mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

大切にされている飯縄山、不遇の黒姫山

2014-09-11 15:37:26 | 日記

 台風が南へ逸れるというので、戸隠の宿を予約、北信の山へ向かった。9日、大宮を出た長野新幹線の次の停車駅は上田。そこから10分で終点長野、1時間もかからない。長野の空は雲一つなく晴れわたっていた。

 

 駅前のバスセンターで聞くと、戸隠行きのバスは3路線、飯縄山の登山口に止まるのはそのうちの2つ、旧道周りとそうでないのと、ややこしい。一の鳥居という登山口(標高1120m)に降り立ったのは 10時20分。私以外にもう1人、60歳半ばのザックを担いだ方も飯縄山へ登るようだ。

 

 別荘地の間を抜ける舗装路を北へ向かう。樹林の路傍には秋の花が咲いている。ノコンギク、大きな黄色い花をつけたキクの仲間、アザミの仲間。ヨツバシオガマの花はもう終わりを告げているようだ。樹間から飯縄山の山頂が見える、と思った。あとで気づくのだが、見えたのは手前の飯縄神社のあるニセ飯縄。本物の山頂は、その先にあった。

 

 平屋の大きな建物と遊具を備えた庭のあるところがルンビニ幼稚園と看板を掲げている。人影はない。そうか、むかしは幼稚園を開設できるほど定住者がいたんだ、とそのとき思った。だが家に帰ってきて、検索してみると、同名の幼稚園は全国にたくさんある。長野市にも何カ所かある。ということは現在も、夏の間とか冬のスキーシーズンに使う幼稚園の別荘なのかもしれない。飯縄高原はリゾート地なのだ。

 

 舗装路の終わる辺りに登山道入口がある。案内看板はないが、車が5台ほど駐車している。ちょうど降りてきた人がいた。早朝登り始めて、今戻ってきたという。800m余を往復するのに4時間半。いいペースだ。

 

 標高1368mと表示されたところに「第一不動明王」と書かれた木柱と石仏がある。その傍らに「十三仏縁起」と見出しを掲げた看板が置かれている。「十三佛とは死者の七七にその三十三回忌を司る神なり」とはじまる、その看板には、ここから上に登るにつれて十三仏が置かれていたが、そのうちの二つが逸失していたので、誰某が寄進して設えた、と墨書してある。戸隠の高妻山にのぼったとき同じように石仏をおいて、何合目という表示にしていたのを思い出した。信仰の山というのは、死者を弔うように石仏を置き、そこを登りながら、死者の冥福とともに生者の平穏を祈ったのであろう。「第二釈迦如来」、「第三文殊菩薩」と標高差でいうと25mくらいごとにあり、「第十二大日如来」が「駒つなぎの場」に設えられていた。考えてみれば、今年弟を亡くし、先月母をなくした私が登るにふさわしいと、語り掛けているようであった。

 

 途中で登山道の補修をする人がいる。鉄杭を打って石が転び落ちないように止める。土を運んで流されてできた空洞を埋め、丸太を切って土留めにする。それを一人で黙々とやる。気づいて道をみていると、そちらこちらの大きな石が太い鉄杭で支えられている。木の土留めがしっかりと設えられている。どうもありがとうございますと挨拶をして先へ進む。

 

 ミズナラの林がつづく。暑さが気にならない。「駒つなぎの場」に11時半。少し早いがお昼にする。食べていると、バスで一緒だった60歳半ばが登ってきた。彼は来月、山仲間を案内する下見だという。そうか、私と同じようなことをしている人がいるんだと思う。来月と言えば、落葉広葉樹の多いこの山は、紅葉が美しいだろう。(山の良し悪しは)お天気ひとつですね、と言葉をかわす。

 

 標高1500mのジグザグの登路を登りきると、樹林を抜けササと潅木になる。オヤマリンドウやトリカブト、ヨツバヒヨドリ、シシウド、アザミの仲間、シャジンの仲間と、たくさんの花が咲いている。オヤマボクチの花がひときわ目につく。すっくと立ち、頭頂部に丸い坊主頭のようなのは花になる前、花は色づいてうつくしい。マツムシソウがそろそろ終わりだ。ハハコグサが今を盛りと花をつけている。ウメバチソウが輪郭のくっきりした白い花を際立たせる。ハクサンフウロが姿をみせる。アキノキリンソウが背筋をたてる。ノリウツギもまだ終わらないぞとがんばっている。ササと潅木の向こうに平らな山頂らしきところが見え、その上に白い雲と青空が映える。

