らんかみち

童話から老話まで

捜索隊に見放されて死ぬのは気の毒すぎる

2009年08月02日 | 社会
 夏草の繁茂が捜索隊の行手を阻んでいるのを理由に、行方不明になった小型ヘリの捜索は打ち切られたとか。探すのを完全にやめたというのではないにしろ、遭難者が生きて救助を待っているかもしれないなら、仕方ないのかと思う反面、なんかやり切れん。
お前には関係ない話だろうが、といわれたらそれまでなんですが、うっかりミスというのをよくやらかすぼくとしては身につまされるというか、他人事で済ますのもなあ……。

バイクのモトクロスレーサーを目指していた子どもの頃、島にはモトクロスクラブの所有する練習場がありました。先輩の一人は後にプロのレーサーになるんですが、その人をしのぐ才能を持った人が行方不明になったことがあります。
駐車場にはバイクを運搬するための軽トラックが残されている、ということは、山岳コースのどこかに転落したのではないか? 捜索しても見つからなかったんですが、二日目になって彼は自力で戻ってきました。やはりコースから谷底に転落していて、骨折はあったものの、わりと元気だったようです。

バイクの一台なんて夏草に覆われたら見つけることはできない、たとえ息があっても諦めるしかない場合もある。そんな昔の不条理を思い出したのは、先日のしまなみ海道でのバイクの死亡事故を目の当たりにした人に会ったからです。
「胸を押さえてあえいではおられたけど、立っていたのでまさか亡くなるとは思わなかった」といったのを聞いて驚きました。
ずいぶん前のこと、知り合いのお父さんが車にはねられて亡くなったとき、死因が不自然なので司法解剖したのだとか。事故による死亡と結論付けされたものの、医療事故の可能性も捨てきれず、釈然としないものが残りました。

人が生きていくうえでこうした不条理は避けられないとは思う。ゴルフ場で穴に落ちて亡くなることだってある。旅客機の中をワニが歩いていることもある。この日記を書いている瞬間にも、ふと後ろを見たらライオンがいて、がぶりと食われることだってあるかしれない。
そういう不可抗を受け入れないとやってられないってことはあるるにしても、捜索隊に見はなされるってのは、かわいそう過ぎる。

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