in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
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ピンチ

2010年03月21日 | Dominican Republic
ポルトープランスから国境を越えドミニカ共和国のサント・ドミンゴ空港まで、夕方4時半の便に間に合うように車で向かう。英語の通じる運転手をリクエストしていたのだが、出発してからいろいろ話してみると挨拶以外はほとんど通じないことが判明。引き返しても、日曜日ということもあり、代わりの運転手がすぐに見つかるわけもなく、まあ何とかなるだろうと、そのまま目的地へ向かう。

ハイチは砂糖のプランテーションで有名で、ドミニカ共和国側でもサトウキビ畑が一面に広がる(写真)。行きしとなんとなく風景が違う気がしつつも、約6時間の予定の車中で居眠りする。

運転手が着いたというので起きてみると、小さな町の空港に着いたようだ(*)。明らかに違う。「ここではなくて、サント・ドミンゴの空港からニュー・ヨークに飛ぶ」となんとか説明すると、「サント・ドミンゴには行ったことがない」と言い出す始末。

周囲の人に道を聞こうにも、皆スペイン語しか話さない。運転手はフランス語かクレオール語、私は英語か日本語と、全く意思疎通がなりたたない。運転手に事務所に電話させようにも、国外で携帯が通じず。こうしている間に飛行機の時間が刻一刻と迫る。さすがに焦る。

(道中のモロモロは省略して)空港には出発時刻の30分前に到着する。明らかに人々であふれ返っている。明日のプレゼンのために、どうにか本日中にニュー・ヨークにたどり着けないか掛け合おうとすると、空港が停電のため搭乗予定の便が約2時間遅れるとのこと、運に恵まれた。

と喜んでいるのもつかの間、地上乗務員が乗客に航空券にを渡すのに、用紙に一人一人の個人情報(パスポート番号など)を手書きしている。空港内は空調も効かず、結局4時間送れの離陸まで待たされる。さすがに様子がおかしいと思われたのか、客室乗務員からビジネスクラスの席が空いているからと勧められ、座ったとたんに爆睡した。


*)後で調べたら、Barahonaという町だった。よく軌道修正できたものだとわれながら感心する。

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