先の投稿(20/5/14)、『生活は変わったか』において、
「新しい生活様式」と「徹底した行動変容」との表現に違和感を示した。
「旧い正常の中に新しい正常の芽のようなものも含まれる」と考えた処、「それが歴史の進歩ですね。」と齊藤誠教授から指摘を頂く。
新しい正常も機能する中で、「ウィズコロナ」の新しい正常も試みられる。しかし、コロナウィルスは英国株、南ア株、インド株等様々な変身を遂げる。自らの身の丈に合せてその構造を変化させる。規制が掛るなかで、東京、大阪は相変わらずの人出、新しい正常も長続きしないようだ。とは言って、米国のように適者生存で、規制はあっても無視して自由な行動を取る人が多い国もある。
しかし、図体が大きく、また知識も豊富な「人」はそれに合わせた行動を取る以外には選択が無い。コロナウィルスへの対抗にはワクチンの活動を促すだけだ。当然、日本の中では一気にワクチン志向の流れができる。これが新しい正常の決め手になる。更に、その上に本当の意味での新しい生活が工夫され日常化するものと考える。