台風が近づいているので、桟橋に繋いでいた船を沖に繋ぎかえる作業で早朝から大童でした。徹底した漁師村ではないので漁港といっても慎ましく、防波堤の工事は小泉構造改革のあおりを受けて中途半端な状態で放置されたまま。そんなだから桟橋に繋いでいて、台風の横波を受けて釣り船が沈没した例もあるのです。
何を言っているのか分からないかもしれません、ぼくも親方に言われても意味が分からず、実際に船を海に下ろして初めて分かったんですから。
そんなことやってたら童話講座には到底間に合わんだろうなと、昨夜お師匠さまに連絡をしておいたんですが、パン屋のQちゃんが手伝ってくれて思いのほか早く作業を終えることができました。
これなら童話講座に間に合うかも、とバイクを飛ばすんですが、あいにくの雨ではカッパに頼りつつ安全ライディング。ちょっと遅れたものの、ヒーローは遅れて現れた方が印象的なんだよね、なんて悠々と顔を出して「あら来たの」といった顔をされた日にゃ立つ瀬が無いっての。
今日の合評はまず26枚作品から。丁寧な描写に定評のある方の書かれたものですが、細かい描写を心がければそれなりに問題も発生する。書かなくてもいいことを書いたがゆえに、あるいは書き切れなかったために、つまり良かれと思ったものが足を引っ張ることは、ままあります。だったら描写を捨てればいいじゃないかと思う、でもそれでは作品から潤いが失せるだろう。
ぼくは描写が下手なのでストーリーで読ませようとするんですが、それでは長い作品を書くことは難しい。(故)向田邦子さんは「神は細部に宿る」と、おっしゃったとか。つまり文学作品においてはディテールこそが命であろうと。もちろんそれはストーリー性があった上での説得力という意味合いかと思います。
ぼくの5枚作品、これは評価が分かれました。もしNHKの「俳句王国」だったら「1点句ですが」と、そりゃあ辛らつな評だったんですが、作者を明かさねばもっと無遠慮な評価が下ったに違いありません。これこそ合評の有り難さです。
公募の審査員って、子どもですか、違いますよね。たいていはお年を召された重鎮と目されるかたの子ども目線での審査じゃないかと思います。
童話というのは、子どもに届ける前にお爺ちゃん、お婆ちゃんを納得させられる、うならせられる作品でなければいけないんです。新しいものを肯定するのは良いとして、古いものを否定してはいけません。つまり戦時中に検閲を通過して恋文を届けた要領でしょうか、だったらこいつは難しい。
何を言っているのか分からないかもしれません、ぼくも親方に言われても意味が分からず、実際に船を海に下ろして初めて分かったんですから。
そんなことやってたら童話講座には到底間に合わんだろうなと、昨夜お師匠さまに連絡をしておいたんですが、パン屋のQちゃんが手伝ってくれて思いのほか早く作業を終えることができました。
これなら童話講座に間に合うかも、とバイクを飛ばすんですが、あいにくの雨ではカッパに頼りつつ安全ライディング。ちょっと遅れたものの、ヒーローは遅れて現れた方が印象的なんだよね、なんて悠々と顔を出して「あら来たの」といった顔をされた日にゃ立つ瀬が無いっての。
今日の合評はまず26枚作品から。丁寧な描写に定評のある方の書かれたものですが、細かい描写を心がければそれなりに問題も発生する。書かなくてもいいことを書いたがゆえに、あるいは書き切れなかったために、つまり良かれと思ったものが足を引っ張ることは、ままあります。だったら描写を捨てればいいじゃないかと思う、でもそれでは作品から潤いが失せるだろう。
ぼくは描写が下手なのでストーリーで読ませようとするんですが、それでは長い作品を書くことは難しい。(故)向田邦子さんは「神は細部に宿る」と、おっしゃったとか。つまり文学作品においてはディテールこそが命であろうと。もちろんそれはストーリー性があった上での説得力という意味合いかと思います。
ぼくの5枚作品、これは評価が分かれました。もしNHKの「俳句王国」だったら「1点句ですが」と、そりゃあ辛らつな評だったんですが、作者を明かさねばもっと無遠慮な評価が下ったに違いありません。これこそ合評の有り難さです。
公募の審査員って、子どもですか、違いますよね。たいていはお年を召された重鎮と目されるかたの子ども目線での審査じゃないかと思います。
童話というのは、子どもに届ける前にお爺ちゃん、お婆ちゃんを納得させられる、うならせられる作品でなければいけないんです。新しいものを肯定するのは良いとして、古いものを否定してはいけません。つまり戦時中に検閲を通過して恋文を届けた要領でしょうか、だったらこいつは難しい。
さっそくやってきました。
この目線という問題は、私もじつは常々考えていることなんです!
