さっそく、『よつばと!』10巻(あずまきよひこ 先生)を読み終えて、
「子供の夢があふれてるなー!」と、思わず口に出して大笑い!
もちろん、とーちゃんと遊ぶよつばとか、ホットケーキづくりとか、うがうがふーかとか、
いろいろ楽しかったんですけども、ここではそんな「子供の世界」というか
そうしたものを包み込んでいる要素について、感想めいたものを書いてみたいと思います。
・・・駄文猛省。
公園でむかえたラストシーンは、まさに「子供の夢の世界」の具現化。
よつばが「ともだち」を自慢して遊ぶ中、他の子供たちはそれを不思議そうに眺めています。
この時この空間は、子供たちにとっての夢の世界。
そんな様子が微笑ましいやら可笑しいやら、そうした笑いが生まれる感覚です。
・・・よつばが、みうらの不在を「かんがえもして」いないのが、また面白い(^^;
『よつばと!』という作品では、このように「子供が子供でいられる世界」が描かれつつ、
それがつまらない悪意で侵されることなく、大切に守られていることが所々でうかがえます。
このようなデリケートな空間は、ちょっとしたショックで壊れてしまうもろく儚いもの。
しかしながら、この作品ではその空間がきちんと保護されています。
では、それは何によって守られているのか?
私としては、“大人”の寛容とやさしさこそが、その大切な要素になっていると感じています。
■とーちゃんこと小岩井氏の寛容さに敬服
「子供の空間」を守る要素の1つは、周りの人間の寛容さであると感じます。
とくに私は、よつばのとーちゃん・小岩井氏の寛容さには、感動すら覚えてしまうのでした。
← 仕事中のとーちゃんとよつば。
小岩井氏は自分の仕事場であるにもかかわらず、
この場所でよつばが遊ぶことを許容し、
なおかつ一緒に遊んでやることも忘れません。
私は子供いないのでわからんのですけど、自分が同じような状況になったら、
多分ここまで寛容にはなれないんじゃないか、と想像します・・・ちっぽけな人間でスミマセン。
このほか、料理するよつばが色々こぼしても、それをじっと見守っていたりと大人です。
小岩井氏の態度は、私にとってはお手本となる大人像だったりします。
こんな自然体で大らかな人間になりたい・・・かも。
また、お隣の人々をはじめ多くの人たちが、よつばのヤンチャに対して
寛容な態度で接している状況は、「子供が子供でいられる世界」を守る上で
欠かせない要素であろうと考えられます。
■やさしい“嘘”によって保持される空間
とはいえ寛容なばかりでは、子供のヤンチャはおさまるところを知らないまま。
そのため、ときにはヤンチャを戒めることを忘れてはいけないようです。
← 「おしおき」されるよつば。
食器を割ってしまったよつばへの戒め・・・
ではなく、そのことを「何かのせい」にして
言い逃れようと嘘をついたことに対して、
小岩井氏は「嘘はいけない」と
諭そうとしています。
当然といえば当然の戒め。
ですが、「子供が子供でいられる世界」を守るもう1つの要素が
“嘘”であるということも、この巻では同時に示されているのです。
(帰り道では、とーちゃんがよつばにテキトーな“嘘”ついてますし(^^;)
その顕著なものが、この巻の最後に描かれているエピソード。
なつかしの「アイツ」が登場し、それを「生き返らせる」ために儀式をおこなうのは
えなとみうらの2人なのだけど、彼女たちは明確に“嘘”ついてますよね。
とくに、えなの方は、よつばの「夢」を壊さないよう明るく“嘘”をついたり、
みうら母が「真実」を語るのを必死で食い止めたりと、大活躍しています。
ここでのよつばの「夢」は、“嘘”によって守られているのです。
「嘘はいけない」はずなのに、子供たちの世界には“嘘”があふれている。
あれも“嘘”、これも“嘘”。
でも、だからこそ、子供の世界は楽しさにあふれてもいるのでしょう。
