散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

日米同盟における「ナルシシズム」の姿~安倍首相の米国議会演説2

2015年05月16日 | 国際政治
日本と米国との距離感に乏しい処が、筆者には、安倍演説の特徴と感じた。
しかし、逆に演説が好評であったのは、そのための様にも思える。米国にとって自らが信奉しているイデオロギーを真正面から持ち上げられるのは、悪い気がしなかったはずだ。殺し文句を次から次へと安倍首相が並べたことは、居並ぶ議員たちには、国際政治の中のエアポケットのように感じられたのではないか。

演説の始め、「日本にとって、アメリカとの出会いとは、民主主義との遭遇…」と述べたのが、全体のトーンを象徴している。

しかし、その出会いは「丁髷・袴」姿が「散髪・洋服」姿と遭遇したことではないか。後に岩倉使節団が欧米で丁髷を嫌われ、時の政府が「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」との都々逸を使って、断髪令を世間に広めたとのことだ。
即ち、“文明”と日本が感じたことに対する遭遇なのだ。

更に、戦後が米国のパワーと、それを支える“民主主義”との遭遇だ。この二つの遭遇の間に、谷間としての日本の「帝国主義と軍国主義」の時代がある。こう考えると、「私の祖父、岸信介…」を持ち出した安倍首相の考え方が良く判る。

それも臆面も無く「日本と世界の自由主義国との提携は…民主主義の原則と理想を確信…」と岸首相が米国議会で述べたとの話だ。岸信介は、東條内閣の商工相を勤め、マッカーサーによってA級戦犯容疑者として拘束された。この発言は、当然、岸信介としてではなく、民主化日本の首相としてのことだ。岸信介個人としては、陸軍と革新官僚が支配した軍国日本を肯定しているはずだ。

この首相と個人の二つの態度に引き裂かれた中に、日本の政治的基盤の不安定性が示され、また、諸外国、特に東アジアから豪州まで、侵略された国々からの疑惑の眼が向けられる。演説の中で公人・岸を個人・岸として持ち出し、自らをそれに投影した処が、安倍首相の自立しえないナルシシズムなのだ。

「戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップによる…日本が選んだ明確な道は…祖父の言葉、米国と組み、西側世界の一員となる選択だ。日本は米国及び民主主義諸国と共に、最後には冷戦に勝利…この道が、日本を成長・繁栄させ…今も、この道しかない」。

しかし、永井陽之助が冷厳に指摘したように、「日本は、敗戦後、選択によってではなく、運命によって、米ソ対立の二極構造の中に編み込まれた。これは米国も同様である」(「日本外交における拘束と選択」『平和の代償』)。その運命を切り抜けたのは吉田ドクトリンであって、米国の核のカサの中での軽武装・経済成長の政策が日本の選択であった。

安倍演説では「…アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を徹頭徹尾支持…“国際協調主義にもとづく、積極的平和主義という旗”…日本の将来を導く旗印…」と述べているが、英文では、"proactive contribution to peace based on the principle of international cooperation"(国際協調の原則に基づく、平和への積極的貢献)になる。一言でいえば、「国際協調」なのだが…。

「太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にする。そのために日米同盟を強くする。しなくてはなりません。私たちには、その責任があります」。

しかし、国際間に法の支配の貫徹する平和とは、最終的に各国の行動が一つの国際法に規定され、世界秩序が確立される中で得られるものである。この段階では日米同盟は不要になるはずだ。

更に、これは日本国憲法前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼…」の世界であり、
第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」をバナーとして掲げることを意味する。

しかし、日米同盟とは云っても、軍事的には日本が米国に依存する体制だ。その見返りとして対米協力は必須になる。リバランスは所詮、米中のバランスをとることが第一になるのであって、それを米主導の法支配に持ち込もうとすれば、中国との確執は免れない。

安倍首相は米国の意に沿って米国のアジア・太平洋政策を百パーセント支持して日米同盟を強化し、それを日本の選択と主張することで、独自性を主張した。しかし、実際は日米同盟に対等の幻影を見ているに過ぎない。これも一つのナルシシズムに過ぎない。


      


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