散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

南シナ海は毛沢東戦略の「中間地帯」か?~「平和の代償」を改めて読む2

2015年12月07日 | 国際政治
「平和の代償」の第一論文『米国の戦争観と毛沢東の挑戦』において、「毛沢東」の部分は“戦争と平和の弁証法”及び“世界戦略と「中間地帯」論”で構成される。先の記事で紹介したのは主として“戦争と平和の弁証法”である。ここで永井は、世界の軍事研究家にとって孫子は最高の戦略家であることを指摘する。
 『南シナ海、米国の秩序観と中国の挑戦2~「平和の代償」を改めて読む151121』

毛を孫子等の中国伝来の権謀術数の英知を身につけた大戦略家と位置づけ、毛は徹底した“動乱イメージ”で戦争と政治の関係を規定すると述べる。即ち、「政治は血を流さない戦争…戦争は血を流す政治」であると。

中央主権的な権力が破壊され、権力が弱化された地方において、点在する共産党と国民党との広大な農村(中間地帯)を主戦場とする争奪戦があった。そこで重要な根拠基地を中心にゲリラ戦を武器にして、農村が都市を包囲していく戦略が毛によって進められた。

これはゲーム論的なチェスではなく、囲碁の発想だと永井は指摘する。強固な自給力を持つ根拠基地の補給路を繋ぎ、一見して無関係な配置の如くが、囲碁の布石となり、それらが連結されて生き、都市を包囲するのが革命戦略であった。

更に、永井は、当時の陳毅・中国外相が好んで使う“外患なければ国危うし”を引用し、敵を意識的に作って鎖国状況にし、その危機感をバネに、モラルを維持して近代化を図るという戦略であると解釈する。

即ち、中国流の「非合理的」と思われる強硬路線は、孫子レベルの英知に支えられた「合理性」を有すると評価する。但し、米国に対して誤ったイメージを与える可能性があることも懸念する。

さて、広大な農村地帯をめぐる争いにおいて、「根拠地を点在させ、そこからゲリラ戦を展開して繋いでいく」との戦略から、何をアナロジーとして思い浮かべるだろうか。それは“南シナ海”の現状である。

香田洋二氏(上記引用を参照)が指摘した様に、海南島・三亜を根拠地にして、ウッディー島、ファイアリー・クロス礁を埋立飛行場として前進拠点化する。更に、今は中国実効支配のスカボロー礁を、将来、埋立てすれば、南シナ海に中国の三角地帯が完成する。中間地点である公海の中に、ゲリラ的進出によって、広域を支配することができる。

これは中国革命における中間地帯理論の応用である。
ゲリラ戦として考えれば、押されれば引き、隙を見せれば進出すれば良い。短期決戦が無理であれば、長期的に米国が嫌気をさして太平洋に後退するのを仕掛けていけば良い。

しかし、公海、即ち、“公”という観念が中国に欠けているのだろうか。
先の記事で指摘した様に、小笠原諸島近海で密漁によって、一攫千金となれば、競って飛び出してくるだけのエネルギーを中国民衆は備えているのだ。
 『過剰な力を持った中国の対外戦略~南シナ海問題は華僑のアナロジーか1511204』

そのエネルギーの捌け口を与えながら、利用することは中国政府も十分に心得ているはずだ。但し、問題はかつての閉鎖社会での孫悟空的な活動ではなく、グローバル化した世界の中での国際政治の問題である。中国流を制御することに米国を始めとして、東アジアから東南アジア諸国は成功するのか、大きな試金石として見守ることが大切だ。庶民レベルにおいてはだ。

      
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