散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

歴史に組み込まれたサンフランシスコ講和条約~吉田茂 in 『負けて、勝つ』

2012年10月07日 | 国内政治
講和条約の調印式がテレビドラマの主題になったことがこれまであっただろうか。「ドラマ」「映画」でググってみても本編以外は出てこなかった。歴史書、歴史書教科書等は別にして、このドラマによって「戦後から講和条約までの時代」はようやく歴史として物語られるようになったとの印象を受けた。

小学校高学年のときに「少年少女・日本の歴史」全集を通して読んだことを思い出す。「日本武尊」で始まり「西郷隆盛」で終わる。それは日本人の歴史が明治維新までだと暗示する。55年前は、それ以降は「現代」に繋がったままで、ある程度まで共通認識が構成される「歴史」ではなかったと考える。当然、軍国主義と敗戦、更に戦後改革、日米安保を評価する基軸が分かれることが影響する。

今は、「坂の上の雲」の影響もあってか、日露戦争までは歴史に組み込まれているようだ。それ以降は未だに歴史物語的表現は得ていない。上述の全集のタイトルに表現されるように、物語にはヒーローが必要だ。

その意味で、雲をつかむような坂の上から、下へころがる時代は物語的表現ができない。僅かに「真珠湾攻撃」の山本五十六が挙げられるだけだ。これも「ミッドウェイ沖海戦の大敗」を不運で片付け、視察の際、偶々米軍に遭遇して撃墜された悲劇の提督に仕立てて成り立つことだ。もちろん、暗号を解読されたあげくの出来事であり、その間抜け振りは見て見ぬふりをする以外にない。

戦後改革の主役はマッカーサーであった。新憲法の挿話は全編それを確認する。一方、第二次内閣の成立後の講和条約交渉では、その憲法第9条を盾にして吉田は再軍備を先ずは拒否し「講和条約=経済再建の道」を突き進もうとする。「商人的国際政治観」の発露であった。しかし、ダレスとの交渉は厳しかった。ドラマは交渉の場を手短に表現し、テンポは速い。その結果、講和条約、安保条約、行政協定と分けて決めた処などは判りにくい。しかし、ここに米国に対して『戦争に負けても、外交交渉で勝つ』の醍醐味が表現されている。

物語第1回は吉田が終戦工作の露見で憲兵に逮捕され、監獄に入れられているシーンから始まる。憲法第9条改定・再軍備を拒否し、米軍駐留・軽武装に止めたのは、米国だけでなく、復活を企てる旧軍部に対する勝利とも言えよう。これに関し、戦後60余年、ようやく歴史として共通認識が得られたようだ。

          

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