mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

小さな声と多面体と社会の系

2021-09-19 06:36:02 | 日記

 昨日(9/18)の朝日新聞のオピニオン&フォーラム面は、ちょっと面白かった。
 面積を大きくとっているのは、養老孟司の「システムから見た五輪」。「五輪と無関係である」養老が、グローバルなシステムが林立して大きくなりすぎ、人々が理解したり制御するのも困難になったと、今回五輪を見て取る。動き出すまでも大変だが、いったん動き始めると「決まった方向に、決まったように進んでいく」。「止めようにも止まらなくなる」と解析する。そして、「システムそれだけでも運営が大変なのだから、システム間の問題になると、そもそもどちらが主導すべき問題なのかを含めて、ほぼお手上げという状況が発生する。」と今回の事態をクールに考察する。オリンピックを価値的に見ない緯線がクールさの元になっていると感じられる。そこが面白い。
 紙面の6段を占める養老の「寄稿」の下に「多事奏論」という下2段2/3を占めるコラムがあり、天草支局長・近藤康太郎がエッセイを書いている。
「9・11で見た世界 真実の声は小さく うそはでかい」と見出し。20年前の出来事のとき現場近くの公園で、ジョン・レノンのイマジンを低声で歌う人たちとゴッド・ブレス・アメリカを大合唱する”愛国者たち”を較べ、その後のアフガン攻撃へと話を移行する。そして当時日本の国会に呼ばれた中村哲医師の「自衛隊のアフガン展開は有害無益」という発言が政治家たちの非難にさらされたことを取り上げ、「真実の声は小さい。真摯に説明すれば、しぜん、言葉は複雑になる。あたりまえである。世界は複雑なのだ」と結論への水路を作り、総裁選や選挙であたふたする今の日本の政治家を評して、太宰治の「斜陽」の言葉を引用する。
「人間は嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。この頃の、あの、まじめさ。ぷ!」
「田舎の百姓たる私」を自称するこの方がどんな方なのか知らないが、「神は微細に宿る」ということを語り出す手口はいかにもジャーナリストの鏡。太宰治を引き合いに出して、ご自分の思いと重ねて「ぷ!」というのも、見事なものである。だが、総裁選に夢中の自民党の政治家たちにつばを吐きかけるためにツインタワーの「真実の声」を引き合いに出すのは、ちょっとバランスを欠いてはいないか。20年前の9・11とアメリカのアフガン攻撃のなれの果ての現在とを対比するのなら、ご自分の身にしみる「真実」を挟まなければならないのではないか。
「微細に現れた真実」が、なぜ広く社会化されていかないのか。「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌う人々が「イマジン」を歌うようになるには、何が必要なのか。そこに介在するジャーナリストの役割ってものがあるんじゃないか。そこへ踏み込んでこそ、養老孟司のいう林立するシステムに食いつく「真実」のエッセイになるんじゃないか。これじゃあ、「微細に宿る神」も、型なしになってしまう。
 ところが紙面はよくしたもので、下2段の残り1/3が二つのエッセイをつなぐ。「メディア空間考 政治家のSNS」というコラム。
 記者の伊藤大地さんが「多種多様な姿 まるごと評価」と題して、河野太郎総裁候補のコミュニケーションを遮断する「ブロック機能」の多用を取り上げ、政治家の「私・個人」と「公・仕事」との使い分けを、SNSにこと寄せて述べている。SNSは「固定されたアイデンティティを解体する」装置だとみて、専門家がSNSを通じていろんな分野に口出しすることが「役割」だけで回ってきた社会感覚を壊していると批評する。つまり「私・個人」と「公・仕事」を対立的に見るのではなく、一人の個人の多面体の一側面とみてとることによって、じつは「(人としての)まるごとの評価」につなげるのではないかと希望的に展開する。
 こうも言えようか。
 養老の指摘するシステム世界の息苦しさ、近藤の「真実」の微細な、つまりパーソナルなありようとを、伊藤大地記者の「個人の多面体」がつなぐ視線。面白い視線ではある。
 だがしかし、政治家のSNSといえば、先のトランプ大統領の4年間の振る舞いが、まず目に浮かぶ。あそこに、多面体は見て取れたか。あの場に現れた「まるごとの評価」は、ヒトというものがどれほどに他者を誹ることによって自己確認をし、自律していると錯誤するのにいかにヒトを蹴飛ばしていかねばならないかを示していたのではないか。
 伊藤大地記者は、SNSの用い方というか、リテラシーを語っていたのであろうか。それとも単なるSNSの機能を説いただけであろうか。養老の目にとめた社会すシステムに対するに解体されていっている「個人」の寄る辺なさに踏み込んでこそ、SNS隆盛の時代のマス・メディアの論考となるのではないか。
 三題噺的で面白かったが、いまひとつ重心が高くて、不安定な感を拭えなかった。


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