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北海道美術ネット別館

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■『さとぽろ』とその時代 (2015年12月19日~3月21日、札幌)■「さとぽろ」発見 (16年1月30日~3月27日)

2016年05月01日 21時16分57秒 | 展覧会の紹介-複数ジャンル
 道立近代美術館で、『さとぽろ』とその時代、道立文学館で開館20周年として「さとぽろ」発見 大正 昭和・札幌 芸術雑誌にかけた夢と、2館同時で、大正から戦前期にかけて札幌で発刊された雑誌「さとぽろ」についての展覧会が開かれた。美術と文学の両分野にまたがる内容で、二つの施設が協力して一つのテーマで展覧会を企画し、図録も刊行したことは評価したい。


1.「いまさら」と思った理由

 しかし、見に行くのが会期末ぎりぎりになってしまったことは、仕事が忙しかったことに加え、筆者が内心
「いまさら『さとぽろ』かよ」
と、あまり期待しない思いを抱いていたためである。実際に会場に足を運ぶと、筆者の予想を良い意味で裏切る展示であった。

 「いまさら」と思ったのにはわけがある。
 図録で、井内佳津江学芸員が書いているように、これまで「さとぽろ」は外山卯三郎とセットで、大正末から昭和初期にさかんになった前衛美術の文脈で語られることがほとんどだったのだ。
 吉田豪介さんの「北海道の美術史」にも、外山の版画「消極的戦闘母艦」(「さとぽろ」5号掲載)の大きな図版が転載されているし、この作品は、筆者も道立近代美術館の所蔵品展示で見たことがある。
 外山が札幌に住んでいたのは、北大予科に在籍していた短い期間である。後に京大に進み、美術評論家などとして名をはせることもあって、彼の名を軸にして「さとぽろ」が語られてきたのもやむを得ない面はある。


2.外山卯三郎を絡めない評価

 しかし、あらためて「さとぽろ」の創刊(1925年=大正14年)から最終の29号(1929年=昭和4年)までの歩みをたどってみると、外山が関わったのは雑誌の前半に過ぎない。
 全体としてみれば「さとぽろ」は、ダダイズムや三科、マヴォなどに連なる前衛派とも、当時高揚をみせていたプロレタリア芸術とも異なり、創作版画と詩を主体にした、北大の人脈による総合文芸誌であったといえそうなことが、今回の展覧会で分かったのである。

 当時、つまり関東大震災から全体主義と戦争の間は、美術や文芸の世界に前衛派とプロレタリアの嵐が吹き荒れた時代であると、おおざっぱに総括することができる。
 また、札幌を中心とした北海道の美術界というくくりで見れば(無前提に札幌を中心にして良いのかという気もするがそれはさておき)、道展(北海道美術協会)の発足と、それに対抗するかのように開かれたさまざまな展覧会という、二つの大きなトピックがある。
 外山卯三郎が、後者のカテゴリーに属する札幌詩学協会展覧会をアンデパンダン方式(無鑑査)で開いたものの1回きりで終了してしまったことは、これまでも「北海道の美術史」などに記されている。外山の八面六臂の活躍ぶりがうかがえ、この人はほんとに病人だったのだろうかと思ってしまう。ただし、詩学協会自体は「さとぽろ」本体とはあまり関係ないということも言える。


3.「さとぽろ」の歴史的意義

 以上のおおまかな歴史からいうと、「さとぽろ」という雑誌は、全国のパースペクティブでも北海道の美術史の流れでも、第三の潮流に位置づけられる。
 ひとことで言いかえると地味ということになるだろう。
 今回の両館の展示を見ても、創作版画の流れで恩地孝四郎の作品などが出品されていたものの、名前を聞いたことのない人の作品がほとんどである。
 「さとぽろ」をめぐる人びとも、田上義也や坂本直行、本間紹夫、今裕といった名は登場するが、ほとんど1回きりの寄稿である人が多く、雑誌編集の中心メンバーはこれまで、全国はもちろん北海道の美術史にもあまり出てこない人ばかりなのだ。

 じゃあ、これら無名の版画家たちが、今回の「さとぽろ」展を機に、北海道の美術史を大幅に書き換えるのか!? と言われると、筆者はその見方に簡単には賛同するわけにはいかない。
 率直に言って、「さとぽろ」に掲載された版画は、同時代の、たとえば三岸好太郎や上野山清貢、久保守などと比べて作品自体の持つ力が弱いと思うのだ。もっと言うと、「さとぽろ」掲載の作品は、微温的である。
 今回の展覧会が、戦前の北海道美術史に新たな視点をもたらしたことは評価したいが、これを機に、道展や北海道独立美術の影が薄くなって、「さとぽろ」の創作版画が高く再評価されるということまでにはならないだろう。


4.歴史調査、早急に

 最後にどうしても言っておきたいことがある。

 本州の公立美術館ではこの10年余り、戦後の美術史にあらためて光を当てる企画が次々に行われている。
 最近では、国立東京近代美術館の「Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演」などが好企画であった。

 しかし、上のリンク先でも書いたが、道内の美術館で、地元の美術史をテーマにした展覧会として最も新しい時代を取り上げたのは、札幌芸術の森美術館の「札幌美術展 さっぽろ・昭和30年代 美術評論家なかがわ・つかさが見た熱き時代」であり、その後は検証されていない。
 地域を限定したものでは、道立帯広美術館が十勝の美術を振り返った労作の展覧会「クロニクル 十勝の美術」などがあるが…。

 このままいくと、関係者は次第に物故者となっていく。北海道の場合、後から歴史を跡づける資料としての美術ジャーナリズムが貧弱で、文献に乏しいから、直接話を聞ける作家や関係者が亡くなるのは、東京などの場合よりも、致命的だと考えられる。

 戦前の「さとぽろ」をとりあげることがダメだというつもりはないが、道内美術館は戦後の美術史を取り上げることを急いでほしい。残された時間は、決して長くない。


2015年12月19日(土)~3月21日(月)、道立近代美術館(札幌市中央区北1西17)
2016年1月30日(土)~3月27日(日)、道立文学館(札幌市中央区中島公園)


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