らんかみち

童話から老話まで

お接待は、爆発だろう

2014年04月20日 | 社会
 島四国八十八か所の遍路縁日二日目。納経印を押すためにお堂に座っているのは、ちょっとした修行かもしれない。いつ来るか分からないお遍路さんを待っているって、恋人を待つ気分に似ているかな。

 お参りする人のために「お接待」の品を用意しているんだけど、途中で切れてしまった。一人では対応できなくて、「切れてしまって、甘夏だけしかなくてすみません」と謝ったんだけど、そのお遍路さんは帰り際に「お接待の品を切らせるなんて!」みたいなことをおっしゃった。

 こちらとしては、お遍路さんへの「ねぎらい」の気持ちを伝えたくて食べ物を用意したり、お茶を出している。見返りを求めているわけじゃないんだけど、お遍路さんがもたらす地元への経済効果を理由に、「当然の権利」みたいな特権意識を持っている人もいるらしい。

 連綿と続くお接待というのは、お遍路さんと一緒に歩いてくれる御大師さんのため、という思いが根底にあるからこそ、遍路道を歩いて修行に励む人に手を合わせるわれわれだけど、結局のところ生きて歩いている人への施行だと思う。
 
 2003年頃の当地は、「西瀬戸自動車道バブル」とでもいえそうな時期があって、お接待が過熱したことがある。経済的に沈滞している今でこそ、お接待の競争なんてバカバカしいと思うかもしれないけど、現実に起きた出来事だ。
 
 車遍路が当たり前になった今、お遍路さんによる経済効果は限定的だ。地元の民宿や旅館に訴求効果があれば、魅力があるならお遍路さんは泊まってくれるし地元にお金を落としてくれる。

 今はまだ機運が醸成されていないけど、200年かけて我々のDNAに刻み込まれてきた「お接待の理念」みたいなものが飽和を迎えるのはそう遠くないと思う。「お接待は、爆発だ!」というような時が来る。ぼくは、それを見届けたいと思っている。

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