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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  「各務用水現地見学会」

2016年06月10日 23時01分14秒 | ヒストリー各務野会

ヒストリー各務野会は各務原市緑苑コミニティセンターを活動拠点にして、毎月第2第4金曜日に、主に歴史を学ぶと言う自主学習集団です。会員は20名余り。かつては女性会員も居ましたが、今は男性会員ばかりとなっています。年齢的には高齢者が多いのですが、何れの方も学ぶ意欲は人一倍、旺盛な方ばかりです。

今回は「各務用水」の現地学習会です。昨年11月27日に「各務用水について」と言うタイトルで講義を受けました。その時、講義の翌回に現地見学をする予定でしたが、秋で用水路に水が無い時期でして、今回の開催と成りました。
講師は、かつては高等学校の教員を勤められた坂井治雄さんです。現地で、色々と解説を頂きました。

単純に考えれば、近くの岐阜市芥見辺りから取水すれば、遠距離を引張って来る必要が有りません。でも、高低差でそれが無理です。津保川サイフォン。山田川サイフォン。伊吹サイフォン。それに端末のポンプ場。各務用水を今日の姿にするために、相当の苦労が有ったと想像します。





「各務用水」の施設MAPです。
長良川の小瀬取入れ口から幹線水路で流れて来て、岐阜市芥見で東西に分かれます。



資料。
ポンプ場の位置が判ります。



今回の見学場所のポイント地図です。
取り入れ口から南へ順に現地見学を行いました。

小瀬取り入れ口水門

小瀬取り入れ口で解説する坂井先生。
向こうに見えるのは鮎之瀬橋です。




取水口です。
ここが各務用水のスタート場所となるところです。
長良川で、対岸から眺めた訳です。




橋の下に屋形船が係留されています。
ここは小瀬鵜飼が開かれる所です。鵜飼シーズンに入り、毎晩鵜飼が行われています。



旧取水口二番樋門

旧取水口です。
かつてはここで取水していましたが、濃尾地震の影響で、ここよりも上流の地点で取水するようになりました。



トンネルから出てきて、樋門を通っていきます。



長良川に向かい、先生から説明を受けています。




清流長良川。
川が綺麗で、底が見えます。



次の地点へ向かいます。
各務用水に沿って、道路が有ります。その道を走ります。




幹線で、この辺りは用水の幅が広いです。




津保川サイフォンに来ました。
サイフォンから北を眺めました。


津保川サイフォン北入口

この先が津保川サイフォンで、除塵機が見えます。




橋の上での先生の解説です。




除塵機です。
右側は余まった水をオーバーフローさせて川へ戻すようになつている部分です。




除塵機です。
自動で作動するようになっていました。
先生が説明している時に作動を開始しました。
パトライトが点滅しだして、機械が動きました。櫛のような形の部分が、大きなチェーンの動きによって進んでいきました。ゴミが溜まっていなかったので、ゴミを取り出しませんでしたが、どのような動きをするのかが判りました。
数分すると停止して、また静かな状態となりました。



除塵機が稼動して取ったゴミです。




フェンスに貼られていたプレート。
この下には分別するようにポリ容器が有り、ペットボトルとか缶ビンと書かれています。




このサイフォンの横には名鉄美濃町線が有りました。
美濃町線は廃止になりましたが線路の路面だけは残っています。
右へカーブしていきます線路が美濃町線です。
ここは、漁業組合の協会の地点となっています。




この場所から対岸を眺めました。
美濃町線の橋が架かっていましたが橋脚が撤去されています。



木陰で解説する坂井先生です。

雑談的に先生が話された事が有ります。
先生が知人から聞いた事なのだそうですが。
各務用水の総代会で、各地の代表が寄る機会が有った時の事だそうです。
子供の時か、若い時か。各務用水で泳いだ話していた時の表情。みんな生き生きとした表情で話をしていたのだそうです。お互い、用水で泳いだ仲。古いことなのですが、共通の思い出なのでしょう。用水の流れに流されしまうと遠くに行ってしまいます。
アッ。私も泳いだ事が有りました。各務用水では無いですが、羽島用水で泳いだ事を思い出しました。遠くまで流されていき、歩いて戻りました。
昭和34年か35年頃の事でした。



次の地点。
津保川サイフォンの南側に向かいます。
田植えの終わった田。
田に流れ込む水の流れが車窓から見えました。
水の流れが見えたのですが、単に水の流れと言うのでなく、各務用水から流れて来た水だと実感しました。




津保川の橋を渡ります。
あの先が、先ほどのサイフォンの地点です。






津保川サイフォン南出口

津保川サイフォンの南側へ来ました。
南側から先ほどの場所を見ています。



勢い良く出てくる水。
そして、建設時のプレートが埋め込まれています。
各務用水は以前から有ったのでしょうが、今のような姿に整備されたのがこのプレートの年なのでしょう。


水が流れていく状況の確認です。
ここは、美濃町線の鉄橋の橋脚があり、用水の流れが二俣になっています。



二俣になった流れが、また合流して進みます。












柵が設けて有りますが、美濃町線の線路跡です。



岐阜市芥見へ来ました。
各務用水の上から上流を眺めました。


東西分水・除塵機
芥見の東西分水です。
ここから東へは、蘇原方面に向かいます。
西へは那加、そして、長森方面に向かいます。
前方に見えるのも除塵機です。



除塵機の下を通過した水。




通過した水が東西に分かれます。


新境川サイフォン

上流から流れてきます。
この後、うしろへ進む水は新境川をサイホンで潜り抜けます。


伊吹ポンプ所

すっかり、細くなった用水路。




白い建物がポンプ小屋です。
ポンプ小屋に向かって流れて行き、ポンプアップした水が上流に向かいます。



ポンプ小屋から出た水です。
この先は暗渠の中を通過し、田へ注がれます。

感想
各務用水を樹木に例えると幹で土地に接している所が取入口です。幹は幹線。枝は細くなった水路です。その先の葉は田です。幹の根元から枝の先までを見学できました。取水口から水路までを見る事が出来ましたが、帰路、田植えの終わった田を目にしました。これら田は長良川からの恩恵を被っているのだと思えました。
今まで見てきた田と、現地見学をした後の田では、田を見るイメージが変わりました。

小学校の時、先生の引率で各務用水を見学しに出かけました。見学に行ったという記憶しか有りません。今から60年近く前の事です。その頃に各務用水が有った訳ですが、大規模に改修工事がなされて今日の姿があるのだと思います。

昨年11月の講義。
講義では横山忠三郎や岡田只治が苦労して完成に漕ぎ着けたことを聞きました。
そして、今回の現地見学でした。
現地見学で各務用水の全体像を見る事が出来ました。これだけの大規模な用水。相当な苦労があったことと思いました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/ec85bffadebdc5a82f754ed153249b07

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