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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

雨漏り

2005年04月20日 | Weblog
昨日、現地で担当者に聞いて確認した方位と、図面の形がどうしても違うように感じたので、電話で確認するが埒があかない。現場写真の影から方位を確認できるかと思ったが、北緯数度なので太陽の位置からも判断しづらい。仕方がないので、他の現場も含めて再度足を運ぶことにした。

現場へは、必ず職場の運転手の車で向かうが、運転手が英語を話せるとは限らず、意思疎通に困ることがある。その点、今日の運転手Pさんは、シンハラ語も英語も話せるので安心である。運転以外にも、住民からの要望も通訳してもらい、非常に助かった。テントの雨漏りがひどいことが発覚し、ブルーシートの補充を上に報告した。


津波被害の義援金に、日本が一番お金を出しているそうで、そのせいだか、避難所に日本人の私が行くと結構、歓迎される。私が所属する機関は日本のそれではないが、日本を代表して来ているような気分になることがある(勘違い?)。目に見える支援も大事なのかなと身をもって感じた。

テント脇を食事時に通りかかると、「うちのカレー食べてかない?」と横で作っているカレーを勧めてくれる。たいていは職場の人と動いているので、勝手はできないが、今度一人のときはお言葉に甘えて、テントの中で一緒に食べてみようかと考えている。

停電

2005年04月19日 | Weblog
今日からPさんが東海岸側のTrincomaleeやAmparaの現場の様子を見に行ったため、来週まで心細い。何かあったらすぐ電話するようにと言われたが、何も起こらないことを願う。

昨日のグランドの続きで、まず、現状を図面におとすことにする。ここにきて、こちらのスケールがインチとフィートであることに気がつく。アメリカでも苦戦したが、またもや。。。
(12インチが1フィート、18インチが1.5フィートという換算は慣れの問題だが、縮尺ではそう簡単にはいかない。通常は、500分の1とか、100分の1という表現ではなく、1インチを基準に、それを500フィートとする、100フィートとするという風に表現するので、図面を見ただけではなかなかピンとこない。)
しばらくは電卓片手に換算、換算ということになる。

現場に赴き、もともとの地図の境界線も定かではない中、メジャーをもって測ることになった。深さ80センチ長さ120mほどある雨水溝を目安にグランドを行ったりきたり。とにかく暑い。テントの中の人々はどうしているのか、想像を絶する。

ふらふらになって事務所に帰ってきたら、雷雨のため、停電になる。
この時期は、国内の電力供給が不安定になるそうで、停電が多いとのこと。普段はすぐに復旧するらしいが、なかなか戻らないので、諦めて帰ることにする。7時過ぎに帰られたので、部屋でゆっくりした。

テント生活

2005年04月18日 | Weblog
担当することになったColombo、Kalutara地区周辺を受け持つ施工業者と顔合わせ。Pさんが仕切っていろいろ確認してくれたが、今月はじめの設計変更を業者が把握していなかったらしく、資材の調達が遅れそうな気配。先行きの不安を感じさせる引継ぎであった。

打ち合わせが長引いたため、昼飯を食いそびれた。そのまま現場に行こうとしていたら、
Rさんが「わしらのを一緒に食え」と弁当を分けてくれた。とても嬉しかった。

その後、Kalutaraにある約2万5千平米の市民グランドの現場に行く。
この避難所では、80のテントに172世帯591名が住んでいる。
一世帯あたり3.4人、人数の内訳は表のようになっていて、15歳以下の子供が約3割をしめる。

       女性    男性   合計
0-7歳   46    46   92
8-15歳   50    55   95
16歳以上  208   186  394
合計    304   287  591


現状把握をしていると、被災者らしき男性たちが詰め寄ってくる。
シンハラ語なので何を言っているかわからないが、怒っているのは一目瞭然。
同行したRさんに通訳してもらうと、以下のような内容であった。
「津波から3ヵ月以上もたつのに、仮設住宅の数が足りない。
 工事がこれ以上遅れるのなら、自分たちが作るから、
資材と場所をすみやかに提供してほしい」
ごもっとも。

今週はこのグランド内に建てる200戸の仮設住宅のレイアウトを考える。
トイレなどは他の機関が担当しており、彼らと連携しつつ、
すでにテント暮らしをしている人々の声を聞きながら、進めることになる。

