団塊Gの気ままな野菜作りと写真日誌

のほほんとした田舎暮らしの毎日。家庭菜園よりは少し規模の大きな野菜栽培やデジカメphoto等々・・・。

三陸旅鉄道旅2

2021-12-14 | 街歩き
2日目の宿泊は宮古市の浄土ヶ浜を見下ろす絶景の場所に位置するホテル。豪華なバイキング形式の夕食を堪能した後は深夜まで呑み、語る時間はあっというまに過ぎていく。

次の日は宮古からリアス線に乗り盛へ、
久慈から宮古までが北リアス線、宮古から釜石まではリアス線で釜石から盛までが南リアス線となっている(Wikiより)盛から気仙沼まではBRT(Bus Rapid Trans)でバスによる運行となっている。


すべて専用の道路を走るかと思いきや一般道、高速道路も利用。
途中の「奇跡の一本松復興祈念公園」で下車。
正式には高田松原津波復興祈念公園、国営追悼・祈念施設で、道の駅、と東日本大震災津波伝承館の建物があり、その前は海岸まで広大な追悼の芝生広場になっている。岩手のなかでは陸前高田市が一番被害が大きかったというからここに作られたのだろうが、果たして地元の被災した方からはどのような思いでこの公園が見られているのだろうか、外部からこの施設に来て広大な広場を見て道の駅で少しばかりのお金を落として帰っていく我々のような観光客とは?

献花台の置かれた海側の防潮堤の上から建物方向を見る。

陸前高田の名物であった高田松原は津波で全滅、残った一本の松が奇跡の一本松 翌年塩害で枯れてしまい今は2代目の松が植えられている。写真ではわかり辛いがなかなか見ることができない程の大きな松の木だ。

その近くにはユースホステルが震災遺構としてそのまま残されている

伝承館の中に橋げたの一部や津波でぐしゃぐしゃになった消防車も展示されていたが厚さ3,4cmもある鉄が飴のように曲がっているのを目前にすると波の力の凄さを改めて実感されられる。


ここから又BRTに乗り気仙沼へ。気仙沼も大きな被害を受け、宿泊した旅館は流失して7年間営業できず3年前からようやく営業できているとのこと。周囲はまだ更地も多く道路工事も行われておりまだまだ復興半ばだ。

翌朝気仙沼港内にある食堂へ朝食を食べに行き場内を見学、丁度近海ものだろうがセリが行われていた

写真はすべてスマフォカメラにて。実は標準ズームを付けたデジ1カメラをザックに入れていたが電池切れのポカ(入れる時に充電し隣に置いておいたカメラと間違えてしまい、只の重い荷物になってしまっていた)

この後「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」と「シャークミュージアム」と二手に分かれてそれぞれ行くことになった。ミュージアムにいってからお土産を買いに行った店の店長さん(この方は津波で母親を亡くし家も流失)にしばらく話をきくことができたが、とても現実のこととは思えなかった等まだ心の傷が癒えていないようで、聞いていても黙って頷くことしかできない。

午後になりJR気仙沼線で一関へ、乗り換えて新幹線で東京へ。
昔の仲間とは楽しい旅であったが重い旅でもあった3泊4日の三陸旅、再会を約束して終了



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2 コメント

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星見鶏 (グーミニ)
2021-12-16 22:39:57
旅行三昧でいいですね~震災の爪痕が残っていて胸が痛みます。最近は三陸沖の鉄道が開通して活気が戻ってきているように聞きますがいかがでしたか?
冬季はご一緒に天体やれず寂しい限りです。成り代わってブログ発信しますのでよろしく。
Unknown (G)
2021-12-18 19:59:48
有難うございます。
三陸は見た限りさすがに瓦礫は見当たりませんでしたが更地になっている所も多くまだまだ復興半ばでした
TVなんかで知る状況とは違いますね。

天体は車がスタッドレスでないので茶臼山方面は難しく雪の状況を見ながらG村になると思います。またご一緒の際よろしくお願いします。

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