風月庵だより

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安心の生き方

2008-06-29 08:03:11 | Weblog
6月29日(日)雨【安心の生き方】

書棚からなんとなく師の著書の一冊『安心の生き方』(大和出版、平成4年)を手にとった。それを読んでいて、なんで偶然これを手にしたか分かったような気がした。

この本の中に「祖父の血を受け継いだ」という項目がある。師の祖父という方は三河長篠のご出身で、あるとき米屋の米の買い占めで民衆が苦しんだことがあったそうです。そのとき先頭に立って米屋の襲撃事件を計画したのだそうです。誰が首謀者か分からないように円形の血判状を作ったのだそうですが、結局他の者が白状してしまったので一家離散の目にあわされたのだそうです。

そしてご自身も中学時代ストライキというと、先頭に出てしまっていた、ということで祖父の血を受け継いでしまったようだ、とお書きになっていました。

この箇所を読んでいて、私も師匠譲りだったかと思いました。というのは先頃ある会合がありまして、私が先頭にたってしまったような結果になりました。幾人かで話していたことがあり、私よりも盛んに意見を言っていた人が、いざ会合になると、全く別事のような意見を言うので、少し裏切られたような気がしていました。先頭切って意見を言った私はまるでばかをみた感じになってしまったわけです。

師匠の本にも【「先立つものはあまり利口ではない」ということです」ということでしょうか。後ろのほうでわいわいやっとる者は、いざとなったら結構にげられるが、先頭に立ってたら、そうはいきません。】と書かれていました。

その通りでした。これからはあまり意見を言わないようにしようかと思った次第です。しかし、今の若い人はあまりはっきりと自分の意見を言わないというのが、若い人たちと交流してみて感じることが度々あります。はっきり言わないことが思いやりと思うこともあるのでしょう。はっきりいうことばかりが是とは思いませんが、いつも裏で話していたことについてくらいは、先鞭を切った人がいたら、同調の意見を言うくらいは礼儀と思いましたが、それは望んではならないことがよくわかった経験でした。でもたまたま手にした師匠の本のこの箇所を読んで、思わず笑ってしまった私でした。

問題はどこにあるか。それぞれの立場で、さらに立場を離れて、問題は何か、それに対しての自らの答えをしっかりと持ちたいという姿勢はこれからも変えないつもりです。他の人をあてにしなければよいのですから。でも一人しっかりと後から意見を言ってくれた人がいて、そこにやはり信頼はうまれることがわかりました。

皆さんも集団生活のなかでいろいろな経験をすると思いますが、決して自分の意見が正しいとは言えませんけれど、自由に意見を言えるという場でも、意見を言うときはお気をつけください。他に依存しなければ安心はあるでしょう。

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8 コメント

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はっきりしない若者 (春女)
2008-06-29 09:59:48
今の若い人は(この言い方は大昔からあるので適当ではありませんが)びっくりするほど、はっきりしませんね。
下手に意見を言って、それに縛られること、相手と対立することを恐れているなら、それはそれで理解できます。
理解できないのは、自分がどう言う意見なのか分っていないと言うことです。これはある命題に対して、答に迷うとか理解・知識が足りなくて、答えられないこととは違います。
自分と言うものが、自分で分らない、自己の喪失、自己同一性障害のようなもの。例えばよく聞くような表現で「私って、彼のこと好きかも」「私的には許せないかも」などと、自分のことなのに常に曖昧なのです。
私の嫌いな口調に半疑問があります。若い人はこれをやり過ぎて、全てのことに自信、確信が持ってない人格に陥ったのでしょうか。また曖昧にしたほうが仲間の中で波風を立てずに楽ですが、そのようにすることは自分を無色、透明人間にしていることです。そのことに気づかないほど自己喪失していると思うのですが。
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コメントありがとうございます (ぜん)
2008-06-29 21:36:50
取り上げられている御本をは、ずっと以前に読みました。
が、内容はほとんど思い出せません(汗)

