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北海道美術ネット別館

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RSR(ライジングサン・ロックフェスティバル)2016「よりぬきROOTS 66」に思ったこと

2016年08月25日 09時42分37秒 | Rising Sun Rock Fes他
 Rising Sun Rock Festival in EZO(ライジングサン・ロックフェスティバル)をめぐってはときどき音楽評めいたことを書いている。ことしはあまり数を聴いていないので、気が引けるが、2日目夜に SUN STAGE でおこなわれた「宴会部長増子直純の~よりぬきROOTS 66 in EZO~」について、モヤモヤした感じが残ったので、ちょっとだけ記しておこう。

 このライブは、1966年生まれ、つまりことし50歳を迎えるロッカーたちが、札幌出身のロックバンド「怒髪天」のボーカル増子直純の音頭のもとに集まり、うたうという企画。
 ラインナップは公式サイト(http://rsr.wess.co.jp/2016/artists/lineup/)を参照してほしいが、斉藤和義、大槻ケンヂ、渡辺美里、スガシカオ、田島貴男、中川敬(ソウルフラワーユニオン)…といった豪華な顔ぶれだった。
 タイトルには、もちろん生まれた年と、米国の国道66号(シカゴ―サンタモニカ。現在は廃番)を歌ったスタンダードナンバーに引っかけているのだろう。



 で、この人たちが何をやるかというと、要するに懐メロカラオケ大会である。
 カラオケといっても、バックも1966年生まれによるバンドである。
 渡辺美里が自分の曲である「My Revolution」を歌うのはいい。
 大槻ケンヂらが、井上陽水の「氷の世界」をやるのも理解できる。
 でも、最後に全員が登場して歌うのが「YMCA」「北酒場」というのはどうなんだろう。

 もし英国や米国で似たような企画があったらと考えてみる。
 名うてのベテランミュージシャンが集まって演奏するとしたら、おそらく「ジョニー・B・グッド」や「ロールオーバー・ベートーヴェン」になるのだろう。
 あるいは、もう少し新しく、ビートルズナンバーや、「サティスファクション」「マイ・ジェネレーション」「We Are the World」あたりになるかもしれない。
 しかし、ロック以外の曲をやるとは考えられない。ポール・マッカートニーやミック・ジャガーが、フランク・シナトラやビング・クロスビーを演奏することは決してないだろう。

 だから、この「よりぬき Roots 66」でも、ビートルズやストーンズをやったって、ぜんぜんかまわないだろう。
 いや、むしろ、ここで歌っているミュージシャンや、聴いているオーディエンスが、こんな年になるまで音楽とともに人生を歩むようになったきっかけは、「Get Back」や「Smoke on the Water」であったとしても、「YMCA」や「北酒場」だったということはあまり考えにくいだろう。
 仮にも、ロックンローラーだぜ。

 でも、こんなめんどくさいことを言っていると、増子兄イがやって来て
「まあまあ、でも俺たちって、酔っ払うと演歌とか歌うじゃん。外国の、歌詞の意味がよくわかんない音楽を背伸びして聴いてたこともあったけどさ、やっぱルーツの音楽はテレビから流れてきた歌謡曲ってことでいいだろ」
と酒臭い息を吐きながら、肩をぽんぽんとたたかれそうな気がする。
 かっこつけなくていいべさ、と言われそうなのだ。

 とはいえ「YMCA」「北酒場」は、やっぱり違うと思うんだよなあ。
 ロックフェスじゃないよなあ~。
(そもそも、米国のキリスト教系青年団体の歌を、プロ野球の応援とか、精神病院の病棟とか老人ホームの体操とか、いろんな場所で、振り付きで日本人が歌う習慣が40年近くも続いているというのは、冷静に考えると、相当に奇妙な風習ではないだろうか)

 怒髪天の「夏のお嬢さん」が成立しているのは、今はオバサンキャラになってしまった女性のアイドル歌謡を、増子のだみ声とギンギンのバンドサウンドで再現するという、一種の「しゃれ」であろう。
 でも斉藤和義をはじめとするロッカーたちが「北酒場」を歌い、それを肯定的な文脈でとらえてしまうことには、どうしても違和感をぬぐえない。

 たぶん、この「大衆性」「ルーツ」をめぐる議論は、正解は存在しないと思うので、このへんで。


こういう記事もあります。
チャットモンチーを聴いて思ったこと (2010)
FLOWER TRAVELLIN' BANDをライジング・サン・ロックフェスティバルで聴く (2009)
RISING SUN ROCK FESTIVAL2008 (1) 増子のメッセージに感動


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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大昔、渋谷陽一が (わたじゅん)
2016-08-25 11:26:43
<海外の大物ミュージシャンたちがフェスや特別混成バンドの公演か何かでみんなが集まって演奏したところで結局「ジョニー・B・グッド」ぐらいしかやりようがない。そこには何か意義ある表現とか批評性が存在するのだろうか>と、お祭り的な演奏そのものへの批判をぶっていたのを思い出してしまいました。渋谷陽一にとっては「ジョニー・B・グッド」もけしからん、ということのなるのかもしれない。
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さすが (ねむいヤナイ@北海道美術ネット別館)
2016-08-25 12:51:54
なつかしいね~、『ロックミュージック進化論』の一節ですね。もう36年も前の本ですよ。当時、類書はほとんどなかった。

もちろん、その一節(せいぜい「ジョニー・B・グッド」ぐらいしか…)は念頭にありました。

そして、ポールやミックが「ジョニー・B・グッド」をやるのと、日本のロックミュージシャンが「北酒場」をやるのも、なんか、ちょっと違うかもなあと思います。
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