アパート探し

2005年04月17日 | Weblog
ホテル暮らしでは、さすがにお金が続かないので、土地勘がついてきたところで、部屋探しを始める。

同僚や先輩の意見を参考にいくつかあたるが、予算、場所、安全を満たしてくれる物件はなかなかない。誰かのアパートに転がり込むことになるのだろうか。それも楽しいかもしれない。もう少し検討することにする。

職場の人らと落ち合って夕食を食べた。

病院へ行く

2005年04月16日 | Weblog
残っていた予防接種(A&B型肝炎、日本脳炎)の2回目を受けに、アポロ病院に行く。案内された治療室に入ってしばらくしても誰も来ない。受付で再度たずねると、「昼飯に行ってるんじゃない?」とつれない返事。まあ、そんなものかな。
あっちの部屋、こっちの部屋といったりきたりして、1時間ほどで終了。
病院には、上司のPさんがついてきてくれて、いろいろ掛け合ってくれたので、これでも早く済んだほうかもしれない。感謝。

帰りに一緒に食事をして、仕事のことからお互いの生い立ちまで、じっくり話し込んだ。(といっても、いつものごとく私が話す割合は少ないが・・・。)満足して帰ってきた。

出勤2日目。

2005年04月15日 | Weblog
上の人にとりあえず現場を見て来いと言われ、
Colomboの西南部約25kmに位置するKarutalaという町の仮設住宅を建てる現場に行く。
向かう途中のmoratowaの海岸沿いで、車を停めてもらって被害の様子を撮影。
被害を受けて壁だけが残る家があった。
青い海と澄んだ空との対比に言葉がみつからない。
写真のヤシの木の葉っぱあたりまで、高波が押し寄せたとのこと。
この島の西海岸まで津波がまわりこんで来たなんて、なかなか信じられない。

仮設住宅を建てる現場はの横に避難所があった。この暑い中のテント暮らし。
到着後数日間のくつろいだ気分がいっぺんに飛んでいった。10年前の神戸の震災と重なる。
現状把握で避難所内をうろうろしていると、被災者の女性が話しかけてきた。
津波支援の活動団体にとても感謝していることであった。
私も何かねぎらいの言葉をと考えたが、何も思いつかない。
正直に、「なんと表現していいか言葉がみつかりません」と伝えると微笑んでおられた。
子供らも寄ってきて、「ハウ・アー・ユー?」などとたわいもないやり取りをする。
デジカメで撮った画像を即座に見せると、大反響であった。
先ほどの女性の子供と思っていたら、彼女が津波後に引き取った子らだと聞く。

現地の技術職員Rさん(スリランカ人)と合流する。施工業者と交渉するには、シンハラ語やタミル語を話せるほうがいいとのことらしい。

あけましておめでとう

2005年04月14日 | Weblog
新年ということで、今日はおやすみ。
午前中は部屋でのんびりして、午後からコロンボ市内を少しうろうろしてみた。まちは多くの店がしまっていて、静かな一日であった。

植民地時代の建物や公園がある地域は、とても優雅な雰囲気が残っている。
一方、庶民の住宅や市場はお世辞にもきれいといえない状況で、貧富の差を見せつけられる。
(コロンボ周辺は、まだたいしたことはないそうなので、他の地域はもっと劣悪な環境にあるのかもしれない)
また、時間をみつけて、まちを観察してみたい。

初出勤の日

2005年04月14日 | Weblog
車で迎えに来てもらい、ちょっと遅めに出勤する。
プロジェクトの概要説明を受け、自己紹介や事務手続きをした。
初日にメールアドレスと携帯電話を手渡されるなど、仕事の速さに驚かされる。
仕事の役割分担がはっきりしているからだと思われる。

さまざまな国の人がいて、気さくな季節労働者のような雰囲気があるが、
よくよく話を聞いていると、アフリカでの難民救済、地雷除去、
国連開発計画支援などに参加したことのある経歴の人ばかりで、圧倒される。
私と一緒に仕事をするPさんは、同じアジア出身の温厚で丁寧な方で、
馬が合いそうです。よかった。

