mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

統治の歴史観と暮らしの歴史観

2020-02-10 14:40:58 | 日記
 
 断捨離の入口でうろうろしていたら、古い新聞の切り抜きに小浜逸郎がJICC出版から出ていた「ザ・中学教師」シリーズの変遷に触れて、私たちの活動を評している記事があった。当時の埼玉教育塾(のちのプロ教師の会)が「反動的」ともいえる言説を展開しているのは、世に蔓延るリベラルな人たちの「教育論」が「教育の核心」になることを欠いていることに苛立っているからだ、とみている。小浜自身も、埼玉教育塾の言いたいことには賛同するが、しかし彼らが現行システムを前提にしているスタンスが「反動的」だと言い、小浜自身はもっと改革をすすめる視点を組み入れると結論的に主張している。今から30年ほども前、1991年頃のことだ。
 
 これを読んで思い出したのは、現象学哲学者として当時知られていた竹田青嗣が、埼玉教育塾の諏訪哲二に「教育改革にそれほど提起したいことを持っているなら、どうして文部官僚にならなかったのか」と問うたことであった。やはりJICC宝島社の何周年かの記念行事で同席したときであったと思うから、30年程前の話だ。そのとき私は、ああ、この人は統治的に社会をみているのだと思ったことを憶えている。
 だがいま振り返ってみると、国家社会を考えている知識人とかエリートというのは、統治的に社会をとらえるしかないのかもしれないと、思う。それに対比していうと私などは、社会を変えるということも「下々の方からどう変えるか」と考えていることが浮き彫りになる。
 つまり国家権力をつかって法国家の統治システムを変えるという発想を持っていないのだ。当然それは、竹田青嗣が考えるような「上からの改革」をする立場にないのだから当然である。だが、「上からの改革」「下からの改革」という違いの持つ意味は、立ち位置の違いだけなのであろうか。
 
 つまり社会改革をしようとするとき、「上からの改革」というのは法制度の変更であり、それによって人々がどう動くかを予測して立案される。そこには、人々の動きを想定したり、あるいは操作したりする意思が働く。ところが人々は、阿諛追従することもあれば、さぼり反抗することもある。「上からの改革」は、文化的な齟齬や落差や違いを想定することができないから、動きにばらつきが出てしまう。それを避けようとすると、たとえば国旗国歌法のように、起立斉唱を要求して、口パクも処分するなどという、おかしな子細処方を現場に提示し、職務命令で実施するような破目になる。これは「改革」といえるだろうか。
 「下からの改革」というのは、その「改革者」のいる現場だけで通用する「改革提案」である。いうまでもなく、その現場で起きている事態に対して、その現場に居合わせる者たちが、その現場に作用する「振る舞いの論理」にしたがって、行われたり、抵抗を受けたり、うまく運んだり、頓挫したりする。つまり全国区の普遍性は持たない。だが逆に、法で決まっているからやるんじゃない、この私たちの現場に必要なことだから行うのだという、切迫感を居合わせる人たちが共有する。それを実現するためには、居合わせる人々の了解が必要であり、合意とまではいかなくとも、せめて邪魔しないという遠慮を得る必要がある。
 そのベースになっているのが、日々の働き方であり、教師としての信頼を寄せられるに足る人柄や文化性や実行力量であり、それ以上に自分たちで決定して実行しているという独立不羈の自尊心である。つまり、「改革者」たる現場教師は、その全存在において、力を発揮していなければならないのだ。実効性をともなわない単なる「提案」は、簡単にすり抜けられて、店晒しになってしまう。
 
  このような「現場における日々の実践」を行っていたから、私はときどき、お前のやっていることはアナルコ・サンジカリズムだと、政治活動の達者から批判されたこともある。あるいは、アナキズムと一緒だと非難を受けたこともある。だが、おまえのやり方は、この現場にしか通用しないサンジカリズムだと批判した人は、全国区に通用する普遍的な「改革」を夢見ていたのであろう。でも、一つひとつの「改革」は、そのひとつひとつが大切なものであって、それがほかで通用するかどうかが評価の尺度になるのはオカシイと居直ってきた。
 また、アナキズムだという非難には、レッテルはなんと貼られても構わない。もしそれが混沌を導くものであったら、混沌こそが、いまここに必要なことだったに違いないと、腰を据えた。
 
 そんなことを、古い「記事」を読みながら思い、そうか「上からの改革」というのは統治的歴史観と同じで、人びとが「暮らし」を紡いできたフィールドとは次元の違うものなんだと思い当たった。国家の歴史なのだ。
 翻って私は、「暮らしの歴史観」とでもいうような、人々が紡いでいた「暮らし」をしようとしていたのだと思った。それが国家統治者の目から見て、ふさわしくないというのなら、勝手に言うがいいさ。統治目線に屈せず、独立不羈の旗を掲げて面白く突っ走ってきたわが前半生も、面白かったなあと、いまや無責任に世の中を眺めている。

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