 

 標高1840mの西登山口との分岐には、標柱が立っている。戸隠中社へ下るには、ここまで戻らなければならない。吹き抜ける風が涼しく気持ちがよい。1909mの飯縄神社の山頂は平たい。ここを下からみたとき、飯縄山の山頂と思ったのだ。どこかのガイドブックで「ニセ飯縄」と書いてあったのを思い出した。神社は登山路の下に置かれている。いかにも神社。木の朽ち果てんとするような鳥居があり、社の中に神棚があり鏡と榊が祀られている。他には何もない。

 

 そこから10分ほど、標高で8m高い飯縄山は、それなりに広い山頂部。丸い山名表示の石台が置かれ、富士山から北アルプスまで見えるとある。「北信五岳」と記されていて、「斑尾山、飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山」とある。「おや、高妻山がない。百名山だのに」と思う。10人ほどの人が石に腰掛けて休んでいる。こんな天気の良い日には、山頂でのんびりするのが、何よりという感じだ。一角に石仏がある。お地蔵さんのように、前掛けをかけている。これがひょっとすると、「第十三仏」なのだろうか。

 

 下山開始。13時10分。すぐに、朝から一緒の60歳半ばが登ってくるのに出遭う。彼は「登ったところに降りるんですか」と尋ねる。「いや、戸隠中社に降ります」と応えると、「道が違うでしょ。」という。そんなはずはない。「途中で、中社への分岐の標柱があったでしょう」と応ずると、「えっ、そんなものがありましたっけ」と答える。私が地図を取り出して、「ほら今、ここにいるでしょ。ここが分岐、ここから右へ行くと中社ですよ」というとやっと納得したらしい。でも、地図も持たないで下見なのかい、と思う。彼もまた、中社へ下るのだという。

 

 下山路ではやはり花に目がいかない。足の置場をひとつひとつ見ているから、わき見をする余裕がない。しばらくは石がごろごろとする急斜面。そこを越えると、なだらかな落ち葉散り敷くふかふかの下山路に変わる。両側はササが生い茂っている。30分ほどで「萱の宮」につく。ガイドブックにこの名があり、何だろうと思っていたのだが、社が置かれ鳥居があった。


                                                                     
 快適な下山路をさかさかと歩いていて、失敗をしてしまった。右に外れて、林道に出る分岐を見過ごしてしまったのだ。家を出る直前に見たガイドブックには「(林道近道という標示を)見過ごしても大丈夫、林道に出る道は下にある」とあったから、地図を確認もしないで、調子よく歩く。ふと見ると、下に林道が見える。なんだこれか、とちょっと急な斜面を下って、林道に降りる。これが間違い。あとは林道に沿って30分、とコースタイムを想いうかべながら下った。と、大きな舗装道路にぶつかる。「奥社→」と記している。だとすると、中社は左かと左への道を下る。これも間違い。

 

 500mほど歩いて、蕎麦の花咲く畑や田んぼの手入れをしているお百姓さんに中社の宿への道を聞く。「これは反対側へ来てしまったね。中社はあちらよ」と指差すのは、私が今降りてきた方向。引き返す。この舗装路に降り立ったところに戻ってみると、左側の高いところに「中社1180m→」という小さい表示がある。これを見落としていたわけだ。ダメだね、それほど疲れているわけでもないのに。

 何を間違えたか。やはり、下山路の途中にある分岐を見落としてしまって、沢筋の一本南側の林道に降りてしまったのだ。地理院地図の25000図では、そこまでの地図をプリントアウトしていなかった。大きく下山路から林道へ回り込む道を私の地図には書き込んである。沢音が大きく聞こえたあたりで、このへんかなと思いながら下っていたのに、ガイドブックの「気づかなくても大丈夫」という記述が印象に残って、分岐を飛ばしてしまったわけである。気分良く歩くと、こういうミスをする。気を付けるべし。

 