子供の世界にある無害な“嘘”の数々は、安易に戒めてしまうとその世界を壊しかねない。
それをむやみに砕きまくるのは無粋であり、大人気ないものなのです。
■子供を見守る“大人”
← 「おしおき」後、よつばを抱えるとーちゃん。
何とも、ホッとさせてくれる1コマです。
「嘘はいけない」
でも子供の世界は“嘘”によっても守られる。
よつばの嘘は、言い逃れのための嘘でした。
その根っこには不純なものがあったため、
とーちゃんはよつばを戒めねばならなかった。
つまり、よつばの心持ちをたしなめた
・・・ということなのでしょう。
よつばのついた嘘と、とーちゃんやえな達の“嘘”は違う。
前者が、信頼関係や状況をゆがめてしまうものであるのに対して、
後者は、状況に対して無害で他愛ないものである・・・という印象。
でも、子供に言い聞かせるためには「嘘はいけない」と、まずシンプルに教えるしかない。
だけど同時に、世界に“嘘”はあふれていて、そのこともいずれわかるようにと、
大人が子供に自然に接していることが、小岩井氏の行動からはうかがえたりするのです。
こうした態度は、子供のことをきちんと考えた“大人”としてのもの。
この「嘘はいけない」を教えるためにわざわざ遠くまで外出したりと、
よつば=子供に対する労力の割き方がハンパない。
子供のヤンチャに寛容でありつつ、時に行きすぎを戒める。
とーちゃんの行動はテキトーにみえて、そうしたことに全力であることを感じさせてくれます。
また、とーちゃんは、よつばにこう言います。
「失敗するのはよつばの仕事だ」・・・と。
この巻では、ホットケーキづくりのエピソードに、そのことがハッキリと描かれています。
材料をこぼしても、何度失敗しても、とくに怒ったりもせず、
たまにちょっとしたアドバイスを与えるだけで、作業はよつば本人にやらせています。
そして、失敗のくり返しの末によつばが成功すると、拍手を送って祝福したりするのです。
このシーンこそが「失敗はよつばの仕事」を象徴しつつ、
その意味をしっかりと感じさせてくれる描写になっていて、
子供を見守る“大人”の視点というものを、私に示してくれるのでした。
この“大人”の視点は、とーちゃん以外にも、
泣いてるよつばを気づかうやんだ(いつもはよつばと同じ目線でケンカする男)や、
とーちゃんの仕事中によつばの面倒をみているジャンボや、電気店でのふーか、
よつばの「夢」を壊さぬようふるまう、えなやみうらなどにも感じられるものだったりします。
この『よつばと!』という作品では、よつばを見守るこうした“大人”たちが、
その寛容さと(ときに“嘘”を含む)やさしさによって、「子供の世界」をやわらかく包んでいる
ことが観察できます。
まあ、この“大人”たちは、時折よつばと一緒にはしゃぐ“子供”にもなるのですけど、
それもまた「子供の世界」の特質なのかもしれません。
だから、よつばは子供でいられる。
そして、しっかりと育まれている。
私はそんな「子供が子供でいられる世界」に、なぜだかちょっとだけ
胸を締めつけられるような、そんな感動のようなものを覚えてしまうのでした。
(以下余談)
しかし、「子供が子供でいられる世界」は当然すばらしいのですけど、
逆に「子供が子供でいられない世界」というのも、また興味深いものかもしれません。
戦時下とか、困窮した状況下とか、または親が多忙でかえりみられない子供などを
描いた作品についても、いろいろ考えてみると面白いかもしれませんね。
『ブラック・ラグーン』あたりは、よいテキストになりそう?
最近の作品なら『進撃の巨人』などがよろしいでしょうか。
「子供が子供でいられない世界で、子供でいる少年たち」として、
『ONE PIECE(ワンピース)』のルフィ兄弟をとりあげるのも面白そう。
探してみれば、いろいろありそうですね。
・・・私は書かないというか、力不足で書けないだろうけれども(ォィ