mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

畏れ入りました、母上

2015-01-29 10:38:24 | 日記

 大阪に行ってきた。弟の家に兄弟が寄り、昨夏亡くなった母の一周忌をどうするか、相談する。ちょうどお盆に亡くなったこともあって、順当にいけばまたお盆にということになるが、行き帰りの交通の混雑とかまだ現役で仕事をしている「孫」たちのことを慮って、お盆前に設定しよう、しかしお寺さんの都合も訊いてとまとめておいた。

 

 さっそく岡山へ帰った兄がお寺さんに問い合わせたところ、8月に入ってほとんどお盆の供養などもあって、予定が空いていない。結局、亡くなった8月16日ではどうかということになった。自分の亡くなることを気遣って、葬儀に参列した方々に「別れのご挨拶」も用意していた母らしく、一周忌も「自分の都合でやるものではありませんよ」と諭しているように感じる。ははあ、畏れ入りました、母上、というところである。

 

 長兄の49日のときにはげっそりと頬が削げ落ちていた次兄も、いくぶん顔色は良くなっている。ブエノスアイレスから帰ってきている娘と孫との暮らしに活力がよみがえって来たか。それとも近々、再びアルゼンチンに戻る彼女たちの準備に追われて動いていることが、活力源となっているか。ともどもに影響しているであろうが、主には後者のように思える。あまり背負い込んで無理をしていなければいいのだが。

 

 弟Kは、韓国の大学から正月休みをもらって帰国している。やはり間もなくそちらへ戻る。こちらに帰っている間にも、講演や会合で慌ただしく飛び回っていて、落ち着く暇がない。やっと調整して兄弟が話す時間をとることができた次第。私より10センチも背が高いのに体重が7,8キロ少ない。暮れの健康診断でも「やせ過ぎ」と注意を受けたらしい。だが私が見ている限り、韓国暮らしの2年間でずいぶん人が変わった。好き嫌いがなくなり、それなりに食べるようになった。私に似て人との付き合いが苦手のように思っていたが、案外気さくに出歩いて、話しも気軽にすすめる。もう高齢者の仲間入りをしているが、この年になっても変われるというのは、なかなかたいしたものだと感心する。そういう落ち着いた人生になっているのも嫁さんの包容力のおかげとも、思う。

 

 弟嫁さんのお接待を受けて鍋をつついて酒を酌み交わし、とりとめもない話の合間に一周忌のことを決め、何時に床に就いたのかもわからぬまま、気が付くと陽が上り、7時を過ぎていた。決めたこと自体はメールのやり取りでも決められることではあるが、交わす言葉の身体に響く感触が(たぶん)長年の「かんけい」の途切れているところの橋渡しをし、自分でも気づかぬところで「共振・同期」する感覚を醸成しているのであろう。

 

 帰りに弟Kも一緒に、大阪の千里に住む叔母の内を訪ねた。夫婦ともに米寿。子どもはいない。その分、甥姪の私たちと親しくしてきた。先日(私のいとこにあたる)姪や甥が米寿の祝いをしてくれたという。ずいぶん体は弱っているが、頭も気力も衰えを見せない。週1の書の教室もつづけている。宅配や介護サービスなどを受けて、静かな暮らしに不自由はしていない。甥姪のこと、去年亡くなった私の長兄のことなど、とりとめもないことを話してきた。「あんたがた兄弟仲がいいのが一番よ」と、叔母の目からみた「評価」は、叔母の長兄である私の父たち6人兄弟姉妹の「(かつての)期待と自己評価」にもつながっていると思った。3時間ほど過ごし、私は「徒然草」の一部、弟は「般若心経」の巻物を「遺品の先渡し」としてもらった。やはり書を得意とする岡山の兄には、何年かをかけて書いた「古今和歌集」の分厚い蔵本が手渡されることになっていた。その書体は、かなを軸にして目で見る空間芸術的に奔放な領域にまで来った叔母の魂の神髄を示しているように思えた。

 

 こういうふうに齢を取りたいもの。だが、いまさら芸術を志すわけにもいかない。我が身の処を心得た、静かな暮らしに落ち着きを得たいと思った。