mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

なぜ景気に影響の少ない増税を争点にしないのか

2016-06-10 14:45:07 | 日記
 
 「消費税の10%実施を2年半延期する」というのを参院選の争点にすると、自民党が言っている。野党はほぼそろって、消費税の値上げには反対と言っているのだから、それでどうして自民党の掲げる「延期」が争点になるのか、わからない。6/3のこの欄で腹立ちまぎれに安倍さんを(「サラブレッドがふかしやがって」と)おちょくったが、消費税を2%上げたら消費が落ち込むと読めて、延期という「新しい判断」をしたと安倍首相は得意顔であった。野党は、アベノミクスが失敗したことを認めよと迫っているが、首相はとぼけている。つまり、経済が上向かず、悪いのは私のせいではないと考えているからである。
 
 そりゃそうだろう、先進国といってもたかが世界のGDPの5.5%を占めるだけの小さな国の首相がどうあがいてもグローバリズムの動きを左右出来ようはずもない。逆に言うと、物価の上昇率を2%にするという目標自体が「ふかし」ているってこと。ということは、アベノミクスに一層力を入れるかどうかが、これからの課題とではないということなのだ。
 
 むしろ、経済状態がどうなろうと、日本の社会をどう作っていくかが最大の焦点ではないか。そう考えてやっと、ここで、安倍首相が意図してきた憲法改正や安心安全な社会保障や一億総活躍というテーマが浮かび上がる。経済が良くならない限りあれも駄目これも駄目というのでは、政府の役割は果たせない。
 
 一つ不思議でならないのは、消費税の値上げを延期するとして、その「新しい判断」が正しいのであれば、延期するときに減収となる税収をどこから持ってくるか、それを提案しなければならないじゃないかと、私は思う。与党も野党も、消費増税に代わる税源について一言も触れないのは、どうしてなのだ。安倍首相は、せめて、経済活動に最小限の影響を与えるにとどめることのできる「代替増税案」を提出するべきである。
 
 ちょっと考えてみると、例えば相続税を累進課税的にとるようにする。1億を超える財産を子や孫に相続させるときには、超えた部分の9割くらいに課税するようにすれば、たちどころに消費税2%の分くらいは回収できる。相続税にとられるくらいなら、使おうぜというのなら、それはそれで、たぶん景気を上向かせる作用をする。相続税の増税が2017年4月からじゃいやだから早く死のうなんて考える人も、そう多くは居るまい。
 
 今の自公政権が金持ち優遇をしているというふうな僻んだ目で見ないで、しっかりと働いて稼いだ財産を社会的に還元することを「国家戦略」とすればいい。そうすれば、お金持ちに対する尊敬の念も上がるだろう。彼ら優秀な人たちが、自らの才能という自己に属する財産を社会的に活用しているのだと、貧乏人も感じることができる。それはたぶん、財産をめぐって相続でわが子や孫が争うよりも、社会的に敬意を獲得することにつながるであろう。それこそがエリートをつくりだす道でもあるのだ。アメリカの大統領候補を争っていたサンダースじゃないが、国公立大学を全部無料にしてもいいじゃないか。
 
 もちろん庶民は、朝三暮四じゃないが、目先の利得のために先々のことを犠牲にするってことは平気だ。なぜなら、まず第一に、目先のやりくりに困っているからである。加えて、私たちが国家のかじ取りをしているんじゃないのだから、先に手に入る方を摑んでおかないと、あとになって反故にされるってこともあるからである。原発に代わる再生可能エネルギーの買い取り制度だってそうなったじゃないか。それよりなにより、私たちが政治をどうこうしようと考えるよりも、多額の税金を払ってやっているのだから、それくらいは政治家がきちんとしなさいよ、と思っている。
 
 つまり、消費税増税延期といって反対する庶民は、基本的にはいない。孫・子が困るようになるだろうなあと心配はする。国家が破たんするときに一番割を食うのも、庶民だ。政府がずぼらになれば、庶民は自己防衛するしかない。おそらく今の私たちの浪費は、30年後の子や孫の肩にのしかかる。といっても国家の何かをどうかするというほどのことはできないから、庶民は、子や孫の自己防衛に手を貸す方途を思案して、個別的に対応するしかない。つまりこうして、どんどん個別に適応できるように追い込むから、人々は連帯感情を忘れて個人主義的になる。安倍首相自身が目指している(のかどうかわからないが)日本という国家への信頼を取り戻す道を開くには、こういう社会的な規範間隔を大きく変えるってことが大事なのだ。
 
 ノーベル賞をもらうとか大リーグで活躍するという活躍も悪いわけではないが、我が身がすごいことをしているわけではない。だが、そのエリートが(学費無料の)国公立大学で養成されてノーベル賞に到達したとなると、我がことのように思える。学費無料で大学を卒業できる日本というシステムが育てたという「かんけい」が具体的だからである。なにより、外から褒められてホクホクするよりも、自分たちが暮らしていくうえで、エリートと呼ばれる人たちがしっかりやってくれているから、私ら庶民はのんびりと暮らしていけるという我が身の日常的な安定感が「かんけい」的に感じられてこそ、首相が大声をあげなくても、人々はその身の丈に合わせて社会生活を娯しむこともできる。これほどの、国に対する誇らしさはあろうか。

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