散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

西欧の植民地支配が育てた暴力性~国内へ跳ね返る現代的テロ

2015年01月11日 | 政治理論
映画『おじいさんと草原の小学校』は、世界最高齢の小学生としてギネス記録を持つキマニ・マルゲの実話を描いた人間ドラマだ。筆者は岩波ホールで見たのだが、その時のパンフを見ると、ロンドン映画祭2010年出品になっている。


ケニア政府の教育政策により、84歳にして小学校に入学した彼の勉強に懸ける情熱、下の写真にあるように、それを支える若き女性教師及び幼い級友たちとの交流を、ケニア独立戦争の戦士として戦った過去を織り交ぜて描いている。

ところが、筆者が強く印象に残しているのは、勉学に掛けるおじいさんの情熱よりも、独立戦争時の回想に表れる当地の英軍による現地の独立派に対する凄惨な圧迫だ。勿論、ゲリラによるテロに対する軍の反撃であるから、それが“絶対の的”との対峙になることは確かなのだが。

マルゲが家族とともに英軍に捉えられ、若い妻と赤ちゃんが兵士に銃を突きつけられた状態で仲間の居所を追及される。赤ちゃんが泣きわめく中で、彼が拒否すると、リーダーの合図と共に銃声一発、赤ちゃんの泣き声がピタッと止む。若き妻は取り乱すが、再度の合図で、その声も消える。

このシーンから、一昨日の記事で述べたアーレントの「帝国主義的性格」を思い浮かべ、帰宅してから早速、「全体主義の起原」第2巻『帝国主義』を取り出し、該当部分を探し出し、その部分を再読した。今回は部分的に3回目だ。
 『中東の聖戦へ参加する西側の若者~暴力性の問題150108』

過剰資本を論じた後に、アーレントは次の様に云う。
「資本主義のもう一つの副産物として…人間の廃物がそれである」(P47)。
「過剰となった資本と過剰となった労動力のこの両者を始めて結びつけ相携えて故国を離れさせたのは、帝国主義だった」(P47)。
「…19世紀的の異常な資本蓄積が生み落としたモッブが、生みの親のあらゆる冒険的探検旅行について廻ることになる」(P48)。

「帝国主義の時代には
…エリートは伝説もしくは擬似伝説に惹きつけられ、
…多数の平均的人間はイデオロギーに自らを委ね、
…モッブは地下の世界陰謀団に暗躍物語にうつつを抜かした
のである」(P138)。

この指摘は現代的思われる。
テロ、暗殺などに惹きつけられる過激派の暗躍は、その周囲にいるイデオロギーに自らを委ねた無言の集団の支持、暴力によって自らの時代が築けるとの物語に惹きつけられる指導者による指示によって、行動しているのだ。

イスラム勢力に代表される現代的過激派は、グローバル資本主義を現代版帝国主義として生み出された“鬼っ子”であるかのようだ。

     

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