mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

無意識を読み取られてこそ「本」

2015-01-23 20:35:02 | 日記

 今朝はうって変わって晴天。風が強い。サクラソウ公園へボランティアに行くカミサンを送って、ついでにトラフズクをみてこようという算段。サクラソウ公園の駐車場にはすでにカミサンの友人が来ていて、スコープを組み立てている。荒川に流れ込む鴨川にいる水鳥を見に行こうとしているという。一緒させてもらう。

 

 緑に光る頭をみてマガモだと、初め思った。だが双眼鏡で見ると尻尾の末端が下向きにカールして水についている。身体の向きが変わると、頭のてっぺんが茶紫色に輝いてナポレオンハットのようにみえる。ヨシガモの雄だ。雌は地味な褐色で他もかもの雌と区別がつかない。何羽もがゆらりゆらりと風に吹かれるように水面の揺れに同期して揺蕩っている。オオバンが2羽下流から風に吹かれてくるだけで、他の水鳥はいない。

 

 トラフズクのいる方へ向かう。鴨川の流れに沿って公園の南端にある水門に近づくと、対岸に竹の密生している林がある。その中にいるという。途中で、何かを探している様子の2人連れに出遭う。彼らもトラフズクを見に来たのだが、場所が分からないという。ではご一緒にどうぞと、カミサンが先に立つ。

 

 岸辺には人が踏み込んだために更地になっているところがある。対岸の竹林は風に大きく揺らいで、その中にいるトラフズクを見つけるのは容易ではない。、カミサンの友人が一番に見つける。「ほらっ、あの竹が斜めにかしいでいるのが1本あるでしょ。その先っちょの奥にいる」と細かく場所を指す。スコープを構えていたカミサンが「はい、入りました」と顔をあげる。覗くと、確かに、言われたところにトラフズクがいる。風に揺れる竹の間から、首を立て右に左に回している様子がよく見える。目がきちんととらえられる。だが暗くて、とても写真に収めることはできない。一緒に来た2人連れにもスコープを覗いてもらう。「ああ、あんなところ」と女性も確認したような声をあげる。

 

 と、「あっ、もう一羽いる」と友人が声をあげる。彼女の覗くスコープの向いている方向をみて、双眼鏡で探すが、わからない。「揺れてる竹の間。分かりにくいかなあ」と言っている間に彼女もまた「わからなくなった」と探すモード。カミサンのスコープを引き寄せて私がのぞく。竹が揺れている間をひとつひとつみていくと、縞模様の腹が見えた。みていると、たしかに一羽、やはりこちらを向いてじっと目をつぶっているのが分かる。スコープに収め「入ったよ」とカミサンに席を譲る。

 

 こうして1時間ほどを過ごして、私は帰宅した。そのあと図書館に足を運び、本を4冊返却し、1時間ほど赤瀬川源平の「東京町散歩」の本を読む。彼の淡々と目に見えることがらを記して飽きさせない記述の謎に、しばらく考え込む。本は、読まれたときに初めて、書かれたことが「本」になる、とどなたかがどこかで言っていたが、たしかに、このような読み方をする読者もいて、赤瀬川が書いた甲斐もあろうということはできる。著者が想定していないう読み方をされるというのも、「本」の宿命かもしれない。良い読み方、悪い読み方ということも、著者の側からいえばあるだろうが、読者の側からすれば、著者の意図しないのに記述されてしまっていることが読み取られるというのは、他者にしかできないことだ。無意識の露呈が、ひょっとすると著者が意図せず「本」を書こうとした深層の動機にあったかもしれない。それを読み取るとき、初めて「本」は読まれた、と思う。

 

 帰りは追い風。下校する小学生を追いながら、歩く。一年生ばかりなのか、ランドセルに黄色いカバーをかけた子たちが、列をつくって右側を歩いている。一番後ろから自転車に乗ったお年寄りが、「じゃあまた来週ね、バイバイ」と声をかけて別れていく。だんだん自宅へ向かう子どもたちが分かれて、列の子どもは3人になった。ふと思い出した。孫のSは一年生の時、泣きながら帰ってきた。留守を預かっていた祖母ちゃんが何かあったのかと聞くと、一緒に帰った子たちがみんないなくなってひとりになったのが寂しかったらしい。なんともかわいい話じゃないか、と思ったことを思い出した。まあ、一年生といっても、間もなく2年生になるのだから、そんなこともないか。

 

 こうして今日も、何をするでもなく過ぎてしまった。明日から合宿。その勉強材料はもう準備できた。ちょっと多すぎるかなと思うくらい、ある。まあこれも、あと1年と3か月で終わりにする。そのくらいは、頑張れそうではないか。

 

 そういうわけで、月曜日までこのブログもお休み。ごめんね。