職場は、コロンボ市内の高級住宅街の1画にあり、
豪邸だった建物をそのまま使っている。
リビングルームであった場所がミーティングスペースに、
各居室が3~4名の机がある部屋として使われている。
なので、それぞれの部屋にトイレがあって事務所らしくない感じ。
写真は、私の席から入口、ミーティングスペースを眺めている。
天井が高く各室にファンがついているが、後付のエアコンもついている。


私の所属機関は、スリランカで約5,000棟の仮設住宅をこの数ヶ月の間に作る予定とのこと。
被害の大きかった東海岸沿いのAmparaやBatticaloaには、
すでに技術職員が配置されていることもあり、
私は契約期間の大半をColomboの事務所で過ごすことになりそうだ。
任務期間中に、西南部のKarutalaという町に入ることになるかもしれないが、
Colomboの南約30kmの位置にあり、週に何回か往復するような形になるかと思われる。

今日明日が祝日というのは本当で、明日がこちらの新年のはじまりとのこと。
事務所は明日だけお休み。まったく知らなかった・・・。
大晦日ということで(?)、夜に事務所主催のパーティがホテルであったので参加する。職員だけではなく、関係者も来られていて楽しい会であった。
新年を祝う意味もあるのだろうが、日ごろの任務の重圧を発散する場であるように感じた。
たわいもない話からプロジェクトの進行具合などまじめな話も。
何十人に一度に会ったので、顔と名前が覚えきれなかった。
印象深い初出勤日であった。

移動日

2005年04月13日 | Weblog
ドタバタのまま家を出て関空に向かう。
空港で無事にチケットを受け取り、出国手続きをする。
一段落すると、いつものことだが日本をはなれることに、
急に寂しさを覚える。


正午過ぎに離陸し、経由地のシャンギ空港(シンガポール)に
17時40分(日本時間18時40分)に着いた。
乗継便のコロンボ行きは、22時40分に出発予定のため、
5時間近く何をしようか考える。
出発前にシンガポールのことを調べる余裕などは当然なかったので、
まずインフォメーションセンターで聞いてみることする。
電車で都心までは1時間弱とのこと。往復だけするだけでもいいかと思ったが、
そういえば、ヴォイスレコーダーを買いそびれていたので、
シンガポールで手に入れることにする。
(やはり、会議とかで聞き漏らさないか心配なので。。。。)

案内係が勧めてくれたショッピングセンターに向かった。
初めての国では電車にのるだけで楽しい。空港のある駅から4駅でTampines駅に着いた。
駅前のショッピングセンターにバスターミナル、それを囲む集合住宅という環境で、
15年ほど前に開発された新興住宅街のような町が広がっていた。
ちょうど通勤時間帯と重なり、都心から着いた電車からどんどん人が降りてきた。
百貨店の電化製品コーナーでヴォイスレコーダーを手に入れた。
店の雰囲気も並んでいる製品も日本のそれとほとんど変わらない。
途中、露店で買ったチマキがうまかった。


数時間のシンガポール体験を経て、ようやくコロンボ行きの飛行機に乗る。
乗客は100名近くいたと思うが日本人らしき人は見当たらない。
4時間ほどでコロンボに到着。飛行機のタラップを降りて、ターミナルまでバスで向かう。
この時点で午前0時すぎ(日本時間3時すぎ)。

入国審査を終え、スーツケースを取ると、底がかなり凹んでいる(一度開けたら閉まらないぐらい)。
早く休みたいという気持ちを抑えながら、空港の職員と交渉する。
修理を請け負ってくれる会社を紹介してくれたが、明日明後日は祝日で休みとのこと。
え、祝日って、どういうこと? 
もう疲れすぎて、どうでもよくなったので、書類だけもらって外に出る。
運転手が待っていてくれて一安心。
30分ほど車で走ってホテルに着いたのが、午前1時半くらい。
少し待って家に電話しようかと思ったが、日本はまだ朝の5時なので、
やめて寝ることにした。

長い一日であった。


行ってきます。

2005年04月12日 | Weblog

準備をしてたら、こんな時間に。(汗)

今から寝たら危険かなと感じ、出発の時間まで、
日記の更新や「行ってきますメール」を書こうと思ったのだけど、
やっぱり眠いので寝ます。

昨日のねぎ焼き、旨かったな。。。。