散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「不完全講和条約」を強調~「主権回復」式典の効果~

2013年04月30日 | 国内政治
全面講和ではなく、多数講和として独立を回復してから61年、ここで安倍政権が式典を企画した理由として何があるのか?ここで注目されるのは沖縄の反発と式の直後のロシア訪問である。

沖縄県の仲井真知事は沖縄が日本から切り離された日として反発、結局、副知事の代理出席となり、皮肉にも、講和条約が日本の主権にとって“不完全な条約”であったことを改めて知らしめた。また、安倍首相のロシア訪問は北方領土問題に焦点が当てられる。即ち、領土と憲法をダブらせて、戦後レジームの欠陥を狙い撃ったのだ。

日経新聞のインタビュー記事の中で、これを提唱した自民党・野田毅議員は「降服(1945/8/15)と独立回復(1952/4/28)は一体で考えるべき」「主権回復の結果、自主憲法制定が可能になった」「安倍首相はそこに乗ってきた」と話した。

憲法制定から講和条約までの戦後体制は吉田茂によって築かれたものだ。
歴史に組み込まれたサンフランシスコ講和条約(2012/10/07)』

その後、鳩山一郎-岸信介と受け継がれていき、鳩山はソ連との国交回復(日ソ共同宣言1956/10)を実現し、岸は日米安保条約改定(1960/6)を行ったものの、その重みは吉田の憲法制定、独立回復に比肩されるべくもなかった。60年安保騒動の後、吉田の直弟子である池田勇人-佐藤栄作によって高度経済成長、沖縄返還が果たされ「吉田ドクトリン」は日本の正統路線として国内外に改めて認知された。
「吉田ドクトリン」は永遠なり(2012/10/22)』

岸信介の孫である安倍首相は強硬な改憲論者として「吉田ドクトリン」を打破しようとする立場にある。従って、講和条約の内容が日本にとって、厳しいもので有り、憲法と同じく、米及び連合国に押しつけられたイメージを与える方が好都合である。

しかし、この論理は日本の内向きの事情から提起されたものだ。

条約締結に参加した国は米英等49ヶ国、これは、戦争が真珠湾攻撃に始まる対米戦争だけでなく、日独伊三国同盟で結びつきながら、中国、東南アジア、オセアニアまで軍事進出した日本と連合国との“第二次世界大戦”であったからだ。

これらの国は日本が米国下の占領体制において策定された憲法によって民主化・軽武装化された日本を国家として承認した。その枠組を打破しようする安部政権の試みに反発する国は中国・韓国だけではないだろう。そこに安部政権のアキレス腱があるように思われる。


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