小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「価値観を変えたアフリカン アメリカン キルト」

2007-08-03 00:21:48 | キルト

ジェラシー訴訟が円満解決・民主的ファンデーションが誕生!
ジーズ べンド(Gee's Bend) のキルト        
写真:切手

 
大衆のステレオ意識を変えるには長い時間とショックセラピーが必
要である。
 1972年、ジョナサン・ホールスタインがキルトの中からアブストラ
クトデザインを発見し、ウイットニー美術館で開催したキルト展はセン
セーションを巻き起こした。それまで誰も評価しなかった名もないア
ウトサイダーの作ったキルトがアートとして展示されたことはアメリカ
人も驚愕し、以来キルトムーブメントが世界中に浸透し、歴史の新し
いページが開かれた。
 しかし60年代に起こったポップアート アーチストたちはすでにキル
ト デザインの並列を試みている。アンディ・ワーホルはコカコーラの瓶
やキャンベルスープ缶を並べたてている。

 地図にもなかったアラバマ州の貧しい奴隷の末裔が住むジーズ 
ベンドで、アフリカン アメリカンたちが作ったキルトが美術館に展示さ
れ、世に紹介されたのは2,002年。ビル・アーネット(Bill Arnett)の
プロモートにより一躍有名になった。


 暮らしの必需品として作られた彼女たちのキルトは、がたがたベ
ッドの敷布団になり、古くなると蚊の退治用に煙と消えていった。
貧しくて布地も買えず、修繕された布地をそのまま使ったり、常識で
はマッ
チしないコーデュロイと化繊を混ぜたり、布地次第で作ったキ
ルトである。そこには気取りのない彼女たちの暮らしの詩と色彩、リ
ズムが躍動し、規制観念を持たないアブストラクト アートそのもので
あった。
 展示は大成功し、複製キルト、ライセンシー、出版物など大ビジネ
スに発展した。しかし、キルトはアーネットが購入したものだがロイヤ
リティをめぐって訴訟問題になった。

 その結果、700人の村民たちはファンデーションを作り、50%はキ
ルターに、後はコミュニティに還元することにした。室内装飾用品に
われたデザインのライセンシーで得た収入はそのロイヤリティで作
れなくなった年老いたキルターたちをも助け、50%はファンデーション
の収入になる。現在15万ドルに達している。(ニューヨークタイムス)

 ”黒人はデザインのセンスもなく不器用だ”  ”汚いボロではキルト
は作れない” ”針目が大きく踊り、曲がり、よくもあんなものが・・・”
など・・ すべて厄介な規制観念がデザインを邪魔していることを、本
当に大事なことは自分らしさ、のびのびとした表現力、創作力
という事を、彼女たちから教えられる。

 「キングが私たちをコットン畑から解放してくれました。アーネットは
敷布団から美術館の壁に展示してくれました。私たちにとってキルト
はお金以上のものなのです
」と、キルターたちは語っている。

 参考:The Quilts of Gee's Bend   
         http://www.quiltsofgeesbend.com/news

 

 


 
 
 
 

 


 


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