12月19日(水)晴れ【果たして問題は原発の存在だけだったのかー『フクシマ元年』を読んで】
東京の僧侶の方々が、豊田直巳氏の講演を聞き、原発についての見聞を深めたと聞いたので、私も氏の『フクシマ元年』を読んでみました。副題として「原発震災全記録2011-2012」とあります。氏はフォトジャーナリストですので、原発で被災してしまった村の写真や、無念の思いの飯館村の方々の状況を写真を添えて紹介しています。
この写真集を読みながら、つくづく思ったことは、単に原発の存在だけがこの度の問題ではない、ということです。もちろん私は原発には反対の考えですが。それは当然のこととしまして、この原発事故での問題は、対応があまりに悪かったということでした。原発反対だけの問題ではなく、飯館村の人たちに対しても、周辺の人々に対しても、爆発当日風下になった地域の人々を、被ばくさせてしまう前に、もっと早急にしなくてはならないことがあったはずでした。一応時間がたったので、このようなことを、マスコミももっと検証してよいはずですが、あとからあとから問題が起きますので、丁寧な事故の検証がしきれていないし、隠蔽されていることが多すぎると思います。
飯館村や周辺住民の人々が、皆、政治家の家族であったなら、どういう対処をしたか、全員が我が家族であるという対処をすれば、かなりの被ばくを避けられたはずです。しかし、東京は安全であったかというと、言い切れないでしょう。私もガイガーカウンターをもって時々計測していますが、テレビの公表の数値よりもはるかに高い数値を示しています。関東地方の住民は、多少なりとも被ばくしたのではないでしょうか。自分だけは大丈夫、ということはありません。
民主党が大敗したのは当然のことでしたし、時の総理が小選挙区で、落選したのも当然のことでした。はたして自民党だったらどうであったか、それはわかりません。原発を推進してきたのは、自民党にほかならないのですから。 とにかく「国民すべて我が家族」という思いで、政治を行っていただきたいと、心から願わずにはおれません。
酪農や農業に、一生懸命汗を流して生きてきた人々の日常は、その土地には戻れないという現実、科学的にきちんとこのことも、政治家は伝えていく責任があるでしょう。目に見えない放射能汚染の実態を伝えていく責任があるはずです。故郷再生の感情論だけでは、子供たちを犠牲にするだけであることを、辛いですが、伝えていき、どうしたらよいか、政治が責任をとらなければならないでしょう。これからも「国民すべて我が家族」と思って、政治家の先生たちに頑張っていただきたいと願わずにはおれません。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。
自分は危ないところにはいきません。人の命の代償と引き換えに儲けたお金で、あるお寺にいろいろと寄付をしたり、お地蔵様を建てたりしているそうです。
そのようなことよりも、社員を被ばくさせないことの方が大事だし、病気がでたときの補償に資金をプールしておいた方が人間としては、大事ではないでしょうか。
このような人も、原子力ムラの住人としては、役のついていない住民の一人に過ぎないでしょう。ムラの顔役たちはどれほど大儲けをしているかわかりません。