名もない人たちの日本人の味方
エミー加藤さん、ハーヴァード大学に留学していた加藤さんと結婚して日本で暮らし、麻布に日本の民芸を中心にしたブルー&ホワイトというお店を経営するエミーさん。
開店した頃お店にいってみると昔の家にはどこにもあった男性用トイレをきれいに洗って、傘が差してありました。
見方の違い、発想の違いに驚きましたた。商品選択はエミーさんの好きなものばかり、選択が日本の民芸店にあるものとちょっと違う味わいがありました。使用されていた頃を知らない現代の若者は気がつかないけれど、エミーさんは美しい染付のデザインに 「こんな美しいものを!」 と捨てられる運命に命を与えていました。
日本のツーリストがベッドの下に置いてあった蓋つきのアメリカのオマルをステキといって食器として使ったという話に似ています。(ちょっと上下が違うけれども(●^o^●))
エミーさんは 日本人があまり評価しない日本の暮らしの文化、貧しかった農民の暮らしの知恵から、生き方の精神までも理解し、忘れかけた私たちに教えてくれます。
最近、エミーさんのコレクション、ぼろぼろになった農民の野良着を展示しました。
「ボロはなんでもない物を美しいものに変える地方の女性たちの無言の独白であり、精神を知る窓口 でもあります。極貧の生活、忍耐、わずかな希望の光が針目からみえ、名もなき手作りの手と、それを享受して着ていた人たちの魂に答えたいと思います。美しい布の彫刻でもあり、計りしれない美しさと哀感を感じる布地の日記帳でもあり、女たちの無言の独白で日本の精神を知る窓口だと思います。」とエミーさん。
貧しい農家の古着は気持ちが悪い、触りたくもない、貧乏のあかしで日本人にとって恥の記録として押しやられ、捨てられ、燃やされました。
一針一針を縫いこんだボロの中に女たちの祈りの声を聞くエミーさん。
「縫い目は踊り、つぎはぎが歌います。祈りが流れ、そこには作為や飾りが微塵もない素の自分を演じる舞台なのです」と。
貧しさの中の美を見出し、日本を理解し、これほど愛情を込めて見つめてくださる外国人がいるでしょうか。
使用していない倉庫で開いたエミーさんの「ボロ展」
重ねられ補強されたボロは「布地の彫刻」の様だというエミーさん。
私たちはエミーさんに教えられます。心から感謝をこめてエミーさんの見識眼に最敬礼です。
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