五里霧中

★ マンガなどの感想 ★

◆ 『よつばと!』10巻 “大人”によって守られる世界

2010年12月03日 | ◆マンガ 感想

さっそく、『よつばと!』10巻(あずまきよひこ 先生)を読み終えて、

「子供の夢があふれてるなー!」と、思わず口に出して大笑い!

 

もちろん、とーちゃんと遊ぶよつばとか、ホットケーキづくりとか、うがうがふーかとか、

いろいろ楽しかったんですけども、ここではそんな「子供の世界」というか

そうしたものを包み込んでいる要素について、感想めいたものを書いてみたいと思います。

・・・駄文猛省。

 

 

公園でむかえたラストシーンは、まさに「子供の夢の世界」の具現化。

よつばが「ともだち」を自慢して遊ぶ中、他の子供たちはそれを不思議そうに眺めています。

 

この時この空間は、子供たちにとっての夢の世界。

そんな様子が微笑ましいやら可笑しいやら、そうした笑いが生まれる感覚です。

・・・よつばが、みうらの不在を「かんがえもして」いないのが、また面白い(^^;

 

『よつばと!』という作品では、このように「子供が子供でいられる世界」が描かれつつ、

それがつまらない悪意で侵されることなく、大切に守られていることが所々でうかがえます。

このようなデリケートな空間は、ちょっとしたショックで壊れてしまうもろく儚いもの。

しかしながら、この作品ではその空間がきちんと保護されています。

 

では、それは何によって守られているのか?

私としては、“大人”の寛容とやさしさこそが、その大切な要素になっていると感じています。

 

 

 

■とーちゃんこと小岩井氏の寛容さに敬服

「子供の空間」を守る要素の1つは、周りの人間の寛容さであると感じます。

とくに私は、よつばのとーちゃん・小岩井氏の寛容さには、感動すら覚えてしまうのでした。

 

Ytb10001 ← 仕事中のとーちゃんとよつば。

 

小岩井氏は自分の仕事場であるにもかかわらず、

この場所でよつばが遊ぶことを許容し、

なおかつ一緒に遊んでやることも忘れません。

 

私は子供いないのでわからんのですけど、自分が同じような状況になったら、

多分ここまで寛容にはなれないんじゃないか、と想像します・・・ちっぽけな人間でスミマセン。

 

このほか、料理するよつばが色々こぼしても、それをじっと見守っていたりと大人です。

小岩井氏の態度は、私にとってはお手本となる大人像だったりします。

こんな自然体で大らかな人間になりたい・・・かも。

 

また、お隣の人々をはじめ多くの人たちが、よつばのヤンチャに対して

寛容な態度で接している状況は、「子供が子供でいられる世界」を守る上で

欠かせない要素であろうと考えられます。

 

 

 

■やさしい“嘘”によって保持される空間

とはいえ寛容なばかりでは、子供のヤンチャはおさまるところを知らないまま。

そのため、ときにはヤンチャを戒めることを忘れてはいけないようです。

 

Ytb10004 ← 「おしおき」されるよつば。

 

食器を割ってしまったよつばへの戒め・・・

ではなく、そのことを「何かのせい」にして

言い逃れようと嘘をついたことに対して、

小岩井氏は「嘘はいけない」と

諭そうとしています。

当然といえば当然の戒め。

 

ですが、「子供が子供でいられる世界」を守るもう1つの要素が

“嘘”であるということも、この巻では同時に示されているのです。

(帰り道では、とーちゃんがよつばにテキトーな“嘘”ついてますし(^^;)

 

 

その顕著なものが、この巻の最後に描かれているエピソード。

なつかしの「アイツ」が登場し、それを「生き返らせる」ために儀式をおこなうのは

えなとみうらの2人なのだけど、彼女たちは明確に“嘘”ついてますよね。

 

とくに、えなの方は、よつばの「夢」を壊さないよう明るく“嘘”をついたり、

みうら母が「真実」を語るのを必死で食い止めたりと、大活躍しています。

ここでのよつばの「夢」は、“嘘”によって守られているのです。

 

