
日本の市町村は、明治から現在まで合併を繰り返して、その数をどんどん減らしてきましたが、北海道だけは、明治に入ってから開拓が本格化したこともあって、明治・大正期は、市町村数が「分村」によって増えていきました。
しかし、さすがに戦後になってからは、分村の例はあまりありません。数少ない例外が、この空知管内上砂川町です。
同町のサイトによると、
とのこと。
1949年誕生なんて、もしかしたら国内の市町村で、合併に伴う新設を別にすれば、いちばん新しい自治体ではないでしょうか。
現在の人口は4400人。夕張もすごいですが、上砂川の過疎化もすさまじいですね。
ただし、現在の市街地の、商店の密集度は意外に高く、おとなり歌志内市よりも都会に見えます。
また、この人口規模で、商工会議所と消費者協会があるのも、なにげにすごいと思います(郡部は、商工会議所でなく商工会が多い)。
あと、俳優の千秋実(「七人の侍」で有名)が小学校時代を過ごしているほか、人気作家の渡辺淳一、芥川賞作家の重兼芳子、バレエ漫画の第一人者山岸凉子などなど、有名人を輩出しています。

「北の創造者達展」の会場になった上砂川駅は、1926年(大正15年)8月1日、国鉄函館本線の駅として開業。
盲腸線の終点ですが、なまじ名称が「函館本線」であったために、国鉄末期のローカル線廃止のあらしをまぬかれたものの、赤字ローカル線にはかわりなく、1994年(平成6年)5月16日、廃線に伴い廃止になりました。
しかし、このプラットフォーム、どうも、本来の線路とは90度曲がっているような気がする。
廃線後、作り変えたのでしょうか。

1984年倉本聰脚本演出のテレビドラマ『昨日、悲別で』で、上砂川駅がロケ地として使用されました。
同作品では「悲別駅(かなしべつえき)」として撮影されたことから、その後「上砂川駅」の駅舎や駅名標の裏に「悲別駅」と書かれるようになり、ふだんはロケの際の資料や写真が展示されています。

駅長室にある表示板。
どの線に列車が入っているのかを示すものと思われます。
側線が7つ、ほかに「三井専用線」もあります。
石炭を積んだ貨車がびっしりならんでいる時代を彷彿(ほうふつ)とさせます。

改札口の上にあった時刻表。
1日6本かあ。
むかしの人はこれでよかったんですね。
自動車が普及してみんながせっかちになると、これではいけない。
ちなみに、いま1940年当時の時刻表を見たら、やっぱり1日6往復でした。
ダイヤはさすがに変わってましたが。
しかし、さすがに戦後になってからは、分村の例はあまりありません。数少ない例外が、この空知管内上砂川町です。
同町のサイトによると、
明治20年に上砂川炭田が発見され、その後、明治32年に福井県鶉村から来た開拓者・山内甚之助氏他8名によって、この地に鍬が入れられたのが発祥です。
大正3年には石炭社である三井鉱山株式会社が起業し、以来炭鉱の町として発展し、昭和24年には当時の砂川町、歌志内町の一部を分割して「上砂川町」が誕生しました。
その後、出炭量も増加し、昭和27年には最大人口の32,103人を数えましたが、エネルギー革命の急速な進行により昭和62年7月に閉山となり、73年の炭鉱の歴史に幕を閉じました。
とのこと。
1949年誕生なんて、もしかしたら国内の市町村で、合併に伴う新設を別にすれば、いちばん新しい自治体ではないでしょうか。
現在の人口は4400人。夕張もすごいですが、上砂川の過疎化もすさまじいですね。
ただし、現在の市街地の、商店の密集度は意外に高く、おとなり歌志内市よりも都会に見えます。
また、この人口規模で、商工会議所と消費者協会があるのも、なにげにすごいと思います(郡部は、商工会議所でなく商工会が多い)。
あと、俳優の千秋実(「七人の侍」で有名)が小学校時代を過ごしているほか、人気作家の渡辺淳一、芥川賞作家の重兼芳子、バレエ漫画の第一人者山岸凉子などなど、有名人を輩出しています。

「北の創造者達展」の会場になった上砂川駅は、1926年(大正15年)8月1日、国鉄函館本線の駅として開業。
盲腸線の終点ですが、なまじ名称が「函館本線」であったために、国鉄末期のローカル線廃止のあらしをまぬかれたものの、赤字ローカル線にはかわりなく、1994年(平成6年)5月16日、廃線に伴い廃止になりました。
しかし、このプラットフォーム、どうも、本来の線路とは90度曲がっているような気がする。
廃線後、作り変えたのでしょうか。

1984年倉本聰脚本演出のテレビドラマ『昨日、悲別で』で、上砂川駅がロケ地として使用されました。
同作品では「悲別駅(かなしべつえき)」として撮影されたことから、その後「上砂川駅」の駅舎や駅名標の裏に「悲別駅」と書かれるようになり、ふだんはロケの際の資料や写真が展示されています。

駅長室にある表示板。
どの線に列車が入っているのかを示すものと思われます。
側線が7つ、ほかに「三井専用線」もあります。
石炭を積んだ貨車がびっしりならんでいる時代を彷彿(ほうふつ)とさせます。

改札口の上にあった時刻表。
1日6本かあ。
むかしの人はこれでよかったんですね。
自動車が普及してみんながせっかちになると、これではいけない。
ちなみに、いま1940年当時の時刻表を見たら、やっぱり1日6往復でした。
ダイヤはさすがに変わってましたが。
車も電話も、思えば子供の頃はまだ一家に一台というのが夢の時代でした。
そういえばカラーTVもですが、よく近所の家の人が電話を借りにきたり(呼び出しにも行きました、子どもの仕事でしたね)、子供達が「ウルトラセブンの赤い色をカラーテレビ見る集い」をちょっとお金持ちの家に見せてもらいに言った記憶があります。
札幌でも昭和40年代はのんびりとした生活だったんだと思います。
便利になりすぎてみんなが携帯を持つからこんな時間まで電話はかかってくるし、夜中まで働いてしまうんでしょうね。。。。。。。。。
ずーっと昔、まだ太った作家の方が胡散臭いドラマを書く前にこの駅に降りた事があります。
もう24年前だという事に気付いて少しびっくりです。
プラットホームの記憶が無いです・・・・
朝の始発が10分程度で砂川に着くのですね。
『昨日、悲し別で』には、千秋実さんが出演していたことが分かりました。
そういえば、ドラマの中で『ロマン座』だったと思いますがすべてはここから始まったというようなドラマでした。
動画はこちら=>http://www.youtube.com/watch?v=RkrpMMzF408
それとテーマ曲が『22才の別れ』というのも泣かせます(笑)。
忙しさへの怨嗟(?)が行間にこもっていますね。
お疲れさまです。
>川上さん
もちろん上りも下りもありますよ。
右側の時刻が、下りの、上砂川到着の時刻です。
砂川着の時刻は、ここには書いてありません。