mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

庶民は「人間要素」の専門家

2024-03-21 07:11:10 | 日記
 先日(3/18)の記事、「いいたいことも行雲流水」で、専門知の限定を踏まえて実運用段階で統括することに、次のように触れました。

《それら全体を統括する立場の人、電力会社でいえば経営者になりますか、彼らは専門知を統括するに相当するくらい責任ある目配りをして業務に当たっているかというと、会社の損益にかかわるコトには敏感であっても安全性については、世論を気にし、政府の思惑を採り入れ、あるいは株主の思惑に配慮して、とうてい庶民の安全性に十分気配りするだけの理知的な視線を持っているとは思えません》

 ここでは東電をイメージして、信用できないとワタシの感懐を口にしているだけです。福島原発の現場責任者であった故吉田昌郎元所長の凄絶な奮闘はよく知られていますが、当の原発を設計し運転していく過程のあらゆる矛盾や齟齬や不都合をことごとく背負って対処しなければならなかったことが伝わってきました。これは東電経営者の、いや原発を推進する国の判断を下した人たちのすべてが始末して取りかからねばならなかった矛盾や齟齬や不都合が、現場運営の所長一人の肩に伸し掛かった悲劇であったと言えます。
 原発にかかわるいくつもの分野の専門的な成果を総合して運転する決断をする経営者にもっとも必要な素養的専門性が、一般的にいうと「傾き」をもっています。彼ら経営者は投資と収益という企業経営の専門家として、経営学や経済学やポリティカルエコノミーの趨勢を読み取る専門知を期待されていると通常考えられています。だが「原発」というそれ自体が「危ない武器」を用いるときには、通常の優れた経営的センスでは決定的に不足であることが明らかになりました。
「危ない武器」というのは人類にとって危ない武器です。ひと度今回の福島のような事故が起こると30kmの範囲の人びとを避難させなければならない。しかも放射能の影響が原状に希釈されるのに、現在のホモ・サピエンスの文明的登場2万年をはるかに超える10万年という途方もない時間を要すると聞くと、利用に供するには「危ない武器」を扱えるくらいのヒトの力量を見極めなければなりません。これが、原発や原爆などを開発するときの最低限のヒトの「慎み」です。
 この「慎み」を言葉にすると、原発にかかわるいくつもの分野の専門的な成果を構築し運用する各段階の「人間要素」です。万一に備えるばかりでなく、日常の業務にも「慎み」を保ちつづけなければなりません。というのは、ヒトとして大変難儀なことです。果たしてそういう「人間要素」を斟酌して原発の構築運用をしているか、俯瞰してみるといろいろお粗末な現場の不注意や運用のいい加減さや警戒を怠る日常性の怠慢がありました。つまりヒト自体が、高度な消費社会の暮らしに慣れて「慎み」を忘れて「危ない武器」を扱っている姿が見て取れます。それを、通常の企業経営運用と違う視線で見つめ続けなければならないのが、統括者の素養的専門性なのです。果たして大丈夫かというと、フクシマで例証されたように大いに疑問ですね。
 「にんげん」に関する深い意識化が必要です。これこそ「危ない武器」をさまざまな専門知を総合して統括する人の素養的専門性です。「危ない武器」を日常的に運用するとなると無意識にでも安全に気を配った振る舞いができるようにカラダに覚え込ませ習熟する、屈折した段階を経ることが必要かも知れません。そう、戦闘で用いるために自衛隊員が日夜トレーニングをしている程度の「きびしい習熟」を、身体の隅々に行き渡らせる必要なのです。でも、原発に従事する従業員に、そのような資質が必要と私たちは考えていませんし、それを求めているとも思えませんね。
 事故直後の対応、その後の責任追及で明らかになってきた東電や政府や原発関係者のトップ層の言葉を聞いていると、彼らに「人間要素」を読み取る素養があったように思えません。彼らがいい加減な人間だと誹っているのではありません。彼らは資本家社会的市場経済の労働力商品として人を見ているのでしょう。まだ人間は「危ない武器」を扱えるほどの資質を備えていないのではないか。人は原発を採用するには早すぎる。人類にはまだ「危ない武器」を扱う資格がないのではないか、そう私は思っています。
 ただ一人福島原発の当時所長であった吉田昌郎がすべてを背負い込んで奮闘したと私は理解しています。これは「希望」を感じることでもありました。そうだ、そういう力をヒトは持っているのだと(これを日本人とは限らないで)うれしく思っています。
 話はちょっと逸れますが、この現場力は、それこそ大平洋戦争のとき、戦線の拡大に伴う参謀本部と陸海軍統合本部の戦略に基づいて送り出された兵士たちがガダルカナルやニューギニアなどで必死に戦った姿でした。私はその苦い思いを、吉田昌郎さんに重ねて見て思い出していました。私のカミサンの父親は娘の生まれた知らせを聞いてはいたが、一度も顔を見ることもなくニューギニアで戦死しました。遺骨はもちろん、どこでいつ、どのような経過を辿って亡くなったという子細も、知らされていませんでした。後に厚生労働省に問い合わせましたが、亡くなったと記載された場所もニューギニアのどこなのかワカラナイと返答がありました。
 話を元に戻します。この、人間要素をもっとも良くつかみ取っているのが、市井の庶民の私たちだと、八十爺は思っています。ヒトはいい加減でちゃらんぽらん。世の中のこともボーッと見ていて、テキトーで、気分もころころと変わる。この人間要素の認識は、ワタシ自身をみている感触なのですが、八十何年の人生経験のニンゲンの感触でもあります。そういう意味では80年のニンゲン実体験観察のセンモン知です。
 いやエラそうにいうのではありません。とうてい「危ない武器」を扱う資格はない。そう自己認識する「慎み」をもっているというだけのお噺です。

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