時の日本人にはなかったと聞くし、食べられた動物は一段上のステージに昇華する、という思想があったのではないでしょうか。

 世界「遺産」というなら、その時代の……ああだけど、仏教が入ってくる前はどうだったのかと問われたら困るなあ。とにかく「遺産」というのにはちょっと抵抗を感じるんです。現在進行形じゃないか、日本の食文化は死んどりゃせんがあ! と暴れたくなる気分。
 どなただったか、有名な伝統技能の継承者が「伝統を伝えるというのは、創造し続けることである」とおっしゃっていました。時代に迎合するのではなく、ポピュリズムに流されることもなく、しかしながら新しいものを絶えず求めることが、伝統の精神を伝えることにつながるというのです。
 創造し続ける日本の食文化、はたして世界遺産に登録されるのでしょうか、楽しみです。