mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

身体派の実感

2024-05-12 09:36:07 | 日記
 昨日(5/11)、ふと思い立って岩殿山に向かった。どこかで人身事故があって中央線が止まっている。西国分寺で30分ほど待たされたが、高尾では甲府行きが待っていてくれて、9時には大月に着いた。おっ、こんなにいたのというほど、大月駅にはハイキング風情が降りたった。意外に年寄りが少ない。若い人が多い。
 大月駅の北側に屹立する岩殿山は、ぐるりと一回りするルートが取れる。中央部から駅方面へ向かって登下山する最短ルートもあったが、「崩落のため通行禁止」になっている。反時計回りのルートは登山口まで2キロほどの車道を歩く。時計回りの方は、線路を外れるとすぐに浅利川に沿う道へ入り、小さい橋を渡って山へ取り付く。こちらの方が急斜面かとよみとって、それを上りに選んだ。草臥れて下山したときは舗装車道をとろとろと歩く方が安全だと思った。
 たしかに急斜面。それも,右へ左へと切ってなくて、直登に近い。木の根っこが剥き出しの段差が大きく、砂利が滑りやすい。いや、こんなことで草臥れては,とても夏の北アルプス裏銀座は歩けないと自分を励ます。ストックを出して四輪駆動にし、ようやく休みなく歩けるようにした。後から6人組が来ていたが、やがて姿は見えなくなり、声も聞こえなくなった。
 52分で稚児落としに着く。えっ、コースタイムは1時間半。そんなに速く歩いている感触はないのに、どうしてと思い、ま、いいか、今日は4時間半だとペース配分に煩わされるほど歩かないことに安心する。この手前で、二人連れとすれ違った。私と逆コースを歩いている。
「早いですね」と挨拶する。
「ここの上りは急斜面ですか?」と女性の方が尋ねる。
「ああ、結構段差が大きくて大変でした」と応え、時計回りが正解だったかなと思う。
 稚児落としは南側が開けていて所々に露岩が樹木の間から素肌を見せている。岩殿山が電車からみるような岩山であることがわかる。そこから「岩ルート」「森林ルート」と道が二通りに分かれている。いつもなら迷わず岩ルートを選んでいたはずなのに、チラッと不安がかすめる。今日の歩きで、バランスが悪いと感じている。森林ルートも、片方が大きく切れ落ちる細い道。バランスに気をつけながらストックをついて進む。身の不安定さが気になる。
 天神山近くで、向こうからやってきた単独行の女性が、「稚児落としはまだ遠い?」と尋ねる。「いやいや、この向こうですよ」と木の間から見える方を指さす。私の後続であった6人組が休んでいるのが見えた。
 兜岩のところは大きく北側へ回り込むように踏み跡が続いている。大月駅の北側というので、軽く歩けると思っていたが、なんのなんの、結構山は深い。若干のアップダウンはあるが、縦走している感触はあるから、やはり山梨県の山間部に入り込んでいると実感する。築坂峠辺りから人とすれ違うことが多くなった。道が細いので、脇の木立に摑まって、やり過ごす。軽く言葉を交わす。
 7人ほどの団体を躱しているとき、最後尾を歩いてきた方から「早いですね」と声をかけられた。えっ、どうして? あなた方は何時に大月駅を出たの? と聞こうと思ったのが、顔に表れたのか、「同じ電車に乗ってらしたでしょ」といわれ、「いやいや、それはお見それしました」と挨拶をした。そうか、そんな風に人を見ている方もいるんだ。
 円山公園への下山路は,縄を張って「通行禁止」の札が下げてある。「崩落があって危険」と説明もつけてある。その先でジグザグに踏路が刻まれた,いかにも岩山を登っているという感触の道があり、ぽんと平坦な稜線に出る。ベンチもあり、山頂とは別の方へ行くと、富士山が樹間から姿を見せている。山体の半ばまで雪をつけ、11時半頃の陽ざしを受けて輝いている。ベンチに座り、お昼にする。その先の大岩が崩れる恐れがあって、平成11年に大岩の上部を爆破して落としたと,写真をつけた説明書きがある。山の生態を聞かされているようであった。
 そこからほんの少しで「岩殿山」と記した山頂標識があった。かつて岩殿城という難攻不落の山城であったこと,四方から見える烽火台があり、周辺の情勢を探る要であったと記した城跡案内が,生い茂る樹木に隠れるように設えてあった。東屋もあり、二人の女性が食事にしている。山頂部は稜線に沿って長く広く、二の丸、三の丸ばかりか四の丸まであったらしい。そしてもう一つ「岩殿山」と表示した山頂標識があった。そこからも富士山が見事な姿を見せ、同時に眼下に大月駅と町並みが中央線と富士急行線の線路に沿って細長く連なっているのが一望できる。
 11時45分、下山開始。結構急な斜面だが、道がジグザグに切ってあり、歩き安い。下から人がどんどん上がってくる。すれ違うときには、こちらが待つ。「高校生?」と聞く。「はい、そうです」と6人ほどが元気がいい。「後から来ます」と最後尾が声を出す。下から、顧問らしい二人がエッチラオッチラと表現していいような風情で、登ってくる。
 あとでまた、別の高校生らしい集団に出会った。
「船橋から来ました」
「そうか、千葉は高い山がないからね」
「ハイそうです」とうれしそうな声。関東平野も,山へのアプローチに関しては善し悪しかもねと思う。
 25分ほどで畑倉登山口に出る手前に「鬼の岩屋→」という表示があり、道から逸れるが行ってみる。いかにも岩山の象徴のような巨大な洞窟があった。傍らの説明書きには修験場であったらしい。
 すぐ登山口に降り立ち、駅へ向かう舗装車道に出る。今調べたら駅まで3.4kmとある。コースタイムは1時間。やはりこちらを下山に使って正解であった。ぷらぷらと歩いて、駅に着いたのは12時55分。コースタイム4時間20分のルートを3時間50分。ま、まずまずかな。
 電車は15分ほど遅れていた。特急も、13分遅れとあったから、朝の遅れを、車両の配車も含めて、まだ引きずっているのかもしれない。「特別快速東京行き」に乗ったから立川で乗り換えなければなるまいと思っていたのに、うとうととしているうちにその電車が「快速」に変更され、西国分寺で降りてスムーズに帰り着いた。
 新聞を読む程度で他に何かをする気分にもなれず、うん、それなりに疲れていると考えていた。夕食に焼酎の湯割りをおかわりして飲めたから、やはり体調はいいようだ。今朝起きて、9時間,一度もトイレに起きず寝たことがわかり、やあ、やはり山を歩くと身体にはいいんだとあらためて思った。
 ひょっとすると私は、身体派なのかもしれない。若い頃は頭脳派と肉体派とわけて私は肉体派であった。動くのが好き、身体は丈夫。でも歳をとって肉体派は,何となくそぐわない。身体派と呼ぶのが適当なようだ。そう実感している。

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