わざわざ「~札幌編~」としたのは、以前、釧路でこういう記事を書いていたためです。
では、札幌の「飛行場跡」とはどういう場所なのかなということで・・・。
地下鉄南北線「北24条」駅から近い住宅街。
よく見ると、両サイドに、何やら立派な門柱が建っていますね・・・。
そう、実はこここそが、かつての「札幌飛行場」の跡地なのです。
解説にもありますが、「札幌飛行場」は、大正15年(1926年)8月、当時の「北海タイムス」社が航空班を設置し、翌年、滑走路を整備したことに始まります。
昭和8年(1933年)、当時の「逓信省」が、この飛行場を含めた53haもの敷地に広大な飛行場を整備し、昭和12年(1937年)には公共飛行場に指定され、札幌⇔東京間を約5時間で結ぶ定期航路が開設されました。
これは、大通にある「丸井今井一条館」のかつての建物。
以前一度触れましたが、屋上に設置されている航空灯台が、当時、札幌飛行場に着陸する飛行機の、夜間飛行の指標として活用されていました。
その後、第二次世界大戦に突入するに当たり、この飛行場も軍用化され、市民の動員により、規模を100haまで拡張する工事が進められましたが、終戦となって工事は中止となり、飛行場も閉鎖されました。
この像は、戦闘機のプロペラの一部を象ったと思われる「風雪」という碑。
「坂坦道」氏という彫刻家の作品で、中央に少年兵の顔を刻み、軍用としての飛行場があった証を残すものとされています。
場所は変わって、こちらは手稲区曙の住宅街。
実は、北24条に飛行場が整備される以前、昭和5年(1930年)6月10日に、「北日本飛行学校飛行場」というのが設置され、同校が新しく購入した飛行機の披露飛行が行われました。
広大な敷地に大規模な格納庫が設置されていたそうですが、昭和8年にここが閉鎖され、北24条の飛行場に受け継がれたのだそうです。
札幌市内の空港、飛行場というと、現在は東区にある丘珠空港のみですが、大変興味深い歴史に触れることができたと思います。