 でも、まちがえたおかげで、林道沿いの花々をみることができた。ツリフネソウの群落をいくつも見た。サラシナショウマがきれいに咲いていた。ハギがみごとに季節を謳歌している。ツルマメだろうか、楚々と花開いている。

 

 それでも宿に着いたのは、予定より1時間早かった。戸隠に来たのだ。そばを食べない手はない。宿の主人にうまい蕎麦屋を教えてもらう。ご近所の「うずら家」。土曜日曜ともなると、1時間待ちは当たり前という行列のできる店、と宿の主人。もり蕎麦とお酒「夜明け前」を頼む。突き出しに白菜の漬物、キノコの胡麻和え、素焼きの猪口がお酒の口触りの味わいを深くする。そばもいい。こちらが「そろそろ」と頼んでから、茹で上げてサッと出してくれる。いま花が咲いているときだから、新そばが出るのは11月になるか。寒暖の差が大きいところでよく育つ蕎麦は、標高1200mという高地の戸隠中社ならではの特産品である。

 

 宿は、入口に古びた小さい山門がある。中に入ってみると、宿の建物も茅葺。これは維持するのに手がかかるであろうと思う。あとで聞いて分かったのだが、建物が140年、山門は200年経っているという。もとはお寺さんであったので宿坊を名乗っていたのだが、明治の廃仏毀釈でお寺さんが取り潰された。後に戸隠神社の「何やら」を受けて、旅館に名を変えて営業を続けているというのである。茅葺の葺き替えは、伊勢神宮のそれをやった職人(集団)に頼んでいるという。あとで知ったが、昭文社の地図にも、この宿の名が記載されていた。夕食のときになって、今朝一緒にバスを降りた登り始めた60歳半ばの人も同じ宿と分かった。軽く挨拶だけかわした。彼は下山路の「分岐」を見落とさなかったろうか。

 

 10日、やはり晴れ。早朝タクシーを頼めないかと話したら、登山口まで宿の車で送るという。ありがたい。これで6kmの道を歩くのが節約できる。朝ごはんは、おにぎりにしてもらっておいて、起きてから済ませた。

 

 大橋の登山口には1台車があり、登山者らしい人が準備をしていた。両側が広葉樹にかこまれた林道を北へと歩く。ほどなく、後ろから若い人があいさつをして追い越してゆく。黒姫山を往復するのだそうだ。林道が二股に分かれているところで、はてどちらにけばいいのかと一瞬迷う。なんと高さ5mくらいのところに「登山道」と表示がある。なんであんな高いところにと思ったが、たぶん、雪が3mか4mも積もれば、あの標示がちょうどよくなるのかもしれない。右に踏み込んで少し行くと、今度は太い木の幹の4mくらいのところに、「登山道」と掲げている。細い踏み跡が周りの潅木をかき分けるように入り込む。

 

 少し登ったところで、先ほど追い越して行った若い人が地図を広げている。分岐がどちらかわからないという。ちょうど別の林道と交差している地点。傍らに「北信五岳トレイルランニング110kmレース実行委員会」のコース表示が登山道を外れたところにルートをとっているのだ。私の25000図を示してこの上の「七曲り」を越えたところに分岐があると話すと、「七曲り」というのは、黒姫の町側から登ったところの名称だと昭文社の地図をみせてくれる。なるほど。でも、名称はどうあれ、ほらっ、ここの登山道の折れ曲がっているところ、とやり取りをする。

 

 「いずれ折り返すあなたとすれ違いますよ」と私が挨拶をし、彼が先行する。そこからは上り一方の道。おおよそ標高1180mの大橋から2053mの黒姫山頂。900m近い。コースタイムは4時間。ブナやミズナラの樹林であるが、下生えは全部ササ。「戸隠竹細工組合」の看板がところどころにある。なんでこんなところに? と訝しく思いつつ登ったが、「タケノコ取り厳禁」とか「ここは竹細工組合が伐採許可を得ている地区。筍の採取は禁止。見つけた場合は、組合証を没収」とあるから、ネマガリタケのタケノコを取りに入る人がいるのであろう。ササの生え延びるところは切り払われ、よく手入れされている。

 

