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革新の血

2013-01-17 15:03:38 | 雑感


インフルエンザで一週間家の中に篭っていたので久しぶりに亀城公園まで散歩に出た。
ここには、刈谷が生んだ偉人松本圭堂の辞世の句の石碑が立っている。「君が為 命死にきと世の人に 語りつきてよ峰の松風」

川田順書とある。川田は住友財閥の総理事が内定していたほどの人物であるが、自ら「その器にあらず」と辞職し、歌人の道を進んだ。
皇太子(現在の天皇)の作歌指導や歌会始の選者などを勤めた。この川田氏が家内の親戚なので、少しご縁を感じる。子供には多少その血が流れていると思うと感慨がある。

それはさておき、松本奎堂である。以前記したかもしれないが、改めて確認したい。
明治維新をさかのぼること4年(1863年)、奎堂らは大和の国五条で挙兵、代官所を襲撃して代官の首を刎ねた。
後に天誅組の乱と言われたこの企ては、直後、朝廷内のクーデターがあり孤立し、成功はしなかったが、奎堂は藤本鉄山(岡山脱藩)吉村寅太郎(土佐脱藩)と共に3総裁として,この組を率いた。刈谷藩出身で、昌平坂学問所(現在の東大に当たる幕府の塾)で塾頭まで勤めたエリートである。

徳川家康公の生母が刈谷藩に居たこと、その徳川幕府を否定する魁となった乱を起こしたのが、この藩の出身者であることは歴史の偶然であろうか。
またこの公園の入口には、日本の産業近代化の礎を築いた、豊田佐吉翁の胸像が立っており、保守的と云われている三河のこの地が、むしろ近代的、革新的だったのではないかとさえ思えてくる。

穏やかな寒風が吹く公園を、ちょっと感傷にひたり、陽を浴びながら歩いた。


豊田佐吉の像