自分の意見をはっきり言うことは大切だと思います。
私も、意見を言う方だと思います。言い過ぎるかもしれませんが。。
そして、若い人たちに、もっと言ってほしいと思っています。
自見にこだわっても困りますけれども。
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2階に上げて梯子をはずす (光泊)
2008-06-30 08:45:08
先に立つと損をすることは社会生活ではしばしばあることですね。自分の意思でもないのに、周囲の人に押されて先頭に出たところ、ことが成らずに一切の責任を負わされます。俗に2階に上げて、梯子をはずすなどと言いますね。
周囲の人が善意であればまだしも、陥れようとして悪意を持って押すことも多いので、世の中は油断なりません。
かと言って醜い人間関係と縁を切って生きることは出来ません。安易に先頭に出ないことと、出たからには結果がどうあれ、他人のせいにしない覚悟を持つことでしょう。
口で言うのは簡単ですが、済んだことを何時までもうじうじ考える私には難しいことです。
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春女さんへ (風月)
2008-06-30 09:30:11
若い人たちというような区切りをどうしようかと思ったのです。書き換えようかともおもったのです。そのような区切りをすることは安直な見解ではないかと思ったからです。

やはりそれぞれの人の傾向がありますから。それぞれの癖と言うこともありますし。

しかし、歳を取ってから大学院に入って、若い人たちと接してみてやはりあまり自分の意見をはっきり言わない人が多いという印象を持ちました。それは何故だろうか、考えてみますと、春女さんの言われることが考えられます。
【下手に意見を言って、それに縛られること、相手と対立することを恐れている】
また【理解できないのは、自分がどう言う意見なのか分っていないと言うことです。これはある命題に対して、答に迷うとか理解・知識が足りなくて、答えられないこととは違います。
自分と言うものが、自分で分らない】このご意見も当たっていると思います。

自己中心的な意見をいうよりは言わない方がましかと言えば、どちらともいえませんね。やはり意見交換をする場では、自分の意見はどうか、きちんと言うことも大事ですし、難の問題について論じているのか、分かろうと努力することも大事だと思います。

また裏で話していることには、表でも責任を持って話すことが潔い意見ではないかと思います。自分を年寄り、若い人を相手というように一慨に分けて論じることは安直であり、決して正しいとは思いませんが、まあ、春女さんもご活躍の日々からのご経験でやはり度々に経験なさってのご意見と存じます。

どのような環境でも自分の意見は持って生きたいと思いますね、お互いに。
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ぜんさんへ (風月)
2008-06-30 09:36:39
ぜんさんのような方がいらっしゃれば、事はスムーズに運ぶのではないでしょうか。痛感します。

ストレートに物を言えない社会になることは気をつけなくてはならないと思います。こんなに身近な自分の周りでも、ストレートに物を言えないのかと驚くばかりです。

ただ若い人は相手のことを考えて、はっきり言わない場合がある、ということもあると思いますね。それは私にもわかります。町内会の話し合いでも一言も意見を言わない人もいますね。いろいろな人がいます。私もそのいろいろな一人です。
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光泊さんへ (風月)
2008-06-30 10:34:12
「二階にあげて梯子をはずす」まさしきこれに私はやられるタイプでしょう。しかし学習能力もありますから、この次は気をつけましょう。

なぜむざむざとやられるかと言えば、それは相手を信頼しているから起きることでしょう。相手を信用するなというのではなく、この相手は信用できるかどうかを見極めることでしょうね。
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お久し振りです。 (りんしょう)
2008-07-01 07:16:10
関係ないことかもしれませんが、亡き師匠から、正しいことでもあまり相手を追い詰めるような言い方をしてはいけない、お前はその癖がありすぎる、と云われたことを思い出しました。今はすこし自重してはいるのですが、それでもときどき「やっちゃった」があります。何でみんな知らん振りするんだろうな、と思うことも。
いつまでたっても学習能力のない私です。
3日に托鉢をおこなう予定でおります。もし日程が合えばご参加ください。今回は鎌倉を廻ります。
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りんしょう和尚さんへ (風月)
2008-07-01 14:54:30
たしかにはっきりタイプとあいまいタイプとありますから、前者には直球ストレート型が多いでしょうね。りんしょう和尚と私はどうも似ているかもしれません。周りを傷つけないように気をつけます。

托鉢についてはそちらにお返事します。
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