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■続き・よみがえれ! とこしえの加清純子 ー『阿寒に果つ』ヒロインの未完の青春ー(2019年4月13日~5月31日、札幌) 天才少女画家を巡る人々

2019年05月24日 08時17分57秒 | つれづれ読書録
(承前)

 それでは、彼女を取り巻く人々の顔ぶれについて、簡単に触れていこう(敬称は略させていただきます)。
 図録を読んだだけではわからないことも、積極的に書いていきたい。


 渡辺淳一(1933~2014)

 『失楽園』『リラ冷えの街』『ひとひらの雪』など、説明不要の売れっ子小説家。
 もし彼が、自身の初恋体験を基に『阿寒に果つ』を書いていなかったら、加清純子の名も、このように広く知れ渡っていなかったに違いない。

 筆者は彼の講演を聴いたことがある。
 話が高校時代のことになり、加清純子の名を出して、目にうっすら涙を浮かべていたので非常に驚いた記憶がある。そんなに簡単に泣くような人ではないという印象があったからだ。



 荒巻義雄(1933~)

 渡辺淳一、加清純子の高校時代の同級生。
 SF作家となり、架空戦記シリーズを大ヒットさせたが、このブログの読者には、2016年末に閉鎖となるまで道内のアートシーンを牽引する存在だった「札幌時計台ギャラリー」のオーナーとしてなじみ深いだろう。
 読んでいくうちに時間の感覚が狂ってきそうな、オリジナリティにあふれた出世作の長編『白き日旅立てば不死』では、加清純子をモデルにした女性を登場させている。

 『白き日ー』と『阿寒に果つ』が1971~72年の、ほとんど同じ時期に発表されていることも興味深い。



 岡村昭彦(1929~85)

 加清純子の「最後の恋人」といわれ、当時は、先鋭化した共産党の活動家。彼女が釧路に赴いたのも、医師法違反で収監されていた岡村に面会し、保釈への道を探るためであったといわれている。
 その後彼はジャーナリストとして活躍。岩波から出した『南ベトナム戦争従軍記』はベストセラーとなった。



 戸田城聖(1900~58)

 この記事では、ちょっと異質の存在かもしれない。仏教系の宗教団体「創価学会」の第2代会長である。
 加清純子の母テルの兄である。
 生まれは石川県で、厚田村(現石狩市厚田区)で育った。
 厚田の風景画があるのは、その関係だろうか。



 大野五郎(1910~2006)

 図録で、文学館の苫名直子学芸員が書いているとおり、自由美術家協会(現自由美術協会)は戦後の前衛絵画をリードする団体公募展として大きな存在感を持っていた。まだインスタレーションやビデオアートなどはなく、美術家の大半は絵画に取り組んでおり、そのほとんどがいずれかの団体公募展に属していた時代である。個展が開ける会場はまだ少なかった。
 いまでは信じられないかもしれないが、1950年代の『美術手帖』誌には団体公募展評のページがあり、自由美術は最も手厚く紹介されていた団体のひとつである。
 筆者も当時の「美術手帖」をめくってみたが、取り上げられているのは有力会員ばかりで、加清純子の名は見当たらなかった。、
 大野五郎は1943~44年、井上長三郎、松本俊介らとともに「新人画会」展を開き、苛烈になる戦争と表現への制約に対して抵抗を示した洋画家。戦後、彼らは自由美術に合流した。
(なお、大野はのちに、小谷博貞らとともに自由美術を割って、主体美術を旗揚げしている)

 自由美術協会は1950、51年に札幌で夏期講習会を開いている。51年の講習には、大野、井上、鶴岡政男、村井正誠、峯たかし、佐田勝らがやって来て、加清純子も参加している。
 今回展示されている、大野が描いた肖像画「ジュン」は、彼女のイメージを描いた1950年の作という。
 大野は52年、「少女ジュン」という絵も描いており、よほど強い印象を与えたのだろう。



 鶴岡政男(1907~79)

 鶴岡政男も、新人画会から自由美術に加わったひとり。
 1949年の「重い手」は終戦直後の日本美術を代表する作といえるだろう。

 娘による評伝「ボタン落し」に、前述の講習会で鶴岡が加清純子から心中を持ちかけられたという記述がある。



 野見山曉治(1920~)

 野見山は100歳近くなる今も絵筆を執り、「美術の窓」誌に連載を持っている洋画壇の長老。いまは無所属だが、1951年当時は自由美術のメンバーで、札幌の講習会に参加し、秋には上野で加清純子に会っている。

 図録に彼のエッセー『とこしえのお嬢さん』(平凡社、2014)の一節が転載されている。

 次の夜、牝犬は、暗い廃屋のアトリエの中で、これがそんなにいいことなの、みんな、夢中になってることなの、と悶えながら、満たされない欲望への不信感に苛立った。男はみんな騙すのね。今年中に必ず仕返しをしてやる、必ず。


 牝犬は彼女の自称、廃屋のアトリエは野見山のアトリエのこと。
 だいぶボカして書いているが、これはヤバいのではないか。
 加清純子は多くの先輩画家を誘惑していたのか。

 もちろん筆者は高校生の性行為を奨励するつもりはないが、現代のモラル意識で半世紀以上前のことを断罪するつもりは、もっと無い。
 『阿寒に果つ』では時任純子は不感症として描かれている。ほんとうのところはどうだったのか、知る由はないし、知ったところで仕方ないだろう。



 早川重章(1924~)

 早川も自由美術にいて、現在は無所属だが、神奈川県立近代美術館が個展を企画するくらいには有名な画家である。
 彼については、展覧会場に説明があるが、図録にはいっさい記述がない。

