mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

静かに老いてゆく小田代ヶ原

2024-03-20 10:51:43 | 日記
 昨日(3/19)、奥日光へ行った。前日雪が降り、冷え込みは続いているが風向きが南の風に代わって、なだれ注意報も出ていた。私も脚に自信がなかったので、赤沼に車を置き小田代ヶ原、湯滝へ向かい戦場ヶ原を通って赤沼へ戻るルートにする。平地ばかりだが、雪の積もり具合はどうだろうか。
 そうそう、赤沼の駐車場は雪かきをしてあり、トイレも使えるように開けてあった。すでに1台、車が止まっている。以前、この駐車場が雪で埋まっていた頃には、入口脇の茶屋の駐車場に止めたものであったが、去年くらいからそこには縄張りをして止められなくなった。そのときは駐車場へのアプローチに止めたのだが、そこの木の幹に「車を止めないで」と書いた表示を吊してある。帰ってから耳にしたのだが、今年の4月から赤沼駐車場は有料になるということのようだ。ふむ。
 スノーシューをリュックに縛り付けて壺足で歩き始めた。9時45分。昨日の雪がルートを覆っている。小田代ヶ原への道へ今日は誰も踏み込んでいないようだ。小鳥の声も聞こえない。
 私のリハビリの様子を筋力の衰えになぞらえて言葉にする。カクさんは加齢と共に衰える筋力と体重の関係を、筋力が減った分だけ重い荷を背負ったようなことだと、オモシロイ感触に託して表現する。筋力が半分になると、謂わば体重の半分をリュックに背負って歩いているようになる、と。しかし、筋力だけは鍛えればいくらかは保つことができるからとも。平地を歩くときと斜面を上り下りするときにつかう筋肉の箇所の違いを前脛骨筋や脹ら脛と太股の後の筋肉という風に分けて感じていくと、どこが弱っているかも感じ取れるように思える。歩いて感じる大臀筋の疲労も、弱った太股の筋肉の一部を代替しているからではないかと解説も動態的だ。
 カラマツの枝が、まるで枝打ちしたみたいにたくさん折れて落ちている。そう言えば昨日の奥日光は28.5m/secの強風だったとTVが報道していた。老木のカラマツも上部が折れてポッキリ折れ落ちている。カクさんと「自然観察ガイド」をつくるためにこの辺りを撮影して回ったのは21、20年前。森も樹木も私らと同じように歳をとっている。樹木にも筋肉にあたるものがあるとすると、それも経年劣化するということか。ガイドブックに載せたキツツキの掘った穴が縦に並んでいる枯れ木の太い幹もまだ残ってはいたが、木の威勢はすっかり削ぎ落ちて小さくなったように感じた。でもよく頑張ってるなあと、枯れてからさえヒトよりも長生きな枯木に感想を漏らす。
 そんなことを口にしながら曇り空の雲間から陽ざしの差し始めた雪のカラマツ林を壺足で歩いたのは半時間ほど。雪が多く踝が埋まるほどになり、背負っていたスノーシューを履く。歩きやすくなる。小田代ヶ原のシカ除けの入口は、昔の回転扉に代わって網扉が付けられ、春の季節到来を待っているように開け放たれていた。
 ますます雪は深くなる。向こうの低公害バス通りを自転車が2台、奥の千手が浜の方へ走っていった。えっ、こんなところを自転車で来るんだと驚いた。カクさんは自転車にもスタッドレスタイヤがあるといい、ある程度雪かきをしている舗装路なら凍っていても雪が少々あっても走るに触りのない用意を調えて自転車で来てるんじゃないかと、いかにもサイクリング競技にも参戦し、長距離ツアーにも良く出かけてきたアスリートらしい見立てを聞かせてくれた。
 小田代ヶ原の展望台は人の踏み込んだ気配もなく、太郎山を真ん中に置いて、大真名子山と小真名子山の間に、女峰山の西側に位置する帝釈山が岩峰に雪をつけて顔を覗かせている。そのパノラマは小田代ヶ原を取り囲む周回路を回っていると左の方に男体山の巨体を臨むようになり、中央部の白樺・貴婦人を入れてちょうどいいカメラアングルを設えている。
