遅いことは猫でもやる

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伊能忠敬

2009-12-05 13:09:12 | 行ってきました



風情の残る町並み


水郷

昼食後、都内から高速道路を通って、次の企画地佐原へ。此処は巨人の長島が確か佐原一高ではなかったか?
此処に日本全土を測量した伊能忠敬記念館があるという。行ってみたら水郷であった。

記念館界隈は、江戸時代の街並みが保存されていて、中々いい風情でした。


記念館

実測地図は、伊能図と呼ばれ海岸線を実測したもの。内陸部は白地図になってい
るが、かなり正確である。実際に三河、刈谷近辺を見ても、現在とほぼ同じであっ
た。

忠敬は商人(醸造業)の家に養子として迎えられ、10年足らずの間に家督を3倍
にし、名主にも任命されるほどでした。49歳で隠居し、暦学を学ぶために東京の
高橋至時(よしとき)に入門。55歳で蝦夷地の測量に乗り出す。以後71歳まで測
量を続け、73歳で没す。現在なら70歳に相当する、当時の50歳過ぎてからの向学の
志と執念の強さを感じた。



忠敬居宅


測量のきっかけは、子午線の一度は何里に当たるか、ということがスタートで、
当時蝦夷地にロシアが出没し、国防上の見地から、正確な地図が必要となった幕
府が、高橋に命じて測量させたらしい。幕末に向かう当時(1800年)は財政難で、
必要資金の半分以上は自費だったそうである。


樋橋(橋の下部が樋になっている)

次男はこの日のために下見をしてくれていたらしく、その時見つけた、老舗の佃煮屋で試食を楽しみ、佐原を満喫し、後にした。(つづく)