遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

無言館

2006-03-13 15:07:39 | 雑感
すでにここを訪ねられた方もあろうかと思いますが、無言館は、
戦没画学生慰霊の美術館です。東京美術学校(現在の芸大)を中心とした
戦没画学生の絵と遺品が納められています。

実は金曜日に私が所属している勉強会の講師に無言館の創立者(館長)の
窪島誠一郎氏をお迎えすることになっていたので、
ぜひ事前に見ておきたいと思い訪ねたのです。

ご存知のように窪島氏は、雁の寺、越前竹人形などで著名な作家
水上勉の長男でしたが、事情があって窪島茂・はつに
貰われ子として育った人です。

彼の言葉では、

偉い親を持った子供は普通のことをしていたのでは一人の人格として
認められない。いつまでも「○○さんの子供」といわれて、
独立した人間として扱われない。親がホームランを打った人なら、
場外ホームランを打って初めて親を超えられる、そんな難しさがある。

としみじみ語っておられました。

窪島氏によれば、最近美術館の観覧者が減ってきているそうです。
兄貴分の信濃デッサン館は最盛期年間3万人の入場者があったのですが、
今は1万人だそうです。無言館は減ることなく11万人だそうですが。

入場者数もさることながら、ある統計によれば、一つの絵を見る時間は
欧米では18秒、日本では6秒だそうです。
これでは画家の名前、題名、受賞作かどうか位しか目に入らないのではないか。
これで、本来のありかた=自分と絵との対話ができているのだろうか?と
残念がられていました。

「軍国主義の中で育ってきた世代は、熱狂の怖さ、恐ろしさを知っている。
だからこそ、静けさの中で自分と向き合う大切さををかみしめねばならない。」

窪島氏自身の静かな語り口は、心に染み入るようで素直に聞けました。

さて無言館は、塩田平とよばれる山里の丘陵地の頂に、
中世ヨーロッパの僧院を思わせる、コンクリート打ちっ放しの
質素な佇まいの建物でした。私が訪れたのは雨の日でしたが、
林の中に雨に打たれて静かに立っている姿はそれだけでも、
慰霊の意思を示しているかのようでした。

小さな扉を開けて入るとすぐに展示場になっています。
上空から見ると十字架の形をした建物の、四つの空間に
それぞれ10点、合計40点くらいの絵がかかり、
作者の簡単な経歴と記事が示してあります。
絵の前のガラスケースには戦地からの手紙や携帯していた絵の道具なども
展示してありました。

自画像も10点近くありましたが、いずれもきりりとした顔立ちでした。
多くは毛筆で書かれた手紙は、20歳そこそこの人が書いたとは思えぬほど、
達筆で家族のことを思いやる文章がしたためてあります。
命の燃焼度の高さを感じました。絵は恋人、許嫁、新妻、家族、故郷の山川、
などが多く取り上げられております。

例えば、日高安典画の説明文には次のように書かれていました。

『…「出征兵士万歳!」の声が響く中、家族が安典を部屋に呼びに行くと、
彼は恋人をモデルにした絵に、絵の具を重ねていた。「後5分、
後10分描かせてくれ。」安典出征後、家族は残されたスケッチブックに
「俺はこの絵を完成させるために生きて帰りたい」と記してあるのを
発見します。…』

これらの展示物には、生きていることへの感謝、絵をかけることの歓び、
肉親への思いやりを強く感じます。彼らは愛する者(物)を
一生懸命描いたのです。

無言館を訪れ、親が子を殺め、子が親を殺す、昨今の日本が失ってしまった
ものをはっきり見ることができました。関わりのある人々への感謝、
絆の確認など、戦時下でありながら、人間らしく生きた人たちに
触れることができました。

機会があれば皆様も是非一度お訪ねになることをおすすめします。
なお、窪島さんは普段は、近くの信濃デッサン館においでとのことです。

(2006.3.13)


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2 コメント

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無言館 (座間味)
2006-03-16 08:42:08
無言館は私も興味があって拝館しました。

先の大戦で将来のある輝かしい人生を奪われた、若者達の苦難と沖縄戦で家族を奪われた親類縁者の苦しみとが重なり、胸を締め付けれれる思いでした。拝館者の年齢層を見ると60歳代以上がほとんどでした、もっと若い人に過去の行いの忌まわしさを見て欲しいものです。
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若い人も (遅い猫)
2006-03-17 16:36:28
そうですか。もう行かれていたんですね。

私が訪問したときは、若いカップルも1~2組いました。年配の人も、若い人も殆ど無言で、絵や資料に見入っていたのが、印象的でした。
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