らんかみち

童話から老話まで

恨ではなく、赦しで今日という日を迎える

2014年08月06日 | 社会
 韓国ドラマ「蒼のピアニスト」の第1話をたまたま観てしまった。韓流らしいというか、富豪と貧民が同じ目標で競い合い、一人の女性を巡って恋の駆け引き。良くあるテンプレートだけど、悪人は徹底的に悪で、善人はどこまでも善、と韓流は設定が極端だ。

 このドラマの下敷きに、宮脇明子さんのピアノ漫画「金と銀のカノン」がないといえば嘘になりそう。もっとも、一色まことさんの「ピアノの森」だってエリート少年と貧しい天才少年、ライバルと友情といった図式は同じ。違うのは、韓流の場合は登場人物が理不尽に死んでいくこと。やっぱ韓国人の根底にあるという恨(はん)の情念が通奏低音のように流れていてこその韓流なんだろうな。

 今年で被爆69年。平和記念式典が粛々と行われるのを見るにつけ、もしも原爆が朝鮮半島に落とされていたら、こんな静謐な式典で済むようなことはないだろう。およそ南北合わせて8000万人ともいわれる人々から発せられる恨のエネルギーが、式典で毎年爆発しているに違いない。

 つくづく日本人はお人好しだと思う。日本が降伏する寸前だったのに「戦争を早く終わらせるため」という屁理屈の下に原爆実験で無辜の市民が大量殺戮された。米国に対して、日本政府がこの責任を追求してこなかったのはどういうわけだろう。方や韓国では、未だに従軍慰安婦の問題を追及するというのに。

 日本人には恨という情念がないというなら、平和憲法、戦争放棄、反核をもって原爆投下という戦争犯罪に向き合うべきだろう。日本の軍国化、いわんや核武装化などというのは、原爆投下に正当性を与えるだけだ。
 恨ではなく、赦しの高みから戦争放棄、反核を世界に向けて説くことこそが、成熟した平和国家を標榜する被爆国日本のアイデンティティーなのではないのか。今日という日を単なる記念日にすることがあってはならない。

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