 標高が1700mを越えた辺りで見上げると、山の上の方は雲の中に入ったようだ。いつしか陽ざしが消え、少し肌寒いくらいの冷気が漂う。足元は岩がごろごろした狭い道、土のところはぬかるむようだ。標高1900mで、外輪山に上がった。中央にあるのは、小黒姫山2046m。こちらが山の中央。黒姫山があるのは、その外輪山の一角ということになる。これらは地図で見て、そう思った。実際に上がってみると、樹林がずっしりと覆っていて、地図で見るような景観は得られない。外輪山の南側は笹原だから雲が取れればよく見えるのだろうが、中央部は木が邪魔をしてまったく見晴らしは利かない。

 

 岩が露出しているところに出る。シラタマノキが目に留まる。すぐに「しらたま平」と書いた表示が、岩の間につけられている。笹原の斜面に立つ針葉樹が雲の流れに見え隠れする。雲をみていると、風が呼吸をしているというのがよくわかる。外輪山の1998m地点に来たとき、雲が取れ、黒姫山がきっちりとした姿を見せた。山頂部に人が立つ気配がする。先行した若い人だろうか。少し下り、また少し登って黒姫山の山頂2053mに着く。例の若い人が休んでいる。雲が少し切れる。「北信五岳」と、若い人が話す。東を指さして、あれが斑尾山と野尻湖と教えてくれる。「どうして高妻山は入らないの?」と尋ねると「戸隠連峰と一括しているんでしょ」と応える。なるほど。三角点はこの黒姫山にある。見下ろすと、黒姫高原から飯縄高原へつづく高原地帯の住宅群がよく見える。測量をするには、外輪山の最高峰がよかったのだろうと、山の成り立ちとは別に人間の事情を類推する。

 

 彼は妙義山近くの富岡町の人だが、最近長野に単身赴任しているという46歳。週1のペースで、現在の住まい、長野に近い山を上りに登っているという。北信五岳の斑尾山もぜひ、と熱が入る。近くの温泉も紹介してくれる。黒姫高原へ下山した折の温泉を尋ねると、「ない」、「この山は古い山で、すでに火山活動も終わっている」と山の創成にまで立ち入る。私の齢を聞くので教えると、その齢でも歩けるようにするには何か秘訣があるか、と聞く。そうだなあ、バランス感覚かなあ、これが崩れるので持続力も持たなくなると、登山の生理学の話をする。

 

 彼はまだしばらくこの山頂を愉しんで、登山口へ下山するという。どこの温泉に入ろうかと、愉しそうである。遠くの景色は見えないが、陽ざしはあり、時間は10時にならない。30分ほどもいたろうか。私は先に、黒姫高原へと出発する。

 

 途中の分岐までは10分ほど同じ道を引き返す。その先の下山路はひどく荒れている。戸隠側からの登山路と比べると、こちらは歩かれていないことが分かる。ササも伸びるに任せ、道を覆い隠す。岩足をおく岩は苔むして滑りやすい。たぶん戸隠竹細工組合のような伐採権利をもつ団体もないのであろう。ここで初めてコースタイム15分の所に25分もかかった。私には草臥れてきているという自覚はない。下山の全コースタイムは2時間45分。その目算で歩けば、12時30分には下山できる。そのころに出発するバスに乗ってもいいが、近場に温泉でもあれば、14時40分発のバスでもいい。

 

 大池も水が7分方干上がり、周囲は草ぼうぼう。とても、小黒姫山のさかさ姿を映してみる、と書いてあったガイドブックの風情はない。荒れるに任せている。でも、これはこれで山の姿だ。戸隠側と対照して驚いている。歩かれていないからこうなるのであろう。地面も水が抜けず、ぬかるんでいる。七つ池に入る笹原は道をふさぐようにササが伸び、足元をストックで探りながらすすむ。点在する小さな池の周囲は広やかだが、脇へ逸れると湿原入り込みそうだ。一つの池の脇に立つと、小黒姫山がさかさに映って面白い。黒姫山は背の低い平らな高台のようにみえる。

 