 彼は夏期講習会組ではなく、1950年当時、札幌を拠点に道内を旅しており、列車の中で加清純子とたまたま隣り合わせになったということだ。
 制服姿で、一人だったといい、釧路に行くと話していたとのこと。 

□参考:神奈川県立近代美術館のページ(PDF)



 菊地又男(1916~2001)

 戦後の道内を代表する画家の一人であったことについては、下のリンク先を参照してほしい。

 図録には、画集「わがいのち『阿寒に果つ』とも」の長めの回想が再録されている。
 ただ、煩瑣な話題になるが、これまで何度も公開されてきた、加清純子とともに阿寒へ取材旅行に出かけた際に2人で撮った写真が、図録にも展覧会場にも見当たらないのは意外だった。

 で、この回想は、果たして額面通りに受け取っていいのだろうか。

 師匠と弟子という関係で、そんなにあっちこっちに泊まりがけで行くだろうか。
 鶴岡政男や野見山暁治以上に、加清純子と菊地又男も深い関係だったのではないのか。

 そもそもこの時代の菊地さんは、後年のような抽象画やコラージュではなく、風景画に取り組んでいたのだろうか。あまり「前衛の闘士」っぽくないのだが。
(ただし、「秋郊(阿寒)」という1950年の作が、2013年に札幌西区民センターで展示されたのを筆者は見ている)


関連記事へのリンク
菊地又男懐古展-ぶれない理念 円熟のアバンギャルド (2018~19)



 上野憲男(1932~)

 留萌管内天塩町に生まれ、幼少期を札幌で過ごした画家。
 独特の空気感をたたえた、寒色の面やチョークの線による抽象画などで知られる。

 図録の末尾近くに、苫名直子学芸員による電話インタビューが採録されている。
 それによると、上野さんは加清純子と札幌南高で、クラスは違うが同じ学年で、美術部でいっしょだったようだ。学校の廊下で2人展を開いたこともあるそうだ。
 インタビューで上野さんは最後に加清純子と交わした、同高校の寒い廊下での会話を思い出している。

「上野さん、卒業したらどうするの?」
「東京へ行く」
「私も後から行くわ。その前にちょっと阿寒に行ってきます」

 これは、彼女の自殺説を否定する傍証になりそうだ。



 札幌の同世代たち

 「高校美術第二回美術連合展記念誌 札幌市内高校美術連合」という、わら半紙にガリ版印刷の簡便な図録が、会場に陳列されていた。
 上野憲男の名もそこにあり「習作」と記されている。
 加清純子は「湖畔」「雄阿寒」「顔」の3点を出品している。

 「道立女高」からは中野美代子が出品している。文学館の方に確認したところ、北大名誉教授で、『西遊記』全訳などのある中国文学の第一人者その人であるようだ。

 また札幌光星に「中吉功」の名があり「川の辺」「海」を出している。
 中吉功は道展とグループ環の会員。1934年生まれ。
 先月の個展で、高校時代に豊平川を描いた絵を「北海タイムス」に取り上げられたという話をお聞きしているので、彼に間違いないと思う。
 会場にも図録にも言及がないのは残念。

 また、図録には、画家・蛯子善悦の回想も載っており、加清、上野、蛯子の3人で第5回全道展に出品したあと、彼女の家で紅茶を飲みながら語り明かしたという。
 蛯子(1932~93)は函館出身だが、パリ在住が長く、1980年代には北海道新聞の文化面によくパリ住まいのエッセーを載せていたので、ご記憶の方も多いだろう。



 すごい分量になってきたので、会場にあった図録にある名前については、筆者の知っている範囲で列挙するにとどめる。

 第5回全道展
 加清純子「夜の構図」 萬屋藤男「雪景」 村元俊郎「風景」 竹内豊

 第6回全道展
 大谷一夫「静物」 鎌田雛子「夜だこ」「れんげ」「金魚鉢と子供」 村元俊郎「静物」 久守昭嘉「雪の工場」 谷口一芳「街景(A)」「冬の道庁」「街景(C)」

 第15回自由美術展
 大野五郎「母子像」 森芳雄「人々」

 第4回アンデパンダン女流画家協会展
 加清純子「リズム」「作品」 三岸節子

 第5回アンデパンダン女流画家協会展
 加清純子「ロミオとジュリエット」「チルチルとミチル」 
 ほかに大谷久子(全道展会員)、入江一子の名もあった。


 さらに高畠達四郎(独立美術の画家)や、暮尾淳(加清純子の弟、詩人)、谷崎眞澄(詩人)といった名前も登場するが、すでにものすごい長文になっているので、省略させていただきます。


 というわけで、星座のように彼女を取り巻く群像を紹介してみた。

 繰り返しになるが、地方都市の一高校生が、後世に残る芸術家たちとこれほど多くつながりを持っていたというのは、一種の奇跡といえるだろう。

 その奇跡を、文学館で体感できる人はしてほしい。


2019年4月13日(土)~5月31日(金)午前9時半~午後5時(入場4時半まで)、月曜休み(ただし4月29日と5月6日は開館し、5月7・8日は休み)
道立文学館(中央区中島公園)





・地下鉄南北線「中島公園駅」3番出口から約410メートル、徒歩6分
・地下鉄南北線「幌平橋駅」から約480メートル、徒歩7分

・市電「中島公園通」から約550メートル、徒歩7分

・中央バス、ジェイ・アール北海道バス「中島公園入口」から約200メートル、徒歩3分


・渡辺淳一記念館から、中島公園の中を通って約480メートル、徒歩6分

・ト・オン・カフェから、約620メートル、徒歩8分

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