仮設住宅のデザインが決まり、資材の調達、労働者の確保も方針が固まる一方で、その仮設住宅を建てる場所が見つからない。被災者の多くが、ポルトープランス中心部の過密地帯の借家に住んでいたので、元の家があった場所にたとえ大家の許可を得て戻れたとしても、政府の推奨する18平方メートルの広さは確保できない。仮設の2階建住居をつくるわけにもいかないだろうし。
新たな土地を確保し、まとまった仮設住宅を建てるという案を中心に政府や国際機関の作成した計画が動いている。被災者を強制移住することのないように、また建てられた仮設住宅がきちんと使われるように、生計手段の確保や入居する被災家族の選定などの議論がなされている。こうしたことは阪神淡路の震災復興やスリランカの津波復興でも問題視されてきた。
そうした土地を確保するために、ハイチ政府が主張するのは『地主から土地を購入する資金を援助して欲しい』。それには大反対の国際社会。誰が潤うことになるのか考えたら当たり前やけど、その当たり前が通用しない世界がある。
某資産家から仮設住宅の建設にと提供された土地の下調べに同僚が行った。すでに何年も前から周辺住民がその土地に恒久住宅を何十棟と建てていた。その資産家は土地購入後30年近く、現地を訪ねていなかったらしい。ハイチでは、土地の台帳管理や地権者に関する意識がとても低く、ものを建てることがとても難しい。
夕方、仮設住宅チーム(といえるくらいスタッフが増えた)で、今後の展開と方針を検討。復興の過程で起こるであろう様々な問題をつらつら挙げていく私に感心するスタッフ。伊達にスリランカに5年も居ただけではないんやで。