 外輪山の黒姫乗越に上がる道はさらに歩きにくく、ぬかんるんでいる。踏み跡も分かりにくいところがある。木の幹につけられた、色あせた赤いテープがなければ、道を探すようになる。木が倒れて道をふさぐ。ある大きな段差をあがった時、体を持ち上げ重心を移しかけたとき、ごんと軽い衝撃が頭にあって動きが封じられ、もとへ跳ね返されてしまった。元の側の脚はすでに宙に上がっていたから、もんどりうってひっくり返った格好になる。ザックを背にして高い段差の下へと体は落ち、危うくその向こうのぬかるみにどっぷりと浸かるところであった。かろうじて押しとどめ、なぜ? と見上げてみると、ちょうど上に上がった地点の頭のところ、下からみると、2メートルくらいのところに、倒木の太い端っこがせり出していた。いやはや、危ない。ちょうど目に入らない位置だなと、改めて思う。

 

 黒姫乗越までの時間がコースタイム40分にプラス5分、その先黒姫台までが、やはりコースタイム40分プラス5分。道は崩れかかり、ササの根が伸びて滑りやすい。私が草臥れているのか、こちら側の下山路のコースタイムが厳しいのか。その途次で、登ってくる若い男3人連れに出遭った。大学生であろうか。岩の上を伝い歩くようなところで、脇へよけて交差した。「山頂までどのくらいですか」と一人が尋ねる。「ここまで1時間半くらい」と応える。ふと見ると、運動靴だ。ぬかるみがあるからねと、声をかける。ハア~イと明るい。

 

 黒姫台は、たぶん黒姫山をみる展望台という意味であろうが、山は雲の中に入ってまったく見えない。しばらくすすむと、スキー場の上部にいるようであった。ジグザグの下山路をたどる。周りは背の高さほどの草と潅木が生え何も見えない。ずうっと下の方にスキー場の施設があるのは何となくわかるが、はて、あそこまで1時間で行きつけるだろうかと思うほど、離れている。標高でいうと、ここは1500mほど、1000mとみえも、500mの標高差を下る。斜度は少なくとも30度あろうか。見る位置によっては、45度くらいにも見える。リフト乗り場が見える。壁に「上級者コース」と書いてある。下の方から、風に乗って音楽が聞こえる。

 

 標高1000mほどに下ったところで、リフトが動いている地点に着く。登山道はその下をくぐってさらに下方へと向かうが、もう歩く気がしない。時間はちょうど12時30分。リフトに乗れるかと聞くと、チケットを出せという。山から下りてきたのでもってないというと、下で払えばよいと乗せてくれる。これで標高差200mほどを10分くらいで下る。500円。12時40分。予定のバスが出る時刻だ。

 

 ところが、バス乗り場に行くと、黒姫駅へ行くバスは1時35分。インターネットで調べたのとは全然違う。バスの経路も二通りあって、一つは路線バス、200円、20分くらいで駅に着く。もう一つは観光路線バス。野尻湖へ寄り道をして1時間くらいかけて駅へ向かう。風呂はあるかと尋ねると、しばらく下へ降りないとない。冬ならばシャワーを浴びる施設もあるが、そちらで聞けと、大きな施設の案内所を指さす。そちらで聞くと、シャワーはない、更衣室はあるが、入園しなければならない。結局600円払って入園、更衣室の鍵を開けてもらって、着替える。それだけでずいぶん気持ちがすっきりする。時間があるので、レストランでビールと蕎麦を頼んでお昼にする。この施設、黒姫高原へコスモスを見に来る客で利用するそうだ。なるほど、リフトから見えたが、一面にコスモスが生育っていた。来ている人の数は決して少なくない。リフトも動いているくらいだから、利用者はいる。観光バスやマイカーで来る人が多い。

 

 バスに乗る。私一人。経めぐりながら、運転手が話しかける。山を歩く人のことは、なんとなく眼中にない。もっぱらスキー場として維持されているのが、この高原地帯。この土地全体がそうだとすると、山岳道の荒れようも納得がいく。黒姫山は見るもの、歩くものではないってわけか。

 

 せっかくの北信五岳も、トレイル・ランニングとスキーに占められ、歩くのは野暮というものらしい。拗ねているのではない。野暮が気持ちよく生きる施設がちょっとあるといいのにと、思ったのだ。信仰の山として大切にされている飯縄山に比べて、黒姫山はちょっと不遇だという気がした。


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