mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

全天候型の東北・慰霊の旅(1)晴れのち曇り、さらにのち雨

2016-10-05 20:51:43 | 日記
 
 台風18号が急速に大型化して沖縄に到来していた10月2日朝、大宮駅8時2分の、2年前と同じ新幹線で合流した私たち兄弟は、盛岡へ向けて車上の人となった。曇り空が東北へ近づくにつれて青空に変わり、沿線の山並みも、奥日光男体山、那須岳から磐梯山・安達太良山、蔵王山、栗駒山とシルエットをくっきりと見せて、初めての東北という弟は窓の外を見つめつづけたままであった。盛岡はすっかり晴れ渡っている。
 レンタカーを借りて、秋田駒ケ岳を目指す。naviが誘導する通りに車を走らせる。2年前長兄Hと一緒に走ったときとは、なぜか違う道を通っているように感じる。だが、雫石町の表示が出るころには、国道46号線を間違いなく田沢湖へ向かっていると分かる。仙岩トンネルを抜けた先で右へ曲がり、旧道を案内する。こちらの方が距離的に近いのであろう。田沢湖高原に近づいたところから秋田駒ケ岳八合目への分岐がある。2年前に長兄と登った時は、お昼を八合目の駐車場でとった。分岐の角に「バスはアルパこまくさから出ている」と看板がある。構わず八合目へ向かうとすぐに小さな番小屋があり、人が出てきて、「ここは通れない。バスに乗れ」という。そうか、2年前は平日だったが、今日は日曜日だ。乗用車は通行止めというわけだ。「アルパこまくさ」へ引き返す。11時35分。次のバスは12時22分。駐車場に車を置き、ビジターセンターに入ってお昼にする。駒ケ岳が間近にど~んとみえる。山肌の紅葉は、いカメラのシャッターを押している。
 八合目と田沢湖駅とを結ぶバスは、1時間に1本くらい。紅葉のシーズンだから訪れる人は多いが、もう午後の時間帯だから、ここから乗る客は10人足らず。バスは大型、やっと1台が通れるくらいの細い山道を、バディに当たる木々の枝葉を湧きわけるようにしてぐいぐいと高度を上げる。標高約600mから1300mまで、バスの高さの木々をくぐって九十九折れを繰り返す。さすがに標高が高くなると広葉樹の葉は色づき、ハイマツの緑と入り混じって秋が深まっていく。わずか25分で八合目の駐車場に到着。すぐに、長兄と歩いた新道コースを登りはじめる。今日の行を共にする次兄は、槍ヶ岳や御嶽山、大峰山へともに登っている、昔取った杵柄のそれなりの達者。だが弟は、今回の山歩きに同道することになってから、山達者の嫁さんの世話になって、靴や雨着を手に入れ、自宅近くの金剛山に何度かトレーニング山行をして、準備をしてきた、いわば初心者。ゆっくりと歩を進める。
 登山道入り口で、シャクナゲコースを下って来たらしい人たちと出くわす。少し上では、谷あいの
崩れたルートを下って来たのであろう、禿げた火口のような道をロープを頼りながら下ってくる人もいる。わずか30分上っただけで振り返ると、出発点の駐車場がずいぶん下の方にみえる。稜線をくねりながら樹々を分けるように下るバス道路が人手の頼りなさを示すようだ。北の方に乳頭山が独特の山頂を現す。上を見ると、秋田駒ケ岳の主峰、男女岳の山肌が黄と赤と緑のモザイクに輝き、ハッとするほど美しい。新道コースを回り込むと、田沢湖が見えてくる。森の中に点在する人里の営みが、一望のもとになる。上から降りてくる人とすれ違う。若い人もいるが、中高年の女性やペアが賑やかにおしゃべりしながらあるいている。弟も順調に登ってくる。風もなく、寒くもない。西へ回り込むとこちら側が切れ落ちた男岳が眼前に姿を現す。
 コースタイム1時間の阿弥陀池に50分で着く。その東の端まで周りこんで、男女岳の山頂を目指す。石畳を辿り階段になり、標高差100mほどが苦しそうだが、急がずゆっくりと身を上げる。下方の阿弥陀池が箱庭のように静まり返っている。出発して1時間15分で山頂に達した。弟が最初に着いた。岩手山がひときわ高い姿を北東に見せる。「いいねえ、Hもここまで来たのか」と次兄は感慨深げだ。長兄と登ったときには、雲の中、強風が吹いていた。寒くて、雨着をかぶっても震えるようであった。今日は別。「いや、Hのご加護、山は好天がいちばんだね」と次兄はうれしそうだ。
 はじめ谷あいのルートを下ろうと次兄は話していたが、「道が崩落している。通行禁止」と表示看板が出ていたので、シャクナゲコースにとる。一度横岳に上り、そこから池を回り込むように焼山を辿り、そこからハイマツの急斜面を下って八合目へ向かうコースだ。距離は短いが段差は大きい。弟が左足をかばっている。最初からストックを使ってはいたが、下りの大きな段差で、膝が痛み始めたようだ。時間をかける。でも、前を行く小さい子どもを連れた若い家族に出逢う。子どもは母親につかまりながら、ゆっくりと下っている。両親とも、子どもを歩かせることに気を向けている。その心意気やよし、である。追い越すときに、弟は「すごいね、頑張ってるねえ」と子どもに声をかける。指を折って4歳だと示す。私も次兄も声をかけて通り過ぎる。
