散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

安倍元首相の死(2)~社会の深淵で何が…

2022年07月16日 | 現代社会

7月8日(金)の昼頃、故安倍元首相が襲撃を受けた事件をテレビで知って以降、暗い気持ちになった。犯人は政治的理由ではなく、個人的、社会的に孤独な中年でマニアックに銃を保持…何でまた?との気持ちであった、

それ以降、強い違和感を持って事態の推移と様々な見解を追っていた。その中で、会田弘継氏(ツイッター:7/11)の言葉に「ズバリ」の衝撃を受けた。以下の記述だ。

『「民主主義の否定」とか「言論への暴力」に違和感を持ったのは、それよりもっと深刻なことが起きている気がしたからだ。』…『「政治制度ではなく、もっと奥深いところでなにかが壊れてしまっているような思いがしています。」

ハッとさせられ、そうだったのか!と感じた。相模原老人施設での殺人事件、京都アニメスタジオ放火事件が挙げられていた。
更に後に、『「未明に米国の友人から届いたメッセージに添えられた以下の詩の引用が、自分の感じていることを幾分か的確に言い当てている気がしたので、書きとどめておく、との発言もあった。

( https://facebook.com/photo/?fbid=10159683 )

筆者も自分の衝撃を思い直し、地下鉄サリン事件(1995年3月20日)から四半世紀の後、社会秩序への集団性暴力が「個人」へと解体したような、そんな気がした。しかし、相模原、京都との違いは、個人の思いが…どのような思考を辿ったか不明だが…政治指導者個人へと及んだことだ。

おそらく、直感的判断であって、熟慮ではないと筆者は考える…(『ファースト アンド スロー』(D・カールマン著)早川書房)なお、著者はノーベル経済学賞を2002年受賞、いかにして人は認知的な錯覚に陥るのか?どのようにすれば合理的な判断ができるのか?」についての研究!

特に、孤独、マニアック、被害者意識、が重なるとファースト思考に陥る可能性が高いように思われる。


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