
(承前。画像は、入り口の近くにあった上遠野敏さんの作品「スーパー地蔵」)
前項で筆者は
今回は会場の建物が圧倒的なので、美術作品が負けてしまうのは仕方ない、北海道の歴史や産業遺産、人々のコミュニティといったものに興味を持ってもらう機縁になればそれでかまわない
という趣旨のことを述べた。
それはそれで、考えは変わっていないのだけど、たとえ迫力では負けても、作品自体は、過去を参照するだけではなくて、なにか未来のほうを向いた要素もほしかったという気がしないでもない。ないものねだりかな?
さて、今回の本筋とはあまり関係ないし、以前にもtwitterで書いたのだけど、あらためて書いておきたいのは、これが「夕張アートプロジェクト」ではなく「夕張清水沢アートプロジェクト」と銘打たれていることの意味である。
夕張と一口にいっても、非常に広い。
このうち、市外から人が訪れるのは、石炭の歴史村や夕張市美術館などがある「本町地区」と、高速道路のインターチェンジやJR石勝線の新夕張駅がある「紅葉山地区」がほとんどで、本町と紅葉山の間にもさまざまな集落が連なっていることは、よほどの炭鉱、廃墟、鉄道マニア以外にはあまり知られていないのではないか。
(さらに、本町-紅葉山の南北メーンルートからわき道に入り込んでも鹿島、真谷地といった地区があるし、現在の夕張の知名度をメロンのブランドによって支えている富野地区は、南東の谷あいにある)

本町地区には、市役所があり、スキー場やホテルシューパロもある。
ファンタスティック映画祭の会場にもなるし、建物に大きな映画看板が復刻されて掲げられているのもこの地区だ。
つまり、中田元夕張市長が主導して、この市を財政破綻に導いた観光振興策は、ほとんど本町地区を舞台に行われてきており、多くの税金もここに投下されている。
しかし、今回はじめて清水沢を訪れた人はわかったと思うのだが、ここにはスーパーマーケットもパチンコ屋も工場もある。
よそ行きの顔ではない、リアルな夕張の現在は、清水沢にある、といってもいいのではないか。
実際、清水沢のほうが本町よりも人口が多く、小学校もこの地区に統合された。
べつに筆者は、市内の異なる地区に対立があるとあおっているわけではない。
ただ、以前炭鉱があった街ならではの、特有の事情があることを知ってもらいたいのだ。
炭鉱は狭い谷に沿って分布することが多く、おなじ市町村内でも、離れた地区に点在しがちだ。
しかも、それぞれの炭鉱の親会社が違うと、気風も文化も相当に異なっていることがままある。
駅前に商店街や市街地があり周辺には農村が広がる…という、よくあるマチの成り立ちとは、かなり異なっているのだ。
夕張でも、清水沢から北東に入った大夕張・鹿島地区ではかつて、夕張市からの分離独立論があったほどだ。
かつて炭鉱で栄えた市町村の多くは現在、高齢化や過疎、財源不足に悩んでいるが、複数の集落・地区がばらばらに存在することが、まちづくりの妨げになっていることは想像に難くないだろう。
だからといって
「お前の住んでいるところは山奥で、除雪費もばかにならないから、こっちの地区に引っ越せ」
と軽々しくはいえないだろう。
市役所や観光地の周辺だけを見て、そのマチすべてをわかったような気になって偉そうな口をきくことは、慎みたいものだ。自戒を込めて…。
(この項続く。右上の画像は札幌市立大学美術部 nou me non の3年生4名によるチーム、カクレボンによる「還り道」。オフィシャルブログによると、白や黒、碍子など2トン以上の石が使われているという)
前項で筆者は
今回は会場の建物が圧倒的なので、美術作品が負けてしまうのは仕方ない、北海道の歴史や産業遺産、人々のコミュニティといったものに興味を持ってもらう機縁になればそれでかまわない
という趣旨のことを述べた。
それはそれで、考えは変わっていないのだけど、たとえ迫力では負けても、作品自体は、過去を参照するだけではなくて、なにか未来のほうを向いた要素もほしかったという気がしないでもない。ないものねだりかな?
さて、今回の本筋とはあまり関係ないし、以前にもtwitterで書いたのだけど、あらためて書いておきたいのは、これが「夕張アートプロジェクト」ではなく「夕張清水沢アートプロジェクト」と銘打たれていることの意味である。
夕張と一口にいっても、非常に広い。
このうち、市外から人が訪れるのは、石炭の歴史村や夕張市美術館などがある「本町地区」と、高速道路のインターチェンジやJR石勝線の新夕張駅がある「紅葉山地区」がほとんどで、本町と紅葉山の間にもさまざまな集落が連なっていることは、よほどの炭鉱、廃墟、鉄道マニア以外にはあまり知られていないのではないか。
(さらに、本町-紅葉山の南北メーンルートからわき道に入り込んでも鹿島、真谷地といった地区があるし、現在の夕張の知名度をメロンのブランドによって支えている富野地区は、南東の谷あいにある)

本町地区には、市役所があり、スキー場やホテルシューパロもある。
ファンタスティック映画祭の会場にもなるし、建物に大きな映画看板が復刻されて掲げられているのもこの地区だ。
つまり、中田元夕張市長が主導して、この市を財政破綻に導いた観光振興策は、ほとんど本町地区を舞台に行われてきており、多くの税金もここに投下されている。
しかし、今回はじめて清水沢を訪れた人はわかったと思うのだが、ここにはスーパーマーケットもパチンコ屋も工場もある。
よそ行きの顔ではない、リアルな夕張の現在は、清水沢にある、といってもいいのではないか。
実際、清水沢のほうが本町よりも人口が多く、小学校もこの地区に統合された。
べつに筆者は、市内の異なる地区に対立があるとあおっているわけではない。
ただ、以前炭鉱があった街ならではの、特有の事情があることを知ってもらいたいのだ。
炭鉱は狭い谷に沿って分布することが多く、おなじ市町村内でも、離れた地区に点在しがちだ。
しかも、それぞれの炭鉱の親会社が違うと、気風も文化も相当に異なっていることがままある。
駅前に商店街や市街地があり周辺には農村が広がる…という、よくあるマチの成り立ちとは、かなり異なっているのだ。
夕張でも、清水沢から北東に入った大夕張・鹿島地区ではかつて、夕張市からの分離独立論があったほどだ。
かつて炭鉱で栄えた市町村の多くは現在、高齢化や過疎、財源不足に悩んでいるが、複数の集落・地区がばらばらに存在することが、まちづくりの妨げになっていることは想像に難くないだろう。
だからといって
「お前の住んでいるところは山奥で、除雪費もばかにならないから、こっちの地区に引っ越せ」
と軽々しくはいえないだろう。
市役所や観光地の周辺だけを見て、そのマチすべてをわかったような気になって偉そうな口をきくことは、慎みたいものだ。自戒を込めて…。
(この項続く。右上の画像は札幌市立大学美術部 nou me non の3年生4名によるチーム、カクレボンによる「還り道」。オフィシャルブログによると、白や黒、碍子など2トン以上の石が使われているという)