mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

天売島への旅(1)未知の土地を彷徨う面白さ

2024-06-29 14:43:41 | 日記
 おおよそ地理的知識のない土地を訪ねるというのは、心許ない。しかし、事前に情報を得てポイントを知っている方がいると大船に乗ったつもりになることができる。門前の小僧の私は、いつもこうして師匠とその鳥友のお誘いに便乗して、「つもり」どころか大船に乗って旅をする。あなたまかせのお気楽旅なのだ。
 新千歳空港に降りる直前、雲の下に機体が降りてきたとき、地面に広がる田畑が見事な大きい方形に区切られているのが目に入った。いかにも人の手によって切り開かれた大地。開拓時代から百五十年以上も経つのに、いまだ北海道という土地にこのような感触をおもうのは、弥生時代から手を入れて開墾してきたのとは違い、ほぼ手つかずの森林原野を切り開いた人為の暴力性に因るのかもしれない。
 2台のレンタカーを借りてスタートする。サミさんがハンドルを握り、私は助手席でナビに徹する。とはいえ、道筋を知るわけでもないから、車に付いたnaviを声に出して、サミさんに伝えるという安直なお役目。札幌市に入る辺りで高速は直進すると小樽方面へ向かう。最初の探鳥地、滝川へ行くには南から北上する高速へ移らなければならない。とおもっていたのに、先導車は直進する。
 ん? と、こちらの車内では類推がはじまる。
 海沿いの道を行くんじゃない? そちらの方がけしきもいいなじゃないか。
 ははは。いかにも埼玉県人の反応。海を観ると、それだけで心躍る。
 ところが高速を札幌で降りて道を探している。ん? 北へ行く高速へのインターチェンジを見失ったという。あとで地図を見ると、滝川市はだいぶ内陸にある。海沿いを走るのは留萌市を過ぎてからだとわかる。でも、こうして北海道の賑やかな街を抜け、ひっそりとした住宅地をみながら走るのも悪くない。高速で走るのは途中の眺めを抽象化してしまう。バサバサと切り捨てて、そうか捨象するって哲学用語で言っていたなあ、そこに住む人の佇まいも捨象されてしまう。見知らぬ土地へ来て、それをやってしまっては、何をしに来たのかわからなくなる。
 鳥観の人たちは、耳がいい。加えて目が敏い。車を走らせていて、鳥の鳴き声を聞き分ける。声を頼りに目を凝らし、鳥影を見つける。車もしたがって、速く走るというよりは、耳目のセンサーが働いて周囲を見回し、鳥を見極めるときには見極めるように速くも遅くもなる。まさしく鳥観に関心の深い達者たちが同行しているからこその、車旅にもなる。
 滝川公園は、おやこんなところが、と思うような質朴な佇まい。駐車場が、そもそも公園の正面ではなさそうだ。いやそれらしい入口がなかったのかもしれない。裏口から入り、もうすっかり塗料の剥がれ落ちた園内ガイド看板をみて先へ進む。南側に大きな沼をおいて、ミズナラやアカエゾマツの樹林が出迎える。その間に芝地が広がり、落葉広葉樹の灌木が生い育ち、すでに赤い葉を付けたナナカマドがひときわ異彩を放つ。設計され造園されはしたもののその後はほぼ放置されているような気配。空知川を歌った啄木の歌碑があった。こんな土地にまで彼は来ていたのか。アカゲラやニュウナイスズメ、ヒガラをみる。
 4時頃に切り上げて留萌を通り抜けて羽幌に向かう。5時48分、夕陽が雲間からサンピラーが海に落ちて、キラキラと輝きを見せる。一日の曇り空が見せるご褒美。夏至を過ぎたばかりとは言え、埼玉よりも30分は日没は早いのであろう。6時15分頃宿に着いた。
 夕食は7時半というので、それまでに風呂を済ませる。露天風呂の他にも、ジャグジーとか水風呂など7種もあって、風呂好きのサミさんは全部愉しんだと話していた。サウナもあったよと誰かに聞いて、それに入らなかったと残念がっていたのが、オモシロイ。
 夕食はお酒も入り、鳥を巡る言葉が飛び交う。ほんとうに鳥の取り付かれている様子が、聞いていて、みていて面白い。こういうことに全力投入することのできる人たち。それを媒介に、この人たちの友好も深まっていくようであった。
 翌朝は4時行動開始。3時に起きて用意するということで、9時過ぎに切り上げて、お開きにしたのであった。