「嘘はいけない」はずなのに、子供たちの世界には“嘘”があふれている。

あれも“嘘”、これも“嘘”。

でも、だからこそ、子供の世界は楽しさにあふれてもいるのでしょう。

子供の世界にある無害な“嘘”の数々は、安易に戒めてしまうとその世界を壊しかねない。

それをむやみに砕きまくるのは無粋であり、大人気ないものなのです。

 

 

 

■子供を見守る“大人”

Ytb10005 ← 「おしおき」後、よつばを抱えるとーちゃん。

何とも、ホッとさせてくれる1コマです。

 

「嘘はいけない」

でも子供の世界は“嘘”によっても守られる。

 

よつばの嘘は、言い逃れのための嘘でした。

その根っこには不純なものがあったため、

とーちゃんはよつばを戒めねばならなかった。

つまり、よつばの心持ちをたしなめた

・・・ということなのでしょう。 

 

 

よつばのついた嘘と、とーちゃんやえな達の“嘘”は違う。

前者が、信頼関係や状況をゆがめてしまうものであるのに対して、

後者は、状況に対して無害で他愛ないものである・・・という印象。

 

でも、子供に言い聞かせるためには「嘘はいけない」と、まずシンプルに教えるしかない。

だけど同時に、世界に“嘘”はあふれていて、そのこともいずれわかるようにと、

大人が子供に自然に接していることが、小岩井氏の行動からはうかがえたりするのです。

 

こうした態度は、子供のことをきちんと考えた“大人”としてのもの。

この「嘘はいけない」を教えるためにわざわざ遠くまで外出したりと、

よつば=子供に対する労力の割き方がハンパない。

子供のヤンチャに寛容でありつつ、時に行きすぎを戒める。

とーちゃんの行動はテキトーにみえて、そうしたことに全力であることを感じさせてくれます。

 

 

また、とーちゃんは、よつばにこう言います。

「失敗するのはよつばの仕事だ」・・・と。

 

この巻では、ホットケーキづくりのエピソードに、そのことがハッキリと描かれています。

材料をこぼしても、何度失敗しても、とくに怒ったりもせず、

たまにちょっとしたアドバイスを与えるだけで、作業はよつば本人にやらせています。

そして、失敗のくり返しの末によつばが成功すると、拍手を送って祝福したりするのです。

 

このシーンこそが「失敗はよつばの仕事」を象徴しつつ、

その意味をしっかりと感じさせてくれる描写になっていて、

子供を見守る“大人”の視点というものを、私に示してくれるのでした。

 

 

この“大人”の視点は、とーちゃん以外にも、

泣いてるよつばを気づかうやんだ(いつもはよつばと同じ目線でケンカする男)や、

とーちゃんの仕事中によつばの面倒をみているジャンボや、電気店でのふーか、

よつばの「夢」を壊さぬようふるまう、えなやみうらなどにも感じられるものだったりします。

 

この『よつばと!』という作品では、よつばを見守るこうした“大人”たちが、

その寛容さと(ときに“嘘”を含む)やさしさによって、「子供の世界」をやわらかく包んでいる

ことが観察できます。

まあ、この“大人”たちは、時折よつばと一緒にはしゃぐ“子供”にもなるのですけど、

それもまた「子供の世界」の特質なのかもしれません。

 

だから、よつばは子供でいられる。

そして、しっかりと育まれている。

私はそんな「子供が子供でいられる世界」に、なぜだかちょっとだけ

胸を締めつけられるような、そんな感動のようなものを覚えてしまうのでした。

 

 

 

(以下余談)

しかし、「子供が子供でいられる世界」は当然すばらしいのですけど、

逆に「子供が子供でいられない世界」というのも、また興味深いものかもしれません。

 

戦時下とか、困窮した状況下とか、または親が多忙でかえりみられない子供などを

描いた作品についても、いろいろ考えてみると面白いかもしれませんね。

『ブラック・ラグーン』あたりは、よいテキストになりそう?

最近の作品なら『進撃の巨人』などがよろしいでしょうか。

 

「子供が子供でいられない世界で、子供でいる少年たち」として、

『ONE PIECE(ワンピース)』のルフィ兄弟をとりあげるのも面白そう。

 

探してみれば、いろいろありそうですね。

・・・私は書かないというか、力不足で書けないだろうけれども(ォィ