mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ことばに「まこと」が宿るとき

2014-05-28 09:44:22 | 日記

 弟Jの祭壇には、俗名のままの位牌がおいてある。葬儀のときには、親の宗派ということで浄土真宗のお坊さんに読経を頼んだが、自宅の祭壇にはそれを思わせる飾り物はない。傍らの壁には、Jの義母が四国お遍路をした折に手に入れた曼荼羅の掛軸が掛けられている。たぶん真言宗のモノになるのであろう。

 Jの友人であったお坊さんが四十九日ということでやってきた。ごく普通の上着、ネクタイはしていない。あいさつが済むと、別室を借りて着替える。再び現れたときには、着物に薄物のふんわりした掛物をしているような袈裟を着て、すっかり本物のお坊さんになっていた。同道していたJの会社のスタッフに聞くと、身延山久遠寺の、名のあるお坊さんだという。この方の著書をJが編集したことから行き来がはじまったようだ。どこかで、袈裟が位をあらわすと聞いたことがあるが、とりあえず私たちには、どうでもいいことだ。会社のスタッフや昔の同僚もやってきている。それと私たち親族が7人。みな喪服を着用している。

 友人のお坊さんはまず、祭壇の俗名位牌を手に取り、木の台に貼り付けてある紙をビリビリとはがして脇にどけ、自分が書いてきた木製の位牌を祭壇に置く。「泰生山法友日順信士」と戒名を記してある。つづいて、壁にかけてある曼荼羅の掛軸を「これはどなたが(掛けたのか)」と聞きながら、その場にいるJの義母の掛けたものだと分かると「ちょっと外させてもらいます」と口にしながら、すでに手は掛軸を外している。「真言亡国 禅天魔」と、むかしドンツクドンツク叩いて唱えていた「法華の太鼓」を、私は思い出していた。1960年代の初めのころには、仏壇を壊す「事件」が頻発して、新聞でも大騒ぎしていたっけ。

 友人のお坊さんはまず、四十九日というのが、閻魔大王の判決が出される日、つまり今日までこの世にさまよっていた霊は7週のお調べを受けて今日、地獄に落ちるか天国へ行くかきまる。7日ごとにJのために読経してきたが、いよいよ今日の読経をもって天国へと向かっていただくことになる。今日以降Jは、あの世から私たちを見守ってくれることになる、と物語りを話してから、お経をあげる。もう一人の会社のスタッフも僧侶の資格を持っているそうで、唱和している。

 お経のところどころがパッと意味を持って起ちあがるが、皆目何を言っているかわからない。分かったところで、身の裡に浸透してくるとは思えないから、彼の語った物語を人々はどう受け入れてきたのだろうかと思いながら、声の響きに込められた「真摯さ」に耳を傾けていた。

 お経をあげた後、Jの息子がお礼を述べて、食事をしながら話をする。Jが亡くなったことを聞いた高知県の販売元が、言葉を添えて送ってくれた「火振」という上等の栗焼酎の口を開け、友人のお坊さんに注ぎ、「破天荒坊主が行く」という本を近々に刊行すると、同道の編集者が紹介する。Jの手を離れた初めての、彼の4冊目の出版物になるそうだ。

 話しは仏教の、宗派にこだわらない、読み解き方に移っていった。ブッダがじつは「教え」を広範囲にひろげようとしたことはなく、むしろ、言葉の発せられたそのときそのところで受け止めてこそ、「まことが宿る」という考え方をしていたのではないかと想いながら、私は話を聞いていた。宗派などはどうでもいい、人の生きようの「まこと」に思いを致す言葉を交わすことが、お坊さんと話すことの「真実」であるように思った。


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