 雪の上に顔を出す笹が枯れている。こんな彼具合は初めてとカクさん。緑色を中央部に残し、まわりが彼は色の笹の葉を彼が説明してくれた。緑を保護するために、最初の一年目、一センチほどが枯れ、二年目にはその枯れ色の縁取りが2センチに広がり、そうして葉を守ってるのだそうだ。
 夏場は15分ほどで小田代ヶ原から戦場ヶ原へ向かう出口につくのに、30分余かかった。カクさんも「こんなに距離があったんだ」と私と似たような感触をもったようであった。雪のせいで時間がかかる。12時に近くなり、そこでお昼にした。
 そこから泉門池へのルートはさらに雪が深くなった。途中で、ここで消えている踏み跡があった。
 うん?
 そうか、泉門池の方から壺足で歩いてきたものの、余りに深くラッセルを強いられるので、ここで諦めて引き返したと思われる。そうだね、そういう踏み跡だ。
 戦場ヶ原への分岐を通過した。踏み跡がいくつか残っている。カクさんはスノーシューの底に雪がつき凍ってダマになって歩きにくそうだった。ここで彼は壺足になる。私が先を行く。ここまでは壺足で歩いてきた踏み跡があった。ここから戦場ヶ原に抜けたのであろう。
 泉門池には帰るときに立ち寄ることにして、湯滝への森を抜ける道を辿る。2019年の台風19号で土砂崩れを起こして通れなくなった湯川沿いの木道は、もう5年になるのに修復に取りかかる様子がない。たぶん栃木県も予算に余裕がないのかも知れない。あの台風で壊れ修復を待っている登山道はいくつもある。コロナ禍で使われなくなったためもあろう。修復の優先順位もあろう。森の間を抜けるルートも、いまは新しい標識が設置されて、御正道になってしまっているようだ。ここも、夏場歩いたときに比べてずいぶん距離があるように感じた。雪道は夏道の倍の距離になる。そんな感触だ。それだけ時間がかかる。
 湯滝は水量が豊富だった。今年は雪が多いのだろうか。後で分かった事だが、現地の調査や案内をしているミヤジさんが「今年の2月は雨ばかりだった(のでガイド仕事は暇だった)」と話してくれたからだ。雪は3月になってから、ことに昨日の降りが大量の積雪だったようであった。
 女性の二人連れ、外人の一人に出合った。意外なことにカクさんが、ここから戦場ヶ原への雪道を引き返すよりは舗装路を歩きたいという。雪道の凸凹が足の攣りに出て来そうで、用心を強いられているのかもしれない。そうしましょうと、とりあえずバス通りに出るまではスノーシューのままで歩き、雪がすっかりなくなった通りで靴だけにした。なるほど、はるかに楽だ。
 こうして湯滝から赤沼までの車道を前後しながらおしゃべりして歩き、ほんとうに久々に近況を交わし旧交温めるという気分であった。ほんのつい1週間前に会ってお昼を一緒にしたというのに、である。これは、人が場を共にし言葉を交わすコミュニケーションというのが、互いの実存を確認し認め合うという身の求めに応じているヒトのクセなのだろうが、じつはそこの言葉に誘われて堆積して身の裡深くにしまってあった感触の記憶まで今の我が身として甦る実存なのではないか。そう思うと、繰り出される言葉の広がりや深みも時間の記憶と重なって加わり、我が身が膨らんでくるような気持ちになる。ああ、この人と話すとそういう感触が心地いいと思えると、振り返って思う。
 帰る車中でカクさんが「ミヤジさんは元気だろうか」と言葉にした。寄ってみましょうと応じ、彼の家へ進路をとる。彼は居た。「お茶でも」というのを遠慮して、玄関先で言葉を交わす。こちらと同様、すっかり彼も年を経ている。「ああ、本をありがとうございました。ちょっとずつ読んでいます」と別れ際に挨拶があり、「また今度、山へ行きましょう」と遣り取りをして、私たちは帰路に就いた。

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