私もこのことで悩んだ時期がありました。
公募するからには、受賞したい。
審査するのは、概ねお年寄り。
しかし、お年寄りといってもみなさん書き手。
書き手であるからには、子供の目線のある方々。
だから、子供目線で書いても解っていただけるはず。
こんなふうに考えています。
子供ってばかにできない厳しい存在ですよね。
私は、子供が楽しんで読めるものは、大人も楽しめる物だと思っているんです。しかし、大人が楽しむものは、子供に必ずしも楽しめる物ではありません。
正直、公募によっては、とてもとても子供の読み物とは思えない物があるのも本当ですよね。
たとえば、J○○○とかアン○○○○は、完全に大人の読み物というかショートストーリーだなと思う物が多いです。童話といっても、「大人から子供まで」と明記してあるものもありますしね。なので、受賞作品を読んで、ここは、子供向けというよりも「ストーリーを募集しているんだな」と思ったら、そこにはもう応募しません。(態度だけはいっちょまえにでかいのです)
こんな考え方で頑張っています!!!
とはいえ、この2週間何も書いていません・・・あせるな~
「子どもに生まれたんだから、その頃を思い出せばよろしい」と、お師匠さまはおっしゃいますが、子ども目線になるって至難ですよね
だからぼくの作品は下読みの段階で落とされてるんじゃないかと思ってます
いま朝日新聞に連載されている「七夜物語」の主人公は小学4年生ですが、小学生に読めるものではないし、読んでくれないのではないかと思います(暗ぁ~い)
主人公に副った1,5人称みたいな体で書かれてますが、どうみても大人向けの童話って感じです
お師匠さまいわく「童話だからといって必ずしも主人公を子どもにする必要はありません」と
確かにジョちゃんの公募は、お爺ちゃんお婆ちゃんを主人公にしている作品が入選してます
アンちゃんの公募にいたっては、若い女性を読者に設定しているのではないかと想う選考ですよね
うちの教室は、お師匠さまがこだわらない方なので、エッセイやエピソード、怖い話や川柳まで見ていただいて応募してますよ(ぼくは見てもらいませんが)
「何を書いても童話作品を書く上で必ず役に立つときがくるでしょう」との言葉を信じて挑戦するんですよ
公募先が童話だとおっしゃるなら、自分自身で手かせ足かせをはめずに、要求に迎合されてみるのもありでは?
「プロの作家は出版社に依頼されて書くわけですから、迎合しているといってかまわないでしょう」
というわけですが、まあその中で自分色をいかに出すかってことでしょうね
ああ、そんなこといいつつも、ここんとこぼくも書いておりません!
A新聞の連載小説ですが、ちょいとませた小学生に与えたら読むんじゃないかと思います。
私事で恐縮ながら、確か小3のときに『ノンちゃん雲に乗る』を買い与えられました。楽しく愉快に読んだってワケじゃなく、なんだか難しかった記憶があるのですがグイグイ引き込まれて読んだはずです。
(で、ココだけの話ですが、アタシも締め切りが迫っておりまして、そろそろ書かねばなりません・・・提出期限に間に合えば、12月に合評会って段取りでございます)
HALさんのお師匠さまは、すばらしいですね!
なかなかの器の方とお見受けします。
そうですね~相手の要求に応えるのも大切ですよね。要求に応えつつ自分の色をだす・・・う~難しいけど、目標ですね!
しかし、今のところ、実力もないので「子供の楽しむ童話」にこだわっちゃいます。なので、アンちゃんとジョちゃんは、しばらくは読ませていただくだけにしておくつもりです。笑
エッセイや川柳、怖い話までなんでも応募という姿勢は、これまたすばらしいです。なんでも童話の力になるというのも
納得です。私は、今、詩の勉強をしていますよ!絵もたくさん見て、描くようになりました。
わが家もA新聞です。
七夜物語は、たしかに子供には無理そうですね。彼女の作品は好きなので、期待しているのです。
BASIL_Oさま
お邪魔しております。のんちゃんシリーズは、実は子供時代には読んでいません。相当児童書は読んだ方なのですけど。
どうしてかな?
