1月26日(木)晴れ【無関心おばさんとお節介おばさん】
朝、バスを待っているとき、中学生くらいの少年が小銭をばらまいてしまった。私は両手に重い荷物を抱えていたのですぐに拾ってあげられなかった。中年女性の目の前に硬貨が転がっていったが、その人は全くの無反応、ピクリともしない。少年はおばさんの足の先の硬貨を拾った。
バスが来た。前の人たちが乗ったが、小学生のところで止まってしまった。後ろから覗いてみると、どうもお金を落としてしまったらしい。運転手さんが、運転席側から下のほうをあちこち見つけている。その少年の後ろの中年女性(先刻とは別のご婦人)は真っ直ぐに立ったままでピクリともしない。そのおばさんの位置からの方がちょっとかがめば、運転手さんよりよく見えるはずだ。が、ピクリともしない。運転手さんは少年に指さしてみても埒があかないので、自分で乗車ステップに出てきて探したようである。
おばさん、少しは反応を示してくれてもよいのではない?「あら、どうしたの」くらいの反応があってもよいのではない?サッと十円玉を拾ってくれてもよいのではないか?
こんな大人といつも接していたら、少年たちだって、他人のことには無反応な、無関心な人間になってしまうのではなかろうか。しかし私と同じくらいの年齢のご婦人たちが、目の前で起きていることに反応を示さないことが、私には不思議でたまらない。
ある時、通勤時間帯ではないが、電車の中で赤ちゃんが泣き続けていた。泣き叫ぶと言った方がよいだろう。その車両はとても静かで、全く話し声もない車両であった。たまたま乗客の誰にも連れがなく、人間同士の交流の気が少しも流れていない空間であった。ただ火のついたように赤ちゃんが泣く声だけが流れていた。ところが、赤ちゃんのママもパパも困ったような顔をしているが、赤ちゃんに話しかけようとしない。赤ちゃんをあやすことに慣れていないのであろうか。それともあやし疲れたのかもしれない。
どうしたのだろうか。私は気になってならない。乗客は仮面のように押し黙っているだけである。なんだかこの雰囲気が異常のように感じた。何十人かの人間が一堂に集まっているのに、そこに人間同士の交流が全くない空間の異様さを感じた。
私は赤ちゃんの所に行った。「こんにちは、おりこうさんね
」と話しかけた。するとピタッと赤ちゃんは泣くのをやめた。「初めて電車に乗ったので、驚いたのかしらね。」ママが「ええ」というように頷いた。「知っている人が誰もいないので、きっと不思議な気持ちになったのかもしれませんね。」と言ったら、「そうでしょうか。」とパパが言った。
「これからどこに行くのかな」「お家に帰るの」「パパもママも一緒なのだから安心してね」等々赤ちゃんに話しかけると、赤ちゃんはジッと私を見つめてくれて、そのまま泣くことを忘れてしまったようだ。泣きやんだのはたまたまであろうが、赤ちゃんの笑顔を見られて、お節介おばさんは嬉しかった。
駅の券売機の前で、少年が使用済みのパスネットを集めていた。私も珍しい柄のパスネットがあったので、「あげようか」と聞いたら、少年は頷いた。「はい」とあげたら、それを手に取ってそのまま行こうとした。「ちょっとお待ち」と私は言った。少年は怪訝そうな顔をした。「あのね、人から物をもらったら、有り難うって言うのよ。」と少年の顔を覗いたら、「ありがとう。」と言葉が返ってきた。
「鉄は熱いうちに打て」
自分も子供時代に大人に育てられた。年齢は小さくとも友として接し、相手の尊厳を傷つけないアドバイスなら素直に聞き入れてくれるだろう。十歳位までが大人の云うことを聞き入れてくれる限界だと思う。
無表情な無関心なおばさんにはなるまい。お節介おばさんであることお許しを。いや、僧形なので髪がないから、おじさんと思われているかもしれないが。
朝、バスを待っているとき、中学生くらいの少年が小銭をばらまいてしまった。私は両手に重い荷物を抱えていたのですぐに拾ってあげられなかった。中年女性の目の前に硬貨が転がっていったが、その人は全くの無反応、ピクリともしない。少年はおばさんの足の先の硬貨を拾った。
バスが来た。前の人たちが乗ったが、小学生のところで止まってしまった。後ろから覗いてみると、どうもお金を落としてしまったらしい。運転手さんが、運転席側から下のほうをあちこち見つけている。その少年の後ろの中年女性(先刻とは別のご婦人)は真っ直ぐに立ったままでピクリともしない。そのおばさんの位置からの方がちょっとかがめば、運転手さんよりよく見えるはずだ。が、ピクリともしない。運転手さんは少年に指さしてみても埒があかないので、自分で乗車ステップに出てきて探したようである。
おばさん、少しは反応を示してくれてもよいのではない?「あら、どうしたの」くらいの反応があってもよいのではない?サッと十円玉を拾ってくれてもよいのではないか?
こんな大人といつも接していたら、少年たちだって、他人のことには無反応な、無関心な人間になってしまうのではなかろうか。しかし私と同じくらいの年齢のご婦人たちが、目の前で起きていることに反応を示さないことが、私には不思議でたまらない。
ある時、通勤時間帯ではないが、電車の中で赤ちゃんが泣き続けていた。泣き叫ぶと言った方がよいだろう。その車両はとても静かで、全く話し声もない車両であった。たまたま乗客の誰にも連れがなく、人間同士の交流の気が少しも流れていない空間であった。ただ火のついたように赤ちゃんが泣く声だけが流れていた。ところが、赤ちゃんのママもパパも困ったような顔をしているが、赤ちゃんに話しかけようとしない。赤ちゃんをあやすことに慣れていないのであろうか。それともあやし疲れたのかもしれない。
どうしたのだろうか。私は気になってならない。乗客は仮面のように押し黙っているだけである。なんだかこの雰囲気が異常のように感じた。何十人かの人間が一堂に集まっているのに、そこに人間同士の交流が全くない空間の異様さを感じた。
私は赤ちゃんの所に行った。「こんにちは、おりこうさんね


「これからどこに行くのかな」「お家に帰るの」「パパもママも一緒なのだから安心してね」等々赤ちゃんに話しかけると、赤ちゃんはジッと私を見つめてくれて、そのまま泣くことを忘れてしまったようだ。泣きやんだのはたまたまであろうが、赤ちゃんの笑顔を見られて、お節介おばさんは嬉しかった。
駅の券売機の前で、少年が使用済みのパスネットを集めていた。私も珍しい柄のパスネットがあったので、「あげようか」と聞いたら、少年は頷いた。「はい」とあげたら、それを手に取ってそのまま行こうとした。「ちょっとお待ち」と私は言った。少年は怪訝そうな顔をした。「あのね、人から物をもらったら、有り難うって言うのよ。」と少年の顔を覗いたら、「ありがとう。」と言葉が返ってきた。
「鉄は熱いうちに打て」
自分も子供時代に大人に育てられた。年齢は小さくとも友として接し、相手の尊厳を傷つけないアドバイスなら素直に聞き入れてくれるだろう。十歳位までが大人の云うことを聞き入れてくれる限界だと思う。
無表情な無関心なおばさんにはなるまい。お節介おばさんであることお許しを。いや、僧形なので髪がないから、おじさんと思われているかもしれないが。