 駐車場につく。下りは山頂から1時間20分。いいペースだ。バスが出るまで10分以上ある。避難小屋に入って汗をぬぐう。先ほどの子どもが降りてきて、あふれ出る沢水で手を洗っている。もう元気が回復したようだ。弟がチョコレートを出して「どうぞ」と差し出す。「お父さんのもお母さんのも取りなさい」というと、三つ摑んで、頭を下げて「ありがとう」というそぶりを示す。うむ、かわいい。それもこれも含めて、秋田駒ケ岳は大満足の山行になった。
 乳頭温泉には、わずか10分ほどで着く。さっそく温泉に浸かり、6時半の夕食までビールを飲んで過ごす。夕食はバイキング。長兄Hは、アイスクリームがお好みであった。そんな話をしながら、1時間以上かけて食事を済ませ部屋に戻ったときには、三人とも、もうすっかり眠る態勢になっていた。TVで明日の天気を確認しようと思っていたが、確かめることもできなかった。
 2日目。一部青空が見えるような薄曇り。朝風呂に入り、朝食もゆっくりとってフロントへ行くと、かたわらに「国道341号線は9月30日の道路崩落のため通行できません。玉川温泉や後生掛温泉へは盛岡から八幡平を回ってください」とある。聞くと、先月末の大雨で341号線の一部が崩れ、雪崩シェルターに1トンの大岩が崩れ落ちて突き破り、道を塞いでいるという。これでは2年前に八幡平へ長兄Hと辿ったルートはとれない。盛岡へ戻ると時間もかかる。朝の森の散策を取りやめ、まず、乳頭温泉の幾カ所かを見学してすることにした。
 孫六温泉は入口の川を渡る橋から見おろす全景が、鄙びた隠里のように見える。露天風呂のらしい湯けむりも上がっている。踏み込んで裏側の乳頭山登山口にまで足を運ぶ。そこから長兄Hは乳頭山への途中にある田代岱まで行ったのであった。それを確認して、黒湯温泉へまわる。こちらも隠里の風情があるが、孫六温泉よりは繁盛してきた気配がある。棟も部屋も多い。自炊棟という札の下がっている棟もあり、鍋をもった人が出てきて挨拶を交わした。
 今度は車を走らせて鶴の湯温泉へ向かう。こちらは、乳頭温泉郷の入口に近いところから道を分け、ずいぶん沢深くへ入り込む。ただ賑わいは随一らしく、広い道路が舗装されて、間近まで続く。入口の駐車場も広い。2年前にきたときは土砂降りの雨であった。今日は曇り空。人の気配も心なしか少ない。「本陣」と記した結界があり、その奥につづく棟は、いかにも時代劇のセットのようだ。だが、部屋に漢数字の番号が記してあり、客室だと分かる。「掃除のため、今日は日帰り入浴できません」と看板が下げてある。水車も回っている。昔の殿様がここに本陣を移して湯治をしたそうだ。その昔の儘の建物を残しているようだが、耐震は大丈夫だろうかと次兄は心配している。
 こうしてひとたび盛岡方面へ戻り、高速道路に入って松尾八幡平ICで降りて、八幡平を越えて大沼へ向かう。乳頭温泉で19度であった気温は、仙岩トンネルをくぐるころには15度になり、雫石町を通り過ぎるころは16度と、午前10時を過ぎているのに気温が上がらない。寒冷前線が近づいてきているようだ。八幡平のアスピ-テラインを走るころ、雨が落ちてくる。八幡平の山の上部はすっかり雲の中にある。見返り峠を越えるころには雲が厚くなり、道路もよく見えなくなる。「これじゃホワイトアウトだな」と兄。二車線の道路を分ける断続する中央線が、下の方では5本見えたのにいまは2本しか見えない。文字通り五里霧中だ。対向車のランプがかすかに見えて、恐々とすれ違う。
 大沼に着いた頃には雨粒が落ち始める。大沼の紅葉は、たしかに秋が進んでいると感じさせる。一回りしようと話していたが、雨の降りが強くなる。ちょうどお昼。大沼茶屋湖のお店に入って様子を見る。食事をしていると雷がなりはじめ、雨も土砂降りになる。強い風に吹きつけられて、全面のガラス窓を叩く。大沼の向こう岸がかすんで見えなくなる。食事を済ませ、駐車場の先にある八幡平ビジターセンターへ入る。いまビジターセンターはリフォーム中。足場を組んで、全面をカーテンで覆っているから、休館中のようにみえる。中ではしかし、なかなか見ごたえのある展示があり、十分八幡平を満喫させてもらったような気がした。
 こうして再びアスピーテラインを登り返し、山頂部バス停から西へ下って、藤七温泉の宿に入ったのは、3時少し前であった。(つづく)

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