実はぼくもそうだったかもしれません
三つ上の兄がいたので、図書室から借りてくる本とかを共有してたかも
石川達三、五木寛之を小学生の頃に読んでました(太宰治は中学になってから心酔)
なので童話講座で合評するときにぼくの作品を評して良くいわれるのは「子どもには難しすぎる」とか「危険すぎる」といったアドバイスです
子どもは大人が思っている以上に、大人の目のとどかない所で、危険で冒険的でエロチックなことを考えたり、あるいは実行しているはずです
ここんとこが公募と現実のギャップなのかなぁなんて思ったりしてます
>(で、ココだけの話ですが、アタシも締め切りが迫っておりまして、そろそろ書かねばなりません・・・提出期限に間に合えば、12月に合評会って段取りでございます)
あ、そうなんだ、格闘だけじゃなく合評もなさるんですね、どうりであの文章の評価が高いはずです。リンクさせていただいていいですか?
お師匠さまは細かいことにこだわらず本質を追及される方です
が、ご自分で解説しながらご自分で涙目になるような情熱家でもある、熱血漢、いや漢じゃなくて熱女、傑女?
どれもしっくりこないけど、エネルギッシュで融通無碍なな方です
詩ですか、それにあこがれながらできないんですよねぇ、作中に歌なんか挿入したいんですけど、含羞があって!
>子どもは大人が思っている以上に、大人の目のとどかない所で、危険で冒険的でエロチック…
そのとおりだと思います。ぜひ、HALさんが子どものころのご自身にむけて物語を書いていただきたいと思います。その作品が公募向けかどうかは、わたしにはわかりませんが、共感する子どもはきっといるのではないでしょうか。
わたしも正直言って、なにかすっきりしない気持ちで“童話”を書いています。子どもが楽しめるようにという願いを、こめることができないのです。子どもに向けて書いていません。じゃあ、童話なんて書くなと言われれば、それまでですが、不思議な世界が好きなのです。
自分の好きな世界を書いているだけ。それを出せる公募先は“児童文学”かなぁ、今のところ…といった、どうもすっきりしない気持ちを引きずりつつも、とにかく書いてみるしかないですね
うちの兄も3つ年上です。読書の影響は『怪盗ルパン』に星新一・小松左京・筒井康隆・半村良(←イーデス・ハンソンさんから取った筆名だとか?)平井和正の「アダルト・ウルフガイ」シリーズも熱狂しましたっけ・・・全然『文学的』ではありませんが、情操形成には多大なる影響がありました(笑)
合評会は通信教育のスクーリング時に行われるのです。門戸の広い学校でぶっちゃけ、学生のレベルは・・・?ですw この4月に入学、スクーリングはあと2回。恥ずかしいので自分のブログではほとんど触れておりません。
で・・・リンクですか?なんともったいない!光栄でございます。よければ相互リンク、なんていかがでしょうか(と言いつつ、楽天以外のブログをリンクするやり方に不安が(汗)
「子どもの手の届かない所に置いてください」と説明にあるからといって、母は薬箱をタンスの上とかに保管してました
そう意味じゃないっての、そんなことしたらかえって子どもは手を伸ばすものなんですよね
そんな風に子どもが思わず手を伸ばす物語を書きたいものですが、おおむね合評ではひんしゅくものです
なのでおっしゃるように、子ども目線じゃなくて過去の自分自身に届けるメッセージとして不思議な世界を書いて合評に出したら「さっぱり分からん」などなど……
大人っていうフィルタリングをすり抜けてなお子どもにとってのエンターテインメントとなる物語を書くのは容易じゃないですよね
恥を明かさないといけませんが、童話みたいなもの、と軽く考えていたことを猛省しております
ぼくの場合は、童話でつまづいてる分をエッセイとか怖い話とかで発散しておりますぅ~。
星新一のすごさが理解できたのはつい最近のことなんです。中学の頃に星新一さんにぞっこんだった友だちともっと語りあって「星新一・小松左京・筒井康隆・半村良、あと光瀬龍、SFマガジンなど」読んでおけばよかった
★さまもおっしゃってますが、ノンちゃんシリーズってあったんですね、ぼくもほとんど記憶にないんです(ということは、もしかして大人の推薦する児童書?)
五年、六年のころ読んだのは専門書が多く、今もジャンルは違えど専門書が多いです(そういう本の公募するエッセイに童話の技法を発揮させると、あらま、入選しやすい!)
思うに、星新一さんの作品が子どもから大人まで読んで楽しめるということは、あれは児童書なんじゃ?
子どもが読めて彼らの評価に耐えられないものは多分、大人の読者にも歓迎されないのかもしれません
いいかたを変えれば、子どもが読めて彼らに歓迎されるものなら大人でも楽しめるのではないでしょうか、そんなこと考